3.あの日の記憶

 その日は、ぼくにとって特別な日だった。

 新しい一年が迫りくる年末。肌寒い季節はあまり好きではないけれど、一年前、そして二年前の事を思い出すと、心が高揚してしまう。

 ぼく達がお互いを意識し合うようになった頃の事を、ぼくはよく覚えていた。小さい頃から見知った仲ではあったけれど、心身が成長し、同じ年頃に生まれ育った皆が恋というものに敏感になり始める思春期になって、ぼくは気づいたら君の事ばかりを見つめている自分に気づいたのだ。

 ぼくは女の子だ。ぼくもまた、いつかは男の子に恋をするものだと思っていた。

 けれど、どうやら違ったらしい。

 同じ年頃の女の子たちがカッコいい男子や男性に心をときめかせ、黄色い声を上げ始めるその陰で、ぼくは君ばかりを見つめていたのだから。君と話すだけでドキドキしたし、何かある度に君の事ばかりを意識してしまう。そんな日々が続きつつ、ぼくは勇気を持てなかったのだ。

 君は女の子だ。君もまた、男の子に恋をするものだと思っていた。

 けれど、どうやら違ったらしい。

 年を重ね、体はどんどん大人に近づいていく。子供と大人の境をさまよいながら、どんどん無邪気な子供時代が遠ざかっていく。同じ学校に進学すると決まった春先、ぼくはようやく君に対して勇気を持つことが出来たのだ。

「また同じ学校だね。よろしく」

 出来るだけ、ぼくは本心を抑え込み、君に悟られないようにしながら声をかけた。そんなぼくに、君もまた表情の読めない顔で答えたのだった。

「──よろしく」

 伸ばした手を握って貰えた時の温もりが、今も記憶に刻まれている。

 そして、入学初日、ぼくは同じ教室で君の姿を見つけたのだった。それから、ぼく達の交流は始まった。教室の隅っこで、賑やかなクラスメイト達の声を背景にしながら、ぼくは君との時間を味わい続けた。最初の頃は、君と話せるだけで楽しかった。意識し始めつつも話しかける事すら殆ど出来なかった時に比べれば、ずっとマシだったから。でも、段々とぼくはその先を求めるようになってしまっている事に気づいた。

 ──その先って何?

 自問自答したのは、夏の初めの頃だった。

 ぼくは君とどうなりたいのだろう。

 一緒にいるだけで幸せというのは間違いなかった。このまま良好な仲が続けば、大人になっても、末永く、君と友達でいる事が出来るだろう。でも、それだけでいいのだろうか。いつか君に恋人が出来て、家族が出来て、ぼく以外の人たちに囲まれて老いていき、死んでいく。そんな未来を想像した時、ぼくは何故だか切なくなってしまったのだ。

 ぼくは、君と、どうなりたいのだろう。

 仲良くなり始めて半年。ぼくは君との交流を楽しむ一方で、自分の気持ちを整理し続けた。学校の行事は勿論、放課後のささやかな時間、休日の約束や季節のイベント、それにお互いの誕生日。あらゆる思い出を重ねていくうちに、ぼくの中での君の存在はどんどん大きくなっていった。

 そして、秋が終わる頃、ぼくはとうとう答えに辿り着いたのだった。

「ぼくと……お付き合いして欲しいんだ」

 拒絶されるかもしれない事は分かっていた。そうなれば、友達には戻れないかもしれないという事も。それでも、ぼくは抑えきれなくなって、覚悟を決めたのだ。そんなぼくを、君はいつものように見つめていた。感情を押し殺したような眼差しが、何を意味しているのか初めは分からず、ぼくは心臓を突かれるような緊張に耐えていた。

 長い沈黙の末、やがて君は答えてくれた。

「わたしでよければ」

 ぼくは顔を上げた。その目に映る君の顔は、いつもと変わらない。まるで、これから食べるご飯を何にするか話し合っていたかのような、そんな平然とした顔で、君はそう答えたのだ。夢でも見ているかのような気分に陥り、喜びを実感するまでの間に時間差が生じた。それでも、じわじわと感動が浸透し、ぼくは君の両手を握った。

 その後、何と言ったのだったか、正確には思い出せない。ただただ喜びの感情に取りつかれ、興奮気味に君を抱きしめた事はよく憶えている。その時の温もりと、感触も。

 大好きな君が、恋人になった。大好きな君の、恋人になれた。その事があまりに嬉しくて、それからはしばらく、何をしても楽しかった。

 翌年、君とは違うクラスになってしまった。友達を作るのが苦手だったぼくは、いきなり孤独になってしまった。けれど、どうやらそれは君も同じで、休み時間の度に二人でこっそり会って話すのは、秘密を共有しているようで楽しかった。

 だからこそ、なのだろう。その一年で君と築いた思い出は、前の年のものよりもさらに色濃く残っている。君との時間はあっという間で、春夏秋冬が瞬く間に通り過ぎていく。そして、ぼく達が付き合い始めた冬の日がやってきたのだ。特別な一日を二人で過ごし、町に繰り出し、そして、ぼく達は約束した。一年後も何事もなく絆を深め合えたら、また同じようにデートをしようと。

 翌年、ぼく達はまた同じクラスになった。進学か、就職か、選択迫る一年は、とにかく忙しかった。ぼく達は進学を希望していたから、受験勉強に追われていた。前年までのような余裕はなかったけれど、共に勉強をして励まし合う事は、それはそれでとても楽しかった。君はとても優秀だったから、ぼくは必死に勉強した。君と同じ学校にまた通うために、努力をしなくてはいけなかった。でも、君との未来のためだと思うと、その努力はちっとも苦痛じゃなかった。そして、夏が過ぎ、秋が過ぎて、ぼく達が付き合い始めた冬がまたやって来る。

 受験の追い込みの時期。だけど、一日くらいは、と、ぼく達はデートの約束をしていた。

 その道を通ったのは、単なる気まぐれだった。待ち合わせまでの時間にはゆとりがあったのだけれど、ただ何となくその道の景色を見たくて歩いていたのだ。その先が、交通事故の多い危険な区域だという事も、知ってはいた。ただ、その時のぼくにとってはきっと、他人事に過ぎなかったのだろう。

 その直前まで、ぼくは全く予想もしていなかったのだ。

 君の待つ場所へ向かうその道半ばで、何気ない日常が終わりを告げてしまうなんて。

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