第63話 スポーツとカルチャー

 連日オリンピックの熱戦が伝えられる今日このごろ、金メダルを獲れた選手の皆さんにはそれぞれドラマがあり、感心することが多いです。


 わが身を省みると、ドラマなどありようのない平凡で山も谷もない人生。部屋に寝ころんでスマホをいじってどんなドラマが生まれるというのか。なにかはじめないといけないなあと思いました。


 さて、そのオリンピックでビーチバレーを見ました。朝、出勤する用意をしてる時にNHKプラスで見たのです。決してディスるわけではありませんが、ビーチバレーって「なぜ?」な競技だとよく思います。


 パリの街中に砂を敷き詰めてコートを作り、水着の選手がバレーボールをする競技です。


「そこビーチじゃねーし!」

「海がないのに水着の必然性って??」


 水着の女性選手がバレーボールをする姿を見るのは楽しいですから(おいおい)、文句を言う筋合いではないし、不合理だからやめろなんていうつもりもありませんが、スポーツってなに? を考える上で興味深い競技だと思います。


 ☆


 スケートボードで2大会連続で金メダルをとった堀米雄斗選手が優勝したあとのコメントで「カルチャー」という言葉を使っていたのが印象的でした。


 ――スケートボードってオリンピックだけじゃなくてカルチャーの部分がすごい深いから……


 ここでいうカルチャーとは、スポーツ競技としてのスケートボードとはまた別の、街中で生活の一部分として存在する楽しむ(そしてお互いが高め会う)ためのスケボーのことを指すんだろうと想像するのですが、そもそもスポーツってそういうカルチャーの中から現れるものなんだなと目からウロコが落ちるか思いがしました。


 スケートボードもビーチバレーと同様、バリのコンコルド広場にわざわざ競技のための階段や手すり、坂を作って、選手は専用のユニホームやプロテクターを身につけることなく危険な演技を披露する競技です。


 まったく合理的でないですが、カウンターカルチャーとしての性格が強いスケートボードは、既成のスポーツとは一線を画すべきだという思想が競技者のなかにあるのかもしれませんね。



 ビーチバレーもスケートボードも、まだ歴史の浅い――若いスポーツだから、それぞれのスポーツを育んだカルチャーの影響がまだ色濃く残っており、それが競技のスタイルや選手のファッションに現れるんだろうなというわたしなりの結論に達しました(なんのこっちゃ)。ある程度納得できたので、家族から白い目で見られない程度にビーチバレー中継を楽しみたいと思います〜。

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