3.この試験の意味

 会議室から解放され、蛍の部屋に二人きりになった後も、ぼくはしばらく蟋蟀の事を引きずっていた。彼女は時間いっぱい自分たちの事を話し続けた。止める者はそこにはおらず、ただ皆、耳を傾けていた。蟋蟀の身の上話、蟋蟀が知っている限りの稲子の身の上話、そして、日暮も含めたここでの生活と、彼女らで話し合ったという未来の希望。そうした内容をずっと語り続けているうちに、彼女は声を震わせ始めた。その目から涙は流れない。第二シリーズだから。けれど、生身の体か、第三シリーズの体であれば、涙を流していただろうことは想像がついた。

 ──俺はさ、生きていた頃は自暴自棄だったんだよ。

 蟋蟀は言った。

 ──今日明日のことしか考えていなかった。だから、全力で音楽ばっかやってた。

 語りながら彼女はぼくたちを見つめてきた。

 ──体を壊すなんてこと、全然気にしていなかった。でも、この体になって、やっと俺、壊れたくないって思えたんだ。

 それこそが、稲子や日暮との交流の賜物だったのだと。それでも、彼女は願ったのだ。今は眠りたいと。壊されてしまうくらいなら、眠った方がマシだと。

「どうなると思う?」

 考え込んでいると、蛍がそっと問いかけてきた。

「なにが?」

 すぐに問い返してみれば、蛍は静かに囁いてきた。

「今日の投票結果の事。どうなってしまうと思う?」

 ぼくは少しだけ考えてから、正直に答えた。

「蟋蟀になっちゃうかもって」

 そんなぼくの言葉に、蛍も静かに頷いた。

「わたしもそう思う。そうならないで欲しいけれど」

 蟋蟀の話を最後まで聞いた他の姉妹たちが、どのように思っているか分からない。昨日の蜜蜂の時のように、蟋蟀の話に飲まれて彼女に投票していたとしてもおかしくはない。

「いずれにせよ、今は祈るしかない。それよりも、明日以降の事を確認し合わないと」

「……明日以降の事」

「ええ。今回は蟋蟀が票を集めるかもしれない。そんな流れをなんとなく感じた。同じことを犯人も感じていたかもしれないでしょう。秋茜と瑠璃星。彼女たちがどちらに投票するかをよく見ておきたいの」

 蛍はそう言って、自分の端末をチェックした。投票の詳細を見ているらしい。

「昨日も、一昨日も、あの二人は同じ人に入れている。明日で別々になってくれたらいいのだけれど」

「どうだろうね。なってくれるといいけれど」

 瑠璃星と、秋茜。二人のこれまでの事を考えた。蟋蟀が試験と関係のない事を語ろうとした時、瑠璃星は止めようとして、秋茜はそれを促した。そこに意味はあるだろうか。瑠璃星はいつも場を取り仕切ろうとするが、秋茜はあまり取り仕切ろうとはしない。そこの違いはどこから来ているのだろう。

 ぼく達と同じく犯人ではない金蚊は常に瑠璃星を厳しく見つめている。場を取り仕切るからこそ、警戒しているのだろう。では、蛍は何故。彼女はどうして瑠璃星ではなく、秋茜に入れているのだろうか。

「ねえ、蛍。確認していい?」

 問いかけると、蛍はぼくに密着してきた。

「いいけれど、その前に通信させて」

「通信……何を知りたいの?」

「昨日、一昨日の引き続き、あなたの記憶よ。あなたの言っていた事、蟋蟀の前回の姿を見ておきたいの。そのついでに、あなたの確認したいことも読み取っておく」

「分かった。いいよ」

 ぼくが許可をすると、蛍は手を繋ぎ、そしてぼくを抱き寄せた。その瞬間、密接する肌と肌がめくれ上がり、内部が接続されていった。そこに安心感と快楽が生じて、意識が飲まれていく。そして完全に真っ暗になった後、ぼくは、ぼくのものでない記憶を目撃した。

『こんな試験に……何の意味があるの』

 そこは、会議室だった。俯きながら姉妹たちを睨みつけるのは、蛍だ。蛍の視界の記憶がぼくの脳裏に流れ込んできていた。

『わたしがやったというのなら、それでもいい。でも、これだけは言わせて。空蝉を壊した犯人を、わたしは絶対に許さない』

 怒りに満ちたその声の後で、場面が飛んだ。蘇るのは、彼女が目撃しただろう惨状の景色。記憶の樹の根元で無残な姿で横たわる、ぼくの姿だった。鏡に映るぼくと全く同じ姿の人形が、ぐちゃぐちゃになって散乱している。その姿に蛍が受けた動揺が、直接ぼくに伝わってきた。必要ない呼吸が荒くなり、眩暈が生じる。ないはずの脈拍が早くなっている気がした。症状は酷くなっていき、気づけばぼくはがっくりと力を失っていた。

 そんなぼくからゆっくりと体を離し、蛍は様子を窺ってきた。

「大丈夫?」

 焦るようなその声に、ぼくはぎこちなく肯いた。

「だ、大丈夫。ごめん。ちょっとびっくりして」

 そしてすぐに起き上がり、ぼくは蛍に問いかけた。

「それよりも、ちゃんと確認できた?」

 ぼくの問いに、蛍は頷いた。

「状況は分かった。前回は、蟋蟀も吊られる事を拒んでいたのね。それをわたしも目撃していた。でも、忘れてしまっている。壊された衝撃のせいでしょうね」

 そう言ってから、蛍は思い出したように、ぼくに言った。

「ああ、そうだ。秋茜に投票した理由だったわね。理由は特にないの。どっちでもいい。秋茜で終わらなかったら瑠璃星ってだけよ」

「なるほど」

「……でも考え直した方が良かったかもね。金蚊や花虻の動きも考えて、瑠璃星にしておいた方が良かったかもしれない」

「あの二人は今日も瑠璃星かもしれないもんね」

「ええ」

 会話の後、しばしの沈黙がやってきた。しんとする中、ぼくは居たたまれなさを身動ぎで誤魔化してから、そっと蛍に切り出した。

「ねえ、蛍」

「なあに?」

「この試験って意味があるのかな」

 蟋蟀の姿と、通信で目撃した蛍の姿が頭を過る。だが、目の前にいる蛍は、通信で目にした蛍と違う表情を見せた。

「今覗いた記憶の話ね? わたしでさえ、あなたとの通信でようやく思い出せたような、しがない記憶よ」

「でも、気になったんだ。これって意味があるのかなって」

 不安に苛まれるぼくの手を握り、蛍は言った。

「ある。そう信じたい」

「どうして?」

「この試験に勝てたら、スタッフたちは生き残った者たちの希望も多少は聞いてくれるそうよ。そこで要望を出したいの。試験の是非について考え直して欲しいって。データを取るにしても、私たちの心身に負担をかけないものにして欲しいって」

「聞いてくれるかな、あの人たち」

 特に、ぼくの伯母だという幽霊蜘蛛は。肉親の事を悪く思いたくないところだが、今のところ話が通じる人だとは思えない。だが、蛍は揺るぎない眼差しで言った。

「何も言わないよりはマシでしょう。だから、わたし、生き残りたいの」

 そんな彼女の強い言葉に、ぼくもまた引き寄せられるように手を握った。

「分かった。一緒に頑張ろう」

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