◆ 6日目

1.これまでにない朝

『投票の結果、日暮さんが強制停止となりました』

 端末に表示されたメッセージを見つめ、ぼくは静かに詳細を選択した。日暮に投票した人物は三名。瑠璃星、秋茜、蛍だ。そして、蛍に投票したのは二名。日暮と、そして、ぼく。たったの一票違い。だが、どちらに転んだとしても、作戦は続く予定だった。

 破壊されるよりはマシとはいえ、罪なくして吊るされる事を理由なく許すことなんて滅多にないだろう。けれど、日暮は違った。彼女の口癖はどちらでもいい、だった。稲子が壊されて、蟋蟀が吊るされて、一人残され続ける寂しさを思えば、蟋蟀と同じ目に遭いながら再会を待つのも悪くないと彼女は言っていた。けれど、その一方で彼女は言ったのだ。犯人には好きにさせたくないのも確かだと。

 だから日暮は、ぼくに協力してくれると約束したのだ。きっと、七星も同じだったのだろう。蛍のリングを手に握っていたのも、それが理由のはずだった。他に引っ掛かることがあるとすれば、ぼくが蛍からきちんと通信の弊害について教えて貰っていなかった事についてだが、それについては本人に聞けたらいい。

 ドアベルが鳴り、ぼくはすぐに応対した。廊下に立っていたのは、瑠璃星でもなければ、秋茜でもない。蛍だった。蛍は何も言わず、無言のまま一方を指さした。中庭の方角だ。静かに視線を向けると、その先には──犠牲者がいた。

 記憶の樹の根元に投げ捨てられるように倒れている。その姿を目に焼き付けていると、脳裏にかつての光景が浮かび上がった。紋白蝶も倒れていたあの場所。あの場所で、かつてぼくは同じように倒れている蛍の姿を見た。そして、それ以前に蛍は、あの場所で同じように倒れているぼくの姿を見た。

 今倒れているのは、そのどちらでもない。少なくとも、ぼくは初めて目にする状況だった。蛍もそうなのだろうか。黙ったまましばらく記憶の樹の根元を見つめ、彼女はぽつりと呟くように言った。

「記憶の樹の名前の由来とその歴史、あなたは憶えている?」

 黙ったまま首を横に振ると、蛍はそのまま教えてくれた。

「あれはね。この施設が出来るよりずっと前に植えられた木なんだって。今から百年近く前、この辺りで大きな災害があって、その復興を記念して植えられたのがあの木だった。災害の記憶を忘れないための木。けれど、時が経つにつれて、ここに暮らす人々のあの木への思い入れも薄れていった。そして、当時を知る人がいなくなった時、この辺りの土地が生まれ変わることになり、この『蜘蛛の巣』が建設されることになった」

 その話を静かに聞きながら、ぼくは中庭を見つめ続けた。木の枝が揺れている。その動きをただただ見つめていた。

「老いたあの木はどうするべきか。そんな話もあったのですって。でも、責任者が記憶の樹に新たな意味を重ね合わせた。いずれここで暮らすことになる機械乙女たちにとって、記憶とは自分がまだ辛うじて人間であることの証明でもある。あの木は、そんな彼女らを見守るのに相応しい。それで、記憶の樹はそのまま残されることになったの。これが、記憶の樹の名前の由来と歴史の話」

 蛍が語り終えると静寂が訪れた。その静けさに居たたまれなくなり、ぼくは笑みで誤魔化しながら彼女に言った。

「よく知っているね。その話、誰から聞いたの?」

 すると、蛍はぼくへと視線を向けて、淡々と答えた。

「あなたよ」

 その言葉を聞いても、ぼくはやっぱり何も思い出せなかった。

 けれど、それでも、記憶の樹の姿を目にしていると、ぼくの脳裏には、ぼくが体験した記憶が絵となって浮かび上がった。その全てはここで暮らしていた時の事のはず。ああ、確かに、あの木はぼく達の守護者に相応しいのかもしれない。機械乙女になってしまった後だとしても、その一つ一つは、思い出せた方がいい、大事な記憶に違いないのだから。

 記憶の樹の姿を前に、ぼくが思い出したのは、だいぶ前の記憶だった。

 あの木の下で、初めて蛍と二人きりで話した時の記憶。それは、ぼくが機械乙女として安定して稼働できるようになった頃のことだ。ぼくのデータをもとに作られた、当時の完成品。第一シリーズの一作目である「蛍」が誕生し、目を覚ました時代の事だ。その中身が誰なのか、彼女が目覚めるまで、ぼくは気づかなかった。目覚めた後も、内心、似ているとは思いつつも、彼女だとは思わなかった。だから、蛍の中身が大事な恋人であると分かった時、ぼくは嬉しさと驚き、そして悲しみを同時に抱える事になったのだ。

 大事なぼくの恋人には人間として幸せになってほしかった。そしていつか、ぼくも人間として世に戻り、そこで再会したかった。けれど、蛍はというと、ただただぼくとの再会を喜んでいた。これで一緒にいられる。記憶の樹の下で、そう呟いた彼女の顔を、ぼくは今更ながら思い出していた。

 と、その時、チャイムが聞こえてきた。

 流れるのはアナウンスだ。姉妹が破壊されたことを告げ、会議室へと向かうように誘導するいつもの内容。その声に耳を傾けながら、ぼくはふと蛍に話しかけた。

「あの人は?」

 記憶の樹で倒れていない方の、残されたもう一人の姉妹。彼女の気配すら感じられない。蛍は答えた。

「部屋にはいないみたい。多分だけれど、すでに会議室にいるのだと思う」

「それなら、ぼく達も行かないとね」

「そうね。終わらせる前に、話くらいは聞いておいてあげましょう」

 手を差し伸べられ、ぼくは迷わずに握り返した。

 共に歩みだしながら、ふと思い出し、ぼくは蛍に言った。

「そういえばさ、通信の弊害の事だけど、ぼくは全然分かっていなかった。昨日あの二人に教えて貰った時は素で驚いてしまったよ」

「怒っている?」

「ううん。ただ、驚いただけ。でも、どうして教えてくれなかったの?」

「それは……怖かったから。あなたに拒絶されるんじゃないかって」

「拒絶されるのが怖かったの?」

 問いかけると蛍は少しだけ立ち止まり、渋々ながら頷いた。

「あなたとまた恋人に戻りたい。そう思ったら、焦ってしまって」

 蛍は気まずそうに目を逸らしつつ、続けて小声で言った。

「だから……ごめんなさい」

 そんな彼女の表情が少し愛おしくなったけれど、ぼくは笑ったりせずに答えた。

「いいよ。許してあげる」

 そんなやり取りをしているうちに、ぼく達は会議室へとたどり着いた。扉を開けてみれば、蛍の言う通り、そこにはもうすでに残された姉妹が待っていた。彼女はぼく達の姿を見て、腕を組みながら言った。

「遅いじゃない。待っていたのよ」

 その姉妹──秋茜に対して、ぼく達はそれぞれ詫びを入れたのだった。

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