第83話 ドリトル先生航海記

 わたしが競馬好きだということをこのエッセイを読み続けていると気づいていただけると思いますが、先日、京都競馬場で開催された京都大賞典(G2)に一頭、わたしの気を引く名前の馬が出走してきました。

 ドクタードリトルという名の馬です。



 今月のNHKEテレ「100分de名著」で取り上げられるのは、アメリカの作家、ヒュー・ロフティングの児童文学『ドリトル先生航海記』です。作品の解説をしてくれるのは生物学者で、自らもこの本を翻訳、出版した福岡伸一さんです。


 たしか過去のエッセイで福岡伸一訳の『ドリトル先生航海記』については書いたような気がするのですが、100分de名著で取り上げられた記念です。もう一度書くことにします。


 ヒュー・ロフティングのドリトル先生シリーズは、ビクトリア朝のイギリスを舞台に動物の言葉を理解することのできるお医者さま、ジョン・ドリトル博士と動物たちの活躍を描く岩波書店版で全13冊が発行されている児童文学です。


 ドリトル先生シリーズはいくつかの出版社から日本語訳が出ていますが、もっとも読まれているのが岩波書店のもので、わたしが子どもの頃読んだのもこれ。


 たしか小学二年生だったころ、股関節炎で入院したわたしが退屈しているだろうと、親戚がお見舞いとしてプレゼントしてくれたのが、シリーズ第一作『ドリトル先生アフリカゆき』でした。


 ドリトル先生はもともと人間を診察していたのですが、人も動物も分け隔てなく親切にする先生の家に、かわいそうな動物や病気の動物が集まりすぎてしまったため、人間の患者が寄り付かなくなってしまいます。さらにオウムから動物にも言葉があることを教えられ、それを理解できるようになると、その噂を聞いた動物の患者が遠いところからも押し寄せてきて、結局、動物専門の医者となったのでした。


 人も動物も分け隔てなく接することができるドリトル先生を、これを読んでいた子どもの頃のわたしはすごい人だと感心して読みました。一方、そんなドリトル先生に対して批判的な人物も登場します。先生の妹サラです。サラはごく常識的な女性で、先生の家の中に動物が増えてゆくことを快く思っていません。人間の患者が寄り付かなくなるからです。動物は診察しても診察料を支払ってくれないからです。ドリトル先生はお金には無頓着なので気にしませんが、常識的にはお金がないと暮らしていけません。サラはドリトル先生に愛想を尽かして家を出てゆきました。


 この本から偉大な才能というのは常識では測れないのだということを教わりました。周囲の無理解に直面したときには、ドリトル先生のことを思い出して、いま目の前の人が喜んでくれているのなら、それ以外の人たちの評価は気にしなくていいと思ってます。価値基準は人それぞれに違うのです。



 京都大賞典を走ったドクタードリトルは、6番人気で6着でした。可もなく不可もなしといったところでしょうか。Doctor Dolittleとは「怠け者先生」というような意味らしいです。怠け者どころかよく走っています。ドリトル先生がだれよりも働き者なのと同じですね。これからもがんばって欲しいです――と同時にわたしも頑張らないとなと思いました。



 さいきん書くことが取り留めないな〜。スミマセン。

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