生徒会長の甘やかしかた

見城奏

第1話

「――――連絡事項は以上だ。気をつけて帰れよ」


 担任教師のその言葉を受けて、クラス内は一気に喧騒に包まれる。今日の授業を終えた解放感がそうさせるのだろう。

 俺もやることは残っていないし、さっさと帰宅するかとカバンを手に取って立ち上がる。

 放課後の予定やらを楽しそうに話しているクラスメイトを横目に教室を出ると、そこにはとっくに職員室にでも向かったと思われた担任教師が立っていた。

 その視線は明らかに俺へと向けている。目が合ってしまったから分かることだ。


「……何か用ですか」

「まぁそう警戒した目を向けるなよ、渡来わたらい


 俺のクラスの担任である篠宮楓しのみやかえでは、呆れたように言う。

 教師から呼び止められるなんて、どうせろくでもないことに決まっている。なのでつい眉間に皺を寄せてしまう。


「まぁどうせ、ろくでもないことだと思っているんだろう?」

「……」


 俺の心を読んだのかと思った。いや、あまりにも露骨すぎる表情をしていたからだろう。


「廊下で立ち話もなんだ、職員室に付いてきなさい」

「……わかりました」


 そう告げて先を進む先生の背中を追うように、俺も続く。

 拒否権はない。仮にあったとしても、この人に行使したり逃げようとは思わなかった。


 篠宮しのみや先生。二年生へと進級した俺の今年の担任教師。

 クラスメイトたちの多くが口にしていたのだが、所謂美人教師、というやつだ。

 身長は成人男子平均程度にある俺と大差はなく、女性としてはかなり高め。整った顔立ちを持ち、メリハリのある身体つき、それに腰まで伸びた黒髪も相まって、街で見かけたら大半の男は振り向くんじゃないかと思う程だ。

 そんな先生に連れられていると、当然他の生徒から奇異の目を浴びるわけだが。なんだあいつ問題でも起こしたのか? とか、美人教師からの個別指導かよ、羨ましい限りだな、とか思われているんじゃないだろうか。いやまぁ後者は絶対ありえないな。

 なんて現実逃避をしながら歩いていると、あっという間に職員室に辿り着き、先に入室した先生に続く。

 職員室なんて用が無ければ入る場所じゃないし、俺は教師にわからないことを聞きに行くタイプではない。だから職員室の空気は学校という通い慣れた施設の中だというのに、どこか異世界に迷い込んだかのように感じる。俺、美人な女に異世界召喚されちまったみたいだ。


「変なこと考えてないか?」

「いえ、なにも」


 この人また俺の思考読んだのか? ホントに異世界人じゃないだろうな。スキル鑑定したら読心術とか出てきそうだ。

 無駄に異世界思考を継続していた俺に向かって、先生は自身のデスクに置かれていた一枚のプリントを手に取り見せつけてくる。それには見覚えがあった。


「用件というのはこれだ」

「……進路調査票、ですね。俺の」

「あぁ。先日行おこなった、な」


 二年生となると、進路のことについて一年生の時よりも考えることが増える。その一環として、進路調査票の記入が新学期早々に行われていた。俺も当然それに記入をするわけなのだが……書いてある内容について問題があったようだ。


「未定、はさすがに口を出さないわけにはいかないからな」

「すいません」


 軽い溜息を零す先生に、一応謝罪の言葉を述べる。

 正直な話、俺には自分の未来のビジョンが全く思い浮かばない。なので正直に未定と書いてしまったのだが……無難に大学進学とでも書いておけばよかったな。と気づいた時には後の祭りってことだろう。


「進路について具体的に思いつかない、という気持ちはわかる。私も高校生の時はそう思っていたからな」

「……先生も、ですか」

「お前らくらいの年頃なんて、むしろ珍しいことでもないだろ。夢だけでなく現実を見るようになり、そして考える力も付いてきた頃だ。小さな頃のように夢だけを語ったり出来ずに、悩んだり迷ったりするのが正常だ」

「はぁ」

「だが一応私も教師って立場上、言わないといけないこともある。そこは理解してくれ」

「はい。すいませんでした」

「それにしても、正直に未定と書くのは珍しいものだ。大学進学とでも誤魔化してもおけば良いのに」


 それを言っていいのか教師よ。俺もそうしておけば良かったと思ったけれども。


「そうだなぁ、渡来、最近なにかしらの刺激を受けたことはあるか?」

「刺激、ですか?」

「あぁ、なんでもいい。例えば自分の感情が少しでも動かされたような体験とか」


 言われて少し考える。最近の俺は起きて学校へ行って、適当に授業を受けて帰って、ゲームしたり漫画を読んだりスマホで動画を眺めたり、気が向いたら勉強をして、寝る。それの繰り返しだ。なんもしてねぇな。

 そんな俺の思考が表情にも表れていたのだろうか、先生はわかったと言わんばかりに続ける。


「随分と楽しそうな日常を送っているみたいで何よりだ」

「返す言葉もないですね……」

「部活とかも入ってないんだったか?」

「はい」


 部活のような一つの事に熱中するような気力も、今の俺にはなかった。別にスポーツや音楽、文学などが嫌いなわけではないが、あくまで観る、聴く、読む、などの消費者的立場で十分であったのだから。

 それに俺は基本的にインドア派であり、部活などのグループに所属していないため明確に友人と言える人間がいない。ただクラス内で孤立しているということでは無く、クラスメイトと学校で会えば挨拶はするし、休み時間に話を振られれば多少の雑談くらいは交わす。だがワイワイとしながら昼食をとったり、放課後に連れだって遊びに行くほどの間柄の奴はいなかった。良くも悪くも一番近い距離でもクラスメイト止まりなのだ。刺激を受けることの少ない周辺環境なのは、逃れようのない事実だろう。俺自身の物事に対する熱量の低さも、それに拍車をかけている。

 そんな俺の返しに先生は少し悩んでから、ふと何かを思いついたかのように声を上げた。 


「そうだな、一仕事頼みたい。こいつを生徒会室へと持って行ってくれ」


 先生は幾つかの書類とファイルを寄越してきた。


「生徒会室、ですか」

「あぁ、私はこれでも生徒会の顧問を担当していてな。頼みたい」

「わかりました」


 唐突に雑用を頼まれたが、進路調査票のことに関して迷惑を掛けたし、俺の事を教師として目を掛けてくれたということもある。二つ返事で了承した。


「ありがとう。私の名前を出せば理解してくれるだろう」

「はい、それでは」


 話もひと段落し書類とファイルを受け取った俺は、職員室を後にした。




「確か生徒会室はここの上ら辺だったよな……」


水上みなかみ高校はメインとなる校舎が四棟あり、アルファベットのEの形になるように構成されている。今俺が居る棟は、職員室や生徒会室など学生のメインとなる教室以外の部屋が多く配置されており、唯一他の棟すべてと内部で連絡できる第一棟だ。そして生徒会室はこの第一棟の四階に存在する。

 あまり足を踏み入れることは無いから記憶は朧げだが、どこの棟にあるか分かっていれば迷うことは無い。そう考えながら、俺は近くの階段を上っていく。

 

 四階へと辿り着いた俺は、歩を進めながら周囲を見回して目的の場所を探す。


「……あれか」


 そして視界に入ってきた生徒会室の文字。


「生徒会室、初めて入るなぁ」


 職員室同様に、特別な理由が無ければ来ることがないであろう場所。俺は部活も入っていないし、委員会なども生徒会室が関わるようなものではなかった。ある意味職員室よりもさらに縁遠い場所かもしれない。

 だからこそ、さっさと用件を済ませて帰るか。なんてことを思いながら、扉をノックする。

 コンコン、と静寂に満ちた廊下に規則的な音が鳴り響く。数瞬の間を置いて、室内から返事が届いた。


「どうぞ。開いていますよ」

「失礼します」


 その言葉に促されて、俺は扉を開いた。


 生徒会室にはたった一人、女の子が椅子に座って書類作業をしていた。

 室内には応接で使われそうな大きなソファが、木製のテーブルを挟むように向かい合わせで二台置かれている。それらが一番目立つ家具だろう。他は普遍的な椅子と机、棚ばかりだった。

 とはいえ初めて入る部屋なので、つい無言で色々と見渡してしまっていた……なんかテーブルの上に、コンビニとかで売っているお菓子が盛られたバスケットが置いてあるんだが? 生徒会役員たちで食べてたりするのだろうか。


「何か御用ですか?」

「っと、篠宮先生からこれを持って行くように言われたので」 


 初めて入る部屋への興味や謎のお菓子やらで当初の目的が頭から抜けそうになっていたが、彼女の声で引き戻される。俺は手に持った書類やファイルを軽く持ち上げてアピールした。


「ありがとうございます。適当に置いていてください」


 そう告げて彼女は再び書類作業へと戻る。

 さて、どこに置こうか。木製のテーブルに置いてさっさと帰っても良いけれど、すぐ作業に使うものだったら態々取りに立ち上がらせるのも、な。

 そんなことを考えながら視線を彷徨わせていると、彼女が作業している机の端の方に若干のスペースがあった。ここなら作業の邪魔にはならずに、この書類やらもすぐ手に取ることが出来るだろう。

 そうして俺は書類とファイルを置き、生徒会室から退散することに。


「……少しいいですか?」

「え、えっと、何か?」


 出入口の扉に向かって歩き始めると急に呼び止められ、思わず体を跳ねさせてしまった。さっきので会話イベントは終了したと思っていたので、継続するとは思っていなかった。


「そこにあるお菓子、食べたいので適当に見繕ってくれませんか? お礼……になるかはわかりませんが、あなたも選んで持って帰って良いので」

「えぇ……?」


 何故? 俺が? ちょっとよくわからない。が、断固として拒否する理由も特別存在しない。


「……わかった」


 若干戸惑いつつもとりあえず了承して、俺はテーブルの上のバスケットへと目を向けた。ポテトチップスやビスケット、カステラ、他にも色んなものが入ってそうだ。ちゃんぽん鍋か何か?

 これは適当に、としては微妙にハードルが高いように気がする。好みとかもわからないし。となれば、食べやすいものを選ぶのが無難だろう。書類仕事をしてるのなら手が汚れる、あるいは食べカスが散らかりやすいものは避けるべきな気がする。

 そんなことを考えながら物色していると、個包装された一口サイズのチョコレートがあった。これなら丁度良いかもしれない。俺は自分用に一個、彼女に渡す用に三個手に取り、それを渡した。


「こんなもんでいいか?」

「はい。ありがとうごさいます」


 チョコレートを受け取ると、彼女は小さく微笑んだ。


「それじゃ、俺はこれで」


 そう告げて、今度こそ俺は生徒会室を後にする。

 来た時と同様に扉を開けて室外に出ようとした直前、耳に声が届く。


「ありがとうございます、渡来蒼良わたらいそら君」


 俺は振り向かずにそのまま生徒会室を後にした。

 

 廊下をゆっくりと歩きながら、俺の名を呼んだ彼女の名を呟く。


天ヶ崎雫あまがさきしずく、か……」


 これがただのクラスメイトだった彼女との、初めての会話だった。

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