第77話 異世界ファンタジーの文学性

 前回、カフカの『変身』の解説本について書いたのですが、この本の中でカフカの『変身』は意味や理由が欠落していると指摘されています。「なぜ主人公は虫になったのか?」という大きな「?」を置き去りにしたまま物語は展開し、最後までその疑問に触れられることなく物語が終わってしまうからです。


 こうした物語の構造をもつカフカの小説を不条理の文学として、第二次対戦後、高く評価したのが、カミュやサルトルといった実存主義の作家たちでした。藤光は実存主義がなにかということについては詳しくありませんし、語る言葉を持たないのですが、乱暴にまとめてしまうと「理由はどうあれ、あるがままを受け入れよう」という主義・主張で、戦後の思想界を席巻した考えです。


 このよく分からないけれど、なんだか偉い感じのする不条理文学となったカフカの『変身』ですが、わたし、これと同じような構造を持っていてカフカよりずっと広く読まれている不条理文学を知っているんですよー。


 いわゆる、異世界ファンタジー小説なんですけどね(笑)


 異世界ファンタジーほど、その意味と理由が欠落している小説はないと思います。魔法が発動する仕組みについて解説した小説や、魔王や魔物が繁殖する仕組みについて説明した小説に出会ったことがありません。異世界の住人が現実世界と同じ言葉を使い、同じような社会常識や風俗のもと生活している理由を描いた小説も知りません。


 ずっとむかし、はじめて異世界ファンタジーに触れた頃は、異世界の住人のはずなのに、現実世界と同じように暮らしている人々が出てくることに違和感を感じでいました。こことは違う別世界ということは、そこに住む人は宇宙人のように異質であって当然じゃないですか。それが見た目も、話す言葉も、考え方も日本人と同じだなんて、ものすごく不自然でしょ。


 異世界人=現実人のように見える表現は、そもそもは比較的ファンタジーのことをよく知った人たちの間でのみ通用するメタフィクション的な表現だったのでしょうが、異世界ファンタジーが一般に浸透していく過程で、メタだった表現が一般的な表現に置き換わってしまったのかもしれません。


 おかげで異世界ファンタジーは、魔法が存在する理由や魔物が登場する意味を置き去りにしたまま、小説世界でキャラクターが活躍するさまを楽しむジャンルとして発展、定着したのだと思います。理由のない魔法や意味のない魔物を、主人公がやっつけたり苦しめられたりする異世界ファンタジーは不条理文学といっておかしくないのではないでしょうか。


 え、やっぱりおかしいって?

 おかしいですねえ。なんでだろ(笑

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