第32話
郁は1度うずくまったままその場から動かなかった。
誰がどう声をかけても反応をせず、ジッと床の木目を見つめている。
そっとしておいた方がいいのは理解しているのだけれど、化け物はきっとまた暴れだす。
その時のための話し合いは必要だった。
「ねぇ、郁。少し話をしない?」
美麗が腫れ物に触れるように恐る恐る声をかける。
けれどはやり郁は黙り込んだままだった。
涙も枯れ果てて、無表情の視線はどこも見ていない。
「化け物は今は静かだけど、2時になったらまた暴れだすかもしれない。だから、もう1度あみだくじをしておこうと思うの」
すでにその用紙は用意されていた。
今度も、理沙が作ってくれたものだ。
もう、これ以外に生贄を選ぶ手立てはなかった。
「最初に郁が選んで。ね?」
美麗の声かけにようやく視線をさまよわせる反応を見せた。
「郁?」
声をかけると、やっと郁と視線がぶつかってホッと胸をなでおろした。
恋人を失ってしまった悲しみっで、完全に殻に閉じこもってしまったかと心配していたのだ。
自我がなくなって気が狂ってしまえば、きっと否応なしに次の生贄にされる。
「あみだくじ……」
郁がぽつりと呟いた。
「そうだよ。ほら」
美麗が理沙が作ってくれたあみだくじを差し出した。
それを見た郁の目がみるみる大きく見開かれた。
「生贄になるのは私のはずだった。あたりを引いたのは、私だった!」
また錯乱したように声を張り上げて頭を抱える。
美麗は慌てて郁の体を抱きしめた。
「大丈夫だよ郁。それはもう終わったことなの。次の生贄は別に郁じゃないんだから!」
なだめるためにそう言った瞬間だった。
突如郁は暴れるのをやめて静かになった。
落ち着いてくれたのかと思ったが、そうではなかった。
郁は何度もまばたきを繰り返して「そっか、次の生贄になればまた雄太に会えるんだ」と言ったのだ。
「郁、なに言ってるの?」
美麗は驚いて聞き返す。
「だってそうでしょ? 雄太はあの化け物に食べられて死んだ。それなら私も同じようにして死ねば、すぐに雄太に会いに行けるんだよね?」
そんなのわからない。
死んだあとのことなんて知らない。
美麗は愕然として郁を見つめるしかなかった。
郁は自分の考えを信じ込んでいるようで、みるみる頬に赤みが差してきた。
「それなら私、またもうすぐ雄太に会えるってことだよね? それならなにも怖くないよ」
あははっと声を上げて笑う。
その笑顔は壊れていた。
壊れたおもちゃみたいだった。
「郁……」
「あみだくじなんてしなくていい。そんな必要はないよ。だって今度は私の番だもん」
郁はまるでそれを心待ちにしているかのように鼻歌を漏らす。
美麗は軽い恐怖を感じて郁から距離を取った。
「大丈夫か?」
一部始終を見ていた昂輝が心配そうに声を掛けてくる。
美麗は左右に首を振った。
郁はこわれてしまった。
雄太を失って、なにもかもを自分で壊してしまったんだ。
「行こう」
昂輝は美麗の手を握りしめて、そっと郁から離れたのだった。
☆☆☆
雄太との思い出は楽しいものばかりだった。
勉強を教えてもらったときも、一緒にデートしたときもどれもこれもが七色に輝いている。
郁が一番心に残っているのは、今年の自分の誕生日の日だった。
その日は平日だったし、学校もあったから大きなお祝いは期待していなかった。
だけど雄太は放課後になると郁を誘って電車に乗り、海の見える丘に連れて行ってくれたのだ。
それは郁が雑誌で見て「いつか一緒に行ってみたいね」と話していた場所だった。
丘の上にはおしゃれなカフェがあって、そこでケーキを注文した。
チョコレートのプレートに書かれた《郁、誕生日おめでとう!》という文字に少し照れたりしながら、ふたりで楽しい時間を過ごした。
そして外へ出ると、ちょうど西日が丘を照らしていたのだ。
この夕日が見たかったんだ。
海に映るオレンジ色の夕日はキラキラと輝いてまるで宝石みたいだった。
ふたりで手をつないて丘からそれを見下ろすと、ふたりだけの世界に入り込んだかのような錯覚を覚える。
それから言葉はいらなかった。
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