キスをしなければ世界が滅ぶのに、幼馴染はじらしたがる

円 一

プロローグ

――パンパカパーン


 間抜けなファンファーレが鳴り響いた。


 俺が目を覚ますと、周囲は白い空間に包まれ、目の前には純白のワンピースを着た美少女がいた。

 年は俺より少し上くらいだろうか。黄金色の髪の毛を腰の長さまで伸ばし、肌の色素が雪のように薄い。それなのに整った顔立ちには、どことない人を惹きつけるような愛らしさがある。まるで絵画から抜け出してきたような現実離れした可愛さである。


「あれ。お姉さん、誰?」


 俺が尋ねると、その美少女はにやにやと悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。


「はーい。天使でーす」


 いやに軽い言い方だったが、驚いたことに、お姉さんの背中から羽根が飛び出した。ばっさばっさと羽ばたくと、彼女の足が地面の拘束から解き放たれ、身体全体がふわりと浮かび上がった。


「え。なにこれ。俺、死んだの?」

「違う違う。ちゃんと生きてるよ」


 お姉さんは浮かび上がったまま、俺の頭の周りをくるりと回ってみせた。ヤバい。一瞬、スカートから白い太ももが露わになった。俺はすぐに目を逸らしたが、相手が天使ならまあ気にしないかもなと思い直して、ガン見を続けることにした。


「じゃあ、なんで?」


 俺が聞き返すと、お姉さんは何故かはわからないが、すーっと俺から引き気味に後退しながら「ふっふっふ」と笑った。それから、どこに隠し持っていたのかラッパを取り出すと思いっきり吹いた。あの間抜けなファンファーレが再び辺りに鳴り響く。


 どうやらあの音はお姉さんが鳴らしていたらしい。


「おめでとうございまーす。あなたは指名されました!」


 お姉さんはそう言って俺に祝いの言葉を投げかける。まるで俺がホストクラブに勤務して初指名をゲットしたかのようなノリだ。いや、よく知らないけど。


「何に?」


 しかし、こんな異常な状況でそれを喜ぶ気にもなれない。俺はまず必要な情報の補完を目指す。


「救世主にです!」

「救世主って、なんの?」

 こんなシチュエーションでなければ、美人なお姉さんとの会話を続けるのも悪くはないが、それよりも今はもっとちゃんと説明して欲しい。


「世界に決まっているじゃないですか。セ・カ・イ!」


 お姉さんは人差し指を左右に振りながら言う。


「世界って……。よくわかんないけど、じゃあ俺が世界を救うってこと?」

「うん、まあ……」


 と、ここでお姉さんは俺から目を逸らすと言い淀んだ。途端に俺は何か圧倒的によくないものを感じて不安に襲われる。


「うーん。……けど……まあ、確かにそうか……」

「何が?」

「うん。なんていうか……なにをやっても三日坊主の人がいたとしても、それを飽きっぽいととるか好奇心旺盛ととるかは、その人の感性次第だから、別にいいのかもねって話」

「だから何がだよ!」


 彼女の個人的な喋り方の傾向なのか、それとも天使というものが全体にそうなのか、さっきからどうもまどろっこしい。俺は思わず声を荒げた。


「世界を救うっていうかねー。逆なんだよねー。君が失敗すれば世界は滅びます」


「は?」


「だからね。悪の大魔王を倒してくれーとか、世界の秘密に繋がる謎を解明してくれーとかじゃないの。君が成功すれば世界は今まで通り何も変わんないんだけど、君がもし失敗すれば世界が滅びます」

「そんなこと誰が決めたんだよ!」

「神様」


 そりゃそうだ。ぐうの音も出ない。どうやら動揺のあまり、頭の働きが鈍っているらしい。とりあえず落ち着け、俺。


 俺は大きく深呼吸をすると、彼女の顔を睨んだ。


「ちゃんと一から説明してくれよ」

「もちろん。えーと……ね、つい先日のことなんだけど、神様があまりに人間が好き勝手やるもんだから怒っちゃってさ。それで、もう人間滅ぼしますぅって言い出しちゃってね」


 なんだ、その緊迫感のない喋り方は。本当に、そんな幼児のような言語能力の神様に、人類は命運を握られているのだろうか。それともこの天使の口真似に悪意があるだけなのか。どっちにしろ嫌だ。


「けどさ、そんな簡単に言ってくれちゃうのはいいけど、こっちは大変なわけじゃん。人類滅ぼすってなったら、かなり大規模なプロジェクトになるでしょう。たたでさえ、もうすぐ一四半世紀の締め日が近づいていて、どこの部署も人員や予算の余裕があるわけないのにさ。そもそも、今の時代、コンプライアンスも厳しくなってるから、正当な理由もなくそんなことしたら、かえって炎上もんなわけ。それをあの天使長連中なんかさぁ、俺らの時代はちょっと人類が生意気やったらすぐ滅ぼしてやったとか昔の自慢話してきて、もうウザすぎ! そうやって好き放題やってきた結果、今の私たち世代がそのツケを払わされてるってこと、ちゃんと自覚しろっつーの! ねえ、わかるでしょう?」


「は、はぁ……」


 あまりの剣幕に、そう相槌を打たざるを得ない。しかし、なんていうかお姉さんの愚痴をきいてると、その事情は人間社会とあまり変わりないという気がしてくる。俺はまだ十五歳なので、そこまで実感はないが、察するものはある。


「まあ、そういう事情もあって、天使組合で神様に寛恕を乞うた結果、どうにか人類にも一回だけチャンスが貰えたんだよね」


「そのチャンスに人類代表として選ばれたのが俺ってこと?」


 そう尋ねると、お姉さんはこくりと肯いた。


「そういうこと。話が早くて助かるわー」


 ちょっと待ってくれ。そんなの荷が重すぎる。そもそも神様の試練ってあれだろう? その者の心が、どれだけ清く正しいかを試されたりするんだろう。そんなん、さっきお姉さんのスカートの中を覗こうとしたから、すでに人類滅んでない? 俺のえちぃ気持ちが、人類滅ぼしてない?


「大丈夫、大丈夫」


 と、お姉さんが言った。俺は考えごとをしていた時だけに、スカートの中を覗こうとしたのがバレていたのかと思ってドキリとする。


「ゆうて人類を滅亡の危機から救うったって、そんな難しいことさせるわけじゃないから」

 あ、あー。そっちね。俺は安堵すると同時に、どうにか態勢を立て直すと、尋ねる。


「つまり俺はなにをすればいいの?」

「愛を証明してみせて欲しいの」

「愛?」

「そう。だから君のように天使のスカートをのぞこうとする邪な人間でも、ちゃんとチャンスはあるから安心して」

「え、え? な、なんのことでございますでしょうか?」

 しっかりバレていた。思わず呼吸がヒュッてなる。


「君は永嶺つばめちゃんって知ってるでしょう?」

「知ってるもなにも、つばめなら幼馴染みだけどーー」

 俺は、これから何をさせられるのか、恐る恐る答える。

 永嶺つばめは、隣の家に住む同い年の女子で、彼女のことなら物心ついた時から知っている。幼稚園から高校まで、ずっと同じという腐れ縁でもある。


「今日から一週間、一日一回、永嶺つばめちゃんとキスしてください」


「え?」

「あれ? 聞こえなかった? キ・ス! Kiss。口づけ。接吻。口吸い。お口チュッチュ。マウストゥーマァーウス!」

「いや、それはわかるけど!」

「それならよかった。じゃあ、そいうことで!」


 お姉さんはそう言うと、いきなり天高く舞い上がり、天上へと帰っていこうとする。


「いや、早い早い! 漫才のネタ途中にいきなり話を切り上げようとする漫才師のネタか!」

「おお~ん?」

 するとお姉さんの動きがぴたりと止まった。それから、ふよふよと降りてきて、俺の耳元に顔を近づけると、ニヤニヤしだした。


「へえ~。ほほお。ふ~ん。漫才のネタ途中にいきなり話を切り上げようとする漫才師のネタですか。ふむ、なかなか結構なお手前で。ひゅうひゅう」

「ちょ! ……ちょっと……近過ぎ……だか……もう少し、あの……離れてもらっていいですか?」


 くそう。明らかに遊ばれてやがる。自分でも顔が真っ赤になっているのがわかるが、どうしようもない。


「それより、ちゃんと説明して欲しいんだけど、一日一回、その……キスしろってどういうことだよ」

「だから言葉のまんまだよ。今日起きてから七日間、日付が変わってから夜七時を過ぎるまでの間に一日一回、君の幼馴染の永嶺つばめちゃんとキスすればいいだけ。そうすれば人類は愛を証明したことになるので、滅亡ルートは回避されます」

「なんで、それが愛を証明することになるんだよ」

「あれ~? キスなんかより、もっと過激なのがよかった? でも、ごめんね。やっぱり私たちも光属性側の立場だから、未成年にあんまりダークネスなことはさせられないじゃん」

「なんの話!?」

 さっきからどうも振り回されっぱなしだ。一向に会話の主導権が握れない。

 お姉さんは堪えきれずに吹き出した。


「あはは。ごめーん。今のは、私が意地悪だったね。てかさ、君の言いたいこともわかるんだけど、じゃあ愛を証明するのに相応しい方法が本当にあるのかって話になってくるでしょう。そうなると、どういうルールであっても恣意的な部分が出てくるから、こうなったら、いっそ形式を重視しましょうっていうことに決まったわけ。その形式ってのが一週間毎日キス。これだけ。簡単に思えるかもしれないけど、ひとつの約束を守るのって、それなりに大変なんだからね」


 俺は目の前の自称天使を睨み付けた。言いたいことはわからないでもないが、納得はいかない。その顔は、どこか悪魔じみているようにすらみえてくる。

「じゃあ形式だけ満たされていたら、お互いの気持ちが全然なくても構わないって言うのかよ」

「もちろん気持ちがあっても全然大丈夫だよ」

「そういうことじゃなくてーー」


 と、言いかけて俺はやめた。相手は人間のような外観をしていても、天使という非現実的な存在なのだ。俺たち人間とは、そもそもの価値観が違い過ぎて、言ったところで理解できないに違いないと思ったからだ。

 それよりも俺は別のことを尋ねることにした。


「それって断ることはできないのか?」

「断る?」

「そう。俺には荷が重いから、誰か別の人に代わってもらったりとか」

「うーん。できなくもないけど、そうなると君はペナルティを受けることになるよ」

 俺はうなずいた。まあ、それは当然のことだろう。


「ちなみにペナルティって、どんな?」

「まず君はここであったことの記憶を全て失うことになります」

「まあ、それはそうだろうな」


 それくらいなら問題ない。もとから予想できたことだし、そもそもこんなよくわからない天使との会話なんて、俺にとって積極的に残しておきたい記憶でもないのだ。


「あとは死ぬくらいかな」

「くらいじゃねえよ!」

 俺は思わずツッコんでいた。

「なんだよ。死ぬくらいって。そんなの選択の余地なしじゃないか!」

「でも、死ぬっていっても悪いことばかりでもないよ」

「そんなもん死んだら意味なんかあるか。却下だ、却下」

「じゃあ、やるってこと?」

「やるよ、やる。やるしかないんだろう!」

「さっすが男の子!」


 お姉さんはパチパチと手を叩いた。俺は溜息をつくと思わず頭を抱えた。


「ちなみに、この話って、つばめにも伝わってるのか?」

「もちろん。君の前に話を通してOKは貰ってるよ。そういう事情なら、やるって」

「あいつ、真面目だからな……」

 俺は溜息を吐くと、頭を抱えた。


「それじゃあ、目が覚めてからが一日目のスタートね。初日だけは時間が二日目以降と比べて短いから注意してね。あと、夢だと勘違いしないように、なにか証拠になるもの残しとくから」

「証拠?」

「そう。まあ、人が死なない程度に派手にやっちゃうから、くれぐれも疑っちゃダメだよ。今は神様もだいぶ丸くなったけど、あの人、人類に疑われるの一番嫌う人だから」

「ちょ、ちょっと待って……」


 しかし、そんな俺の戸惑いを置き去りにしたまま、今度こそお姉さんは天上へと昇っていく。空からは光が降り注ぎ、周囲が真白くそめられたかと思うと、俺の意識も漂白されていった。


  〇


――ドーン!


 という大気を震わす音に、俺はベットから転がり落ちていた自分に気が付いた。

 なんだなんだ。どうしたんだ。


 俺は立ち上がると同時に、さっきの夢を思い出す。あれは実際にあったことだろうか。いくらなんでも荒唐無稽過ぎて、容易に信じがたいが……

 そんなことを考えていると、


「兄貴!」


 と、ドアをノックする音が聞こえた。どうやら三歳歳下の妹の奈々が起こしに来たらしい。


「はーい」


 俺がそう返事をすると、ドアが開いて、奈々が現れた。


「朝ご飯だろ。今行くよ」

「そうじゃなくて、兄貴、大変なんだよ」

「なにが?」


「さっき裏山で爆発が起きたの。それで、さっき友達から連絡が来て、どうも隕石が落ちたみたいって……」


 それを聞いて、俺は返事もせずに窓に駆け寄ると、カーテンと窓を開けて、体を乗り出した。


 かろうじて裏山がみえたが、山頂付近から煙が立ち上っている。いつもなら人通りの少ない時間なのに、近所の人がわらわらと出てきて、なにやら喋っているようだ。

 俺の脳裏には、お姉さんの言葉が思い浮かんだ。これが証拠だとすると、やっぱりあれは夢じゃなかったのだ。


「兄貴! 兄貴、どうしたの!?」


 心配そうに俺の腕を揺する奈々をよそに、俺は言葉も出ないまま、呆然と立ち尽くしていた。

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