3.嫉妬に駆られた乙女

 端末から全員が投票を済ませ、会議が完全に終わると、秋茜はぼく達に向かって言った。

「アタシはもう行くわ。残りの時間を静かに過ごしたい」

 そう言って立ち去ろうとする彼女を、ぼくは呼び止めた。

「待って」

 このまま無視される可能性もあると覚悟していた。だが、秋茜は素直に立ち止まってくれた。呆れた様子ながら、ぼくを振り返ってくる。その眼差し、その表情から、ぼくは判断した。今なら、彼女と話せる。

「君の話をもう少し聞きたい」

 ぼくの言葉に、秋茜はこちらへと向き直った。

「何のために?」

 冷ややかに訊ねてきたが、ぼくは怯まずに訴えかけた。

「今の君の事を記憶に留めておきたいんだ。このまま明日になる頃には、君は初めからやり直すのでしょう。そうなったら、この試験に手を貸して、姉妹たちを襲った君の意識やその動機はなかったことになってしまう。そうでしょう?」

 ぼくの言葉を聞いて、秋茜はそっと目を瞑った。

「別にそれでいいの。そのままなかったことになったってね」

 だが、秋茜は再び目を開けると、ぼくと蛍を見つめながら言った。

「けれど、どうしても知りたいのなら……聞いてくれるのなら、いいわ。話してあげる」

 そして秋茜は会議室内のいつもの席へと戻ると、そのまま席につき、ぼく達に語ってくれた。彼女自身の話を。

「どのくらい昔と言えばいいかしら。今のアタシにも受け継がれている記憶の海を辿れるだけ辿った先で、幼いアタシはいつも叱られていた。まだ読み書き計算も習わないような年齢から勉強というものをしていて、成績は優秀といってもよかったけれど、ちょっと間違ったら激しく叱責する先生のもとにいたの。その後も、十年以上はその先生の教えの下にいた。学校でのアタシは相変わらず成績優秀で、褒められる事も多くなっていった。でも、アタシの中には常に焦りがあったの。完璧でないといけない、優秀でないといけない、特別でないといけないって」

 でもね、と、秋茜は表情を歪ませた。

「成長していくにつれ、周囲の子たちにも個性が現れ始める。それまで、馬鹿だと思っていたような子が、何かの才能に目覚めて羽ばたくこともあるし、急に勉強を始め出して成績が伸びる子も現れる。そんな中で、アタシは藻掻いて、努力を重ねて、勉強も、運動も、全て上位に入るように心掛けて、完璧な大人を目指そうとした。けれど、ある日突然、アタシの心は破綻してしまったの。それまでもきっと心には罅が入っていたのでしょうね。崩壊してみれば一瞬だった。成績は落ちるし、運動も冴えない。何も出来なくなって、焦りだけが募っていった。そして、段々と気づいていったの。アタシみたいな人間は、完璧な大人になんてなれないのだって。そこからの転落は早かった。アタシは……自ら命を絶ってしまった」

 けれど、彼女は完全には死ななかった。

「学校で蘇生プロジェクトの意思表示をさせられたことは憶えていた。抽選って聞いていたし、どうせ当たる事はないだろうって思っていたから、適当に『はい』を選んだのよ。まさか、自殺者も選ばれるなんてね。目を覚ましてみてビックリしたわ。……でも、同時に実感したの。ああ、これは第二のチャンスなんだって。確かに、生身のアタシは結局、特別な何かにはなれなかった。でも、機械乙女になったアタシは違う。これからアタシはまた期待され、特別な存在になれるんだって。だから、しばらくは楽しかったの。ここでの暮らしが。期待されることが。試作品の空蝉のデータを基に作られた完成品として、この世に存在出来る事が。……でも、違ったの」

 ぼくは静かに秋茜を見つめた。脳裏に浮かぶのは、蜜蜂の事だった。第一シリーズ。ぼくのデータを基に作られた蛍や秋茜たちに潜む危険性。その存在こそが、彼女をまたしても苦しめたのだ。

「やがて、ここの人たちは、アタシたちのデータを基に、新しいシリーズを作った。今度こそ偽りのない完成品を。そうよ。アタシたちは未完成品だった。未完成ながら、調整するしかない存在だった。一方で、第二シリーズこそが、人々の望み通りの存在だった。その上、さらなる改良品の第三シリーズまで現れて」

 秋茜はそう言って、不敵に笑った。

「分かっていたわ。これは醜い嫉妬なのだと。でも、強い憧れでもあった。彼女たちになりたい。彼女たちが欲しい。そんな欲望で頭の中がいっぱいになる頃に、アタシは思い出したの。臨時試験という存在を。勝ち残れば要望を聞いて貰えるかもしれない。そこに希望を見出して、アタシはあなた達を襲った。でも、蓋を開けてみれば、彼らはアタシの体を作り替える事は難しいなんて言い出した。新しい体に記憶を移植して定着させる際に、失敗してしまう可能性があるからだって。それなら仕方ないって、アタシは試験を繰り返すことにしたの。何度も通信して、奪い続ければ、アタシはもっと完璧になれるかもしれない。そう思っていたから」

 そして、秋茜は、ぼく達へと笑みを向けた。

「これが全てよ。どう? つまらない動機だったでしょう?」

「……つまらなくなんて」

 否定しようとしたぼくを、秋茜は制止した。

「いいの。何も言わないで。これ以上、惨めな思いはしたくないの。とにかく、話はこれで終わりよ。今度こそアタシはいなくなるから、後はご勝手に」

 そう言い残すと、呼び止める間もなく彼女は立ち去ってしまった。

 しばらく無言でその背中を見送り、やがて見えなくなってしまうと、蛍がそっとぼくの手を握ってきた。その顔を見つめ、ぼくはようやく我に返った。

 ──勝ったんだ。

 その事にようやく心が湧いた。そんなぼくに向き合って、蛍は静かに告げた。

「就寝まで、まだまだ時間がある」

「……そうだね」

 短く答えるぼくの目を見つめ、蛍は告げた。

「あなたと共有したい感情が……記憶がたくさんあるの。憶えている事も、憶えていない事も、これから一緒に思い出したい」

 純粋に希望を口にする彼女を見つめていると、心の奥底から熱い思いがこみ上げてきた。ぼくは黙ったまま蛍に唇を重ねた。通信ではない。ただただ重ねただけだ。生身のぼく達がかつてしたことのあるその愛情行為の再現は、かつてのような温もりも柔らかさも、なかなか感じる事は出来なかった。それでも、ぼくは心が満たされるのを感じた。

唇を離してから、ぼくは蛍に囁いた。

「蛍」

 その目がこちらを見つめてくるのを待ってから、ぼくは彼女に言った。

「今日は、ぼくの部屋においでよ」

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