2.不具合を抱えた人形
「あたしでいい」
会議室にて、話し合いが始まるなり、蜜蜂はそう言った。
「寧ろ、あたしを選んでほしい」
放心状態で告げる彼女に、やや遅れて花虻が口を開いた。
「蜜蜂……何を言っているの!」
「だって、あたしかもしれない。お姉ちゃんは違うって信じてくれるけれど、あたしはあたしの事を信じられない。何も覚えていないのだもの。どうして、蜉蝣の部屋にいたのかが思い出せないから」
蜜蜂の姿を見つめながら、ぼくはふと蜉蝣の様子を思い出した。
姉妹が壊される手段については、昨日、蛍から直接教えて貰った。相手が苦しいと訴えても無視して通信を続ければ、あのように故障する危険性があるということだ。
蜉蝣もそうやって壊されたのは明白だった。誰か他の姉妹と、合意の元、あるいは強制的に繋がり、壊されてしまった。
何の情報もないならば、蜜蜂はどう見たって怪しい。ぼくだって、もしも記憶がなかったなら、蜜蜂だと思っただろう。感情のみで彼女を庇えるのは、実の姉である花虻だけであるのは間違いなかった。
「駄目」
花虻は言った。
「絶対に認めない。蜜蜂なわけがない。この子はそんな子じゃないもの」
声を詰まらせながら訴える花虻に対し、冷静な態度で日暮が問いかけた。
「そうは言っても、こちらとしては信じるだけの根拠が欲しい。誰か、他に蜜蜂を庇える人はいないの?」
その問いに、瑠璃星の視線がぼくを見つめた。
「そうだ。さっき、空蝉君は蜜蜂君じゃないと言っていたね。憶えているって?」
姉妹たちの視線を受けながら、ぼくは恐る恐る頷いた。
「前の試験でも蜜蜂が同じような状況で疑われて、選ばれてしまったんだ。でも、試験は終わらなかった」
ぼくの発言に対し、瑠璃星は他の姉妹たちを見つめた。
「この事を憶えている姉妹は他にもいる?」
だが、誰も手を挙げなかった。
誰もいない。そんなバカな。
その事実に少し驚いた後、冷静になって当時の事を思い出してみた。蜜蜂が吊られたあの日、被害者は花虻だった。残されていたのは、ぼくと蛍、瑠璃星と秋茜、それに七星と揚羽だった。そのうち、記憶があると主張していたのは、確か揚羽だけ。その彼女は今回強制停止になってしまっている。
──不味いかもしれない。
誰も何も言わない事を確認してから、瑠璃星は口を開いた。
「どうやら空蝉君以外にはいないらしい。となると、空蝉君の記憶を信じるかどうかという話になるわけだが……」
「鵜呑みには出来ないわ」
腕を組みながらそう言ったのは、秋茜だった。
「だって、所詮は他人の記憶だもの。しかも、空蝉は蜜蜂と同じじゃない。不具合だらけで記憶も安定していない」
「そうかもしれないけれど、でも、今回は確かなんだ」
ぼくは慌てて反論した。だが、さらに蜜蜂が発言した。
「空蝉だって、あたしと同じ。だから、どんなに庇って貰っても信じられない。ねえ、皆。お願い。あたしに投票して。あたしを楽にして欲しいの」
「蜜蜂」
咎めるように花虻が呼びかけるが、蜜蜂は首を振るばかりだった。
「一度こうなっちゃうと、もう駄目なの。あたし、起きていたくない。もう一度、修理してもらいたい。今度こそ不具合のない体にしてもらいたいの」
「不具合なんてない。大丈夫だから」
花虻が宥めようとするも、蜜蜂のパニックは治まらなかった。第一シリーズの彼女は、ぼくと同じで涙を流すことは出来ない。それでも、ぼくには彼女の涙が見えるようだった。前回の試験での日暮の姿にも近いものを感じる。
慈悲による投票の呼びかけ。誰に入れるべきか分からない迷える状態の姉妹にとっては、正しい道へと誘導する道標にすら感じてしまうだろう。ぼくだって、何も覚えていなかったらそうしていたかもしれない。
でも、違う。
「君じゃない」
ぼくは蜜蜂に言った。
「君が憶えていなくたって、他の誰も憶えていなくたって、ぼくは憶えている。君じゃなかったんだ。だから、そんな事を言わないで」
「──そうよ。お願いだから、そんな事を言わないで」
花虻もまた、ぼくに続いて訴えかけた。
「あの日の事……最後になった家族旅行の夢を時々見るの。眠っている間に、お父さんもお母さんもいなくなって、お葬式にすら出られなかった。どんなに懐かしんでも、過去には戻れない。それでも、この体で生きる事を今も拒まずにいられるのは、あなたがいるからなの。あなたが一緒だから、肉親として、姉として、頑張らなきゃって思えるの。だから、お願い。そんな事を言わないで」
その必死の訴えが、どれだけ蜜蜂に届いただろう。
ぼくは静かに蜜蜂を見守った。けれど、とても残念だけれど、蜜蜂の様子はあまり変わっていなかった。
「お姉ちゃんは、あたしがいなくたって大丈夫」
蜜蜂は言った。
「だって、不具合が起きた事なんてないもの。でも、あたしは違う。あたしがこんなだから、第一シリーズは未完成品って事になったんでしょう。それも、皆と違って、どんなに修理しても直る様子がない」
「昔よりは改善はしていると聞いているが」
瑠璃星が静かに口を挟んだ。
「それに、強制停止もまた頻繁にしない方がいいと聞く。そのために悪化してしまう事だってあるらしい。もしかしたら、目を覚ませなくなることだって──」
「だったらあたし、もう目を覚まさなくたっていい」
「蜜蜂!」
花虻が一喝するも、蜜蜂の心には全く響いていないようだった。
「あたしがいなくなっても、お姉ちゃんは大丈夫だから」
それっきり、蜜蜂は沈黙してしまった。
花虻はその後も、蜜蜂ではない事を訴えようと発言を繰り返した。ぼくもまた、憶えている事を何度も繰り返し、蜜蜂に票が集まることを阻止しようと奮闘した。けれど、全く手応えを感じなかった。
他の姉妹たちは考え込むばかりだった。その心の中を覗く術はない。結局、誰が何を感じているのかも分からないまま、時間は来てしまった。
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