愛作の陳述

@Ak_MoriMori

愛作の陳述

 まずは・・・あなたに感謝しなければなりません。


 この私を・・・『蛭子家の墓』の前で、テグスが切れた糸電話を耳に押し当てながら倒れていた私を、安全な場所に保護してくれたのですから。

 あの時は、あまりの出来事に頭が混乱してしまい、事の顛末をまったく説明することが出来ませんでしたが・・・落ち着きを取り戻し、頭の中が整理できた今であれば、きっとうまく説明できることでしょう。

 もっとも・・・これから私が話すことは、誰も信じることはないでしょうが。


 この私ですら、未明の出来事が本当に起きたこととは思えず、悪い夢・・・そう、いまだ目が覚めぬ夢を見ているのではないかと思いますし、そうであって欲しいと願うのです。

 しかし、これからする話をあなたが信じようと信じまいが、これだけは・・・これだけは、はっきりと言わせてほしいのです。


 『あなたが疑っているようなことはしていない』と。

 すなわち、私が愛男に手をかけ、その亡骸を遺棄したことなど、まったくありえないことなのです。


 しかし、それでも愛男はもう・・・あぁ、友人の愛男はもう、この世に存在しないのです。どうか、どうか・・・愛男の魂が、安らかな眠りにつけますように。


 あなたは、私が愛男に手をかけ、蛭子家の墓の前に穴を掘って埋めたとお考えのようですが・・・確かにあすこには新しく何かを埋めたような形跡がありましたが、あれは決して私の仕業ではないのです。

 なぜなら、私たちは、蛭子家の墓によって隠された竪穴(たてあな)を暴いただけなのです。蛭子家の墓と呼ばれる大きな石をどかし、それによって隠されていた竪穴を見つけただけなのです。その竪穴が、あなたもご覧になられたように埋められていたというわけです。

 しかし、あすこを掘り返したとしても、もう、私たちが暴いた竪穴を見出すことは出来ないでしょう。そして、愛男の亡骸も・・・。

 私たちには到底想像も出来ぬ何ものかが、あの竪穴を埋めてしまったのです。

 そして・・・それは、きっと良かったことなのです。


 ふん・・・そんな目つきで見ないでください!

 私は狂ってなどいないのです。そしてまた、自分にかけられた嫌疑を払うためにでまかせを言っているわけでもないのです。

 私は・・・出来ることならば狂いたい・・・しかし、恐ろしいことに私の知性と理性が、私が狂うことを許さないのです。


 さて、それでは未明に起きた出来事についてお話しさせて頂きますが・・・まだ、きちんとした自己紹介が済んでおりませんでしたね。

 私は、『永池 愛作(ながいけ あいさく)』と申します。

 そして、友人の愛男は、『山村 愛男(やまむら まなお)』と申します。

 まあ、今のところ、自己紹介は名前だけでいいでしょう・・・ほかの土地でも、あなたのお仲間にはいろいろとご厄介をおかけしましたので、私たちの名前を照会して頂ければ、いろいろと詳しいことがわかるはずです。

 私たちは、少々、オカルト研究に入れ込み過ぎていたのです・・・いろいろと道を踏み外しては、あなたがたの厄介になりましたから。


 今回、この土地に来た目的は、『黄泉の国に通じる竪穴』を探すことでした。

 おやっ、そんな風に苦々しく笑われるのは心外ですねぇ。

 まあ、仕方ありません・・・話を続けましょう。


 きっかけは、一冊の古書でした。

 それは、愛男がお気に入りの古書店『瓜亜土文庫』で手に入れた自費出版もので、なかなか手の込んだ装丁がなされておりました。


「愛作っ! コイツぁ、凄い掘り出し物だよ!」


 そう言いながら、私に古書を見せた時の愛男の笑顔・・・何とも得意げに笑いかけてきたあの顔を、私は決して忘れることはないでしょう。

 あぁ、なぜ・・・なぜ、こんなことになってしまったのか?


 あぁ・・・失礼しました・・・つい・・・いや、話を進めましょう。

 その古書は、『夢中の浮浪者』の異名を持つ郷土史家『蘭堂 剛夫(らんどう かたお)』により出版されたもので、タイトルは『○○蛇村怪異録』とありました。

 蘭堂剛夫が、この村のさらに上に位置する廃村にまつわる怪異を編纂したもののようでした。


「愛作っ! ここを読んでみろよ!」


 愛男にうながされて読んだ箇所には、こんなことが書いてありました。


・・・・


怪異 その百八

 ○○蛇村の北東に一つの墓がある。蛭子家の墓である。

 その墓の建立の経緯が実に面白い。この墓が建立されたのは、江戸時代末期であるが、それ以前、この地ではよく神隠しが起きていたようだ。

 十年に一度、八月二十日の丑の刻の間に老若男女問わず、村人が一人いなくなるのである。

 村人がいなくなる時は、必ず、『ゴポッ、ゴポッ』という不快な音と荒々しい息づかいのようなものが村中に鳴り響き、村人たちは恐怖のあまり、頭から布団をかぶり、震えながらも爆睡したという。

 ある時、この村に高僧が訪れ、村人たちからこの話を聞いた。

 すると、高僧はこう言った。「ならば、拙僧が確かめてみよう」と。

 時は、奇しくも神隠しが起きる前日だったのである。

 夜が更けると、高僧は、村人たちに何が起きても絶対に家から出ないように言いつけ、ただ一人、外で坐禅を組み・・・そして、神隠しの夜は明けた。

 今までの神隠しがまるで嘘だったかのように何事も起きなかったが、高僧の姿がどこにも見当たらなかった。

 はて、高僧が身代わりになったのかしらんと村人たちは周辺を探して見て回ったところ、高僧は、村はずれにある小さな竪穴の前に立ってお経を唱えていた。

 お経を唱え終えた高僧は、静かに口を開いた。


「この竪穴の上に墓を建てなさい・・・この場所は黄泉に近すぎるのだ。

 かつて、この地に『蛭子』という名の者がおったようだが・・・お前たちは知っておるか?」


 村人たちは、その名前に聞き覚えはなく、そのことを知った高僧は話を続けた。


「そうか・・・はるか昔の所業ゆえ、すでに忘れ去られたのであろう。

 まったく、罪深きことをしたものだ・・・蛭子という者は。

 とにかく、この竪穴の上に墓を建て、憐れなものどもを供養なさい。

 さすれば、神隠しもなくなるだろう。」


 高僧は村を去り、村人たちは言われた通り、『蛭子家の墓』として墓を建てた。

 それ以来、一度も神隠しは起きていないらしい。


・・・・


 私には、この話を読んでもピンとくるものはなく、愛男はそんな私の様子に少し苛立ちを感じたのでしょうか、やや人を小馬鹿にしたように口を開きました。


「まあ、知識がまったくない奴が読んだら、どこにでもある高僧がらみの言い伝えのように読めるだろうな。

 しかしだな、この話には興奮させるようなキーワードが含まれているんだ!

 『蛭子』だよっ! 蛭子って言えば・・・。」


 愛男はそう言うと、蛭子についていろいろと語りましたが、ここでその話をする必要はないでしょう。ただ、蛭子という名は、全国各地の怪異話によく登場するキーワードであり、『甦り(黄泉がえり)』すなわち復活を暗示するものらしいのです。


「そして・・・『蛭子家の墓で塞いだ竪穴』ときたもんだ。

 愛作っ! ぼくはこの話をこう読み解いたよ・・・つまり、十年に一度の八月二十日の丑の刻の間に竪穴から黄泉のものがやって来て、人間をさらっていくってね。

 だからさ・・・ぼくは行ってみようと思うんだ。」


 愛男の目に不安そうな光が一瞬灯りましたが、それは好奇心に満ち満ちた明るい光によってかき消され、興奮した様子で一気にまくし立てました。


「ぼくは行ってみようと思う! 生きたまま『黄泉の国』へ!

 きっと・・・蛭子家の墓で塞がれた竪穴は、黄泉の国に通じているに違いない。

 ○○蛇村は○○県の山奥にあるようだが、廃村になって久しいようだ。

 そこにある蛭子家の墓を暴き、小さな竪穴が本当に存在したら・・・ぼくは、そこから黄泉の国に赴き、この目にしっかりと焼きつけてきたいと思う。」


 愛男は、熱意のこもった眼差しで私の眼を射抜くと、静かにこう言いました。


「もちろん・・・手伝ってくれるよな?」


 私は思わず、うなづいてしまいました・・・今さら後悔してもしょうがないことですが、それでも後悔しています。

 なぜあの時、冷静に『そんな馬鹿らしい真似はよせ』と愛男を一喝できなかったのかと・・・いや・・・違うか・・・たとえ冷静だったとしても、私はやはり、うなづいていたことでしょう。

 後悔はしていますが、私の知的好奇心は、この一件をどこか愉しんでいるふしがあるのです。まったく、非道いものです・・・私という男は。

 そう、結局のところ・・・私も愛男と同じ穴のムジナなのです。


 それからというもの、愛男は憑りつかれたかのように研究に没頭しました・・・もちろん、次の神隠しの夜がいつになるかの研究です。

 様々な資料をかき集め、熟考に熟考を重ねた結果、愛男の明晰な頭脳は、『今年の八月二十日』、すなわち本日未明であると結論を弾き出しました。

 もっとも、この点に関しましては、私は・・・その・・・本当は、愛男がいい加減に決めつけたものだったのではないかと思っています。

 愛男にとって『良い加減』な結論を出したのではないかと・・・なぜなら、先ほど申し上げた○○蛇村怪異録を手に入れたのが、今月の初めごろの話なのですから。

 きっと・・・いち早く、蛭子家の墓で隠された竪穴があるかないかを確認したかったのでしょう。

 愛男にとって、結局のところ、その竪穴が本当に黄泉の国に通じているかいないかはどうでもよいことであり、ただ、その竪穴が存在することが確認できさえすれば、それだけで満足だったのではないかと・・・私は、そう思うのです。


 まあ、そういった経緯でこの村にやって来たのが、おとといの晩になります。

 『イン須磨荘』という小汚い・・・おっと、口がすべってしまった・・・民宿に二泊三日ほど逗留する予定でした。

 まあ、あすこの女将に廃村の○○蛇村に行く道を聞きましたし、昨日、「○○蛇村に行ってくる。夕方ごろには戻る」と伝えながらも宿に戻らなかったので、心配した女将が、あなたに通報したのではありませんか?


 ん? 違う? そうではないと・・・おっしゃられるのですか?

 あすこの女将は、そんな気の利いたことはしないと・・・まあ、確かに宿泊料金は先払いで全額払っておきましたし、何よりあのぎょろっとした魚面では、そんなことしなさそうですねぇ・・・おっと、人を顔で判断するのは良くないことでした、私の悪い癖です。


 えっ・・・何ですって!

 未明に、何者かがこの駐在所に忍び込んだ?

 駐在所の中は泥まみれで、掃除するのが大変だったと・・・ほう、机の上に泥まみれの手紙が置いてあったんですか?

 

 『ハイソンニ ヨソモノアリ ホゴサレタシ M』 そう書いてあったと?


 ふぅん・・・・・・そうですか・・・M・・・Mか。


 ふふ、それにしても悪戯かもしれないのに、よくもまぁ・・・その置き手紙を信じてあすこに行きましたねぇ?

 いやいや、馬鹿になんかしていませんよ・・・大変、感謝しています。

 そして、その置き手紙の主にも感謝しなければなりませんね・・・そいつが何ものなのかは・・・まったく、わかりませんがね。


 さて、私たちが○○蛇村に着いたのは、昨日の昼前でした。

 ○○蛇村は、まさに廃村といった体をなしていました。

 人が踏み入った形跡はなく、あたりは背の高い雑草が生い茂り、その中に何棟かの朽ち果てた廃屋が埋もれていました。廃屋のほとんどは、屋根が落ち、壁も剥がれ落ちていたのですが、奇跡的に一棟だけ屋根も壁も残っていたため、私たちは、この廃屋を拠点として○○蛇村一帯を探索することにしました。

 蛭子家の墓の位置は、○○蛇村怪異録に『北東』と記されていたため、○○蛇村の中心地から北東を重点的に探索しました。

 あまりにも雑草が生い茂っているため、蛭子家の墓を見つけるのは、たいそう難儀するだろうなどと私たちは覚悟を決めていたのですが、拍子抜けするほど、いとも簡単に見つけることが出来ました。


 ○○蛇村の北東の一角に、不思議な光景が広がっていたのです。

 辺り一面に雑草が生い茂る中、まるで・・・もしかしたら、不適切な表現かもしれませんが・・・円形脱毛症のように丸く雑草の生い茂っていない箇所があったのです。

 その箇所の中心にまぁるい平たい石があり、その石から約三メートルの範囲内には、草一本すら生えていなかったのです・・・私には、まるで雑草たちがこの石に近づくことを恐れているかのように見えました。

 この光景を見て、私たちは互いに顔を見合わせ、互いの表情の中に一抹の不安を見出しましたが、愛男は警戒するかのようにその石に近づき、しゃがみこんで丹念に調べ始めました。


「愛作っ! 見つけたぞ・・・コイツだ!」


 蛭子家の墓は、思っていたようなものとまったく違ったのです。

 てっきり、よく見かけるような和型墓石だと思っていたのですが、まぁるい平たい石・・・直径約一メートル五十センチから二メートルくらい、高さは十センチあるかないかのせんべい型でした。

 その石の中心には、なにやら大小の文字が彫ってあったような痕跡が残っていたのですが、そのほとんどは判別不能なくらいすり減っており、かろうじて『蛭子』の二文字だけを読み取ることが出来たのです。 


「コイツの下に・・・竪穴が隠されているんだろう。

 コイツをずらしてみよう・・・愛作っ、手を貸してくれッ!」


 石は大変重かったものの、二人で力を合わせれば、何とかずらすことは出来そうでした。

 私たちは軍手をはめると、悪態をつきながらも力を合わせ、少しだけ石をずらすことに成功しました。


「あっ・・・穴だっ! やったぞ、愛作っ!

 あの話は、本当だったのかもしれない。よし、もっとずらしてみよう!」


 一抹の希望を得た私たちは・・・百人力の力をも得たのでしょう・・・今度は、いともたやすく、石をずらしてしまいました。


 ぽっかりと口を開いた竪穴が出てきました。

 直径一メートルほど、深さ約二メートルほどの大人が立った状態ですっぽり入るくらいの竪穴で、竪穴の壁面は、崩落しないように大小さまざまな石で補強しているかのように見えました。


 しかし・・・それ以外にめぼしいものはなく、ただの竪穴のように見えました。


 竪穴を覗き込んでいた愛男の表情も、先ほどまでの満面の笑みが消え、落胆の色に染まってしまいましたが、しばらく熟考すると、再び満面の笑みを浮かべました。


「愛作っ! まだだっ・・・まだ、終わっちゃいない。

 神隠しは、丑の刻に起きたんだ・・・丑の刻になったら、もう一度ここに来てみよう。もしかしたら・・・なっ!」


 私たちはいったん拠点の廃屋に戻ると、丑の刻まで待つことにしました。

 日が完全に暮れる前に、愛男は、背負ってきたリュックサックから二つの懐中電灯と新しい電池を取り出すと、電池を懐中電灯にセットし、問題なく灯りがつくことを確認してから、一つを私に寄こしました。


「もし、あの竪穴に黄泉への入り口が出来ていたら、ぼくはその中を探索するつもりだ。愛作には申し訳ないが、その間、竪穴の外で待っていてもらう。」


 この時、愛男の目に意地の悪い光が宿るのを私は見逃しませんでした。

 それは、私のことを臆病者だとバカにしたような目つきでした・・・正直なことを言えば、確かに私はホっとしていました。

 もし、「一緒に来てもらう」などと言われていれば、私は必死に言い訳を述べ、竪穴の外で待っていられるように愛男を説得したことでしょう。しかし、このような露骨な態度でバカにされると、ひどく屈辱的な思いがしました。

 このような思いが顔に出てしまったのかもしれません・・・愛男が慌てるかのように言葉を続けました。


「おいっ、変な勘違いをするなよ。

 愛作の役割は、とても重要なんだぜ。まあ、今から説明するから。」


 そう言うと、リュックサックからあるものを取り出しました・・・それは、二つの糸電話でした。とはいえ、二つの糸電話はまだ未完成のように見えました。

 二つともプラスチックのコップの底から磯釣りで使うような蛍光色のテグスが飛び出しており、そのテグスの先はボビンに巻きつけられたままでした。


「こいつらは、命綱を兼ねた通信機だ。

 愛作には、こいつらを持って竪穴のところで待っていてもらう。

 そして、ぼくはこいつらを通じて中の様子を伝えるんだ。

 どうだい・・・なかなか面白そうだろう?」


「そんな糸電話で・・・通話できるのかい?」


「ピンと糸を張ることが出来れば・・・結構、遠くまで通じるらしい。

 いや、正直に言おう・・・通信機を買う金がなかったんだ。

 そこで、苦しまぎれで考えた手段がこいつらなんだ。

 正直なところ、通話についてはあまりアテにしていない。

 どちらかと言えば、命綱としての役割のほうが大きいな。

 道に迷っても、このテグスを辿っていけば入り口まで戻れるだろう。

 もし、通話ができたら、それはそれでラッキーさ。」 


 そこまで言うと、愛男はさらにリュックサックからセロハンテープとクリップを取り出し、それをシャツの胸ポケットにつっこみました。


「テグスの長さは、千メートルだ・・・これだけの長さがあれば、十分だろう。

 もし、足りなかったら・・・それ以上の探索はあきらめるよ。 

 通話する時は、うまくいくかどうかはわからんが、セロハンテープとクリップでテグスをプラスチックのコップに固定して行うつもりだ。」


「わかった。それにしても・・・本当に残念だよ。

 ボクも一緒に黄泉の国に行きたかったのになぁ。」


 私はまったく心にもないことを口に出すと、愛男のことを睨みつけてやりました。

 臆病者と思われ続けるのが嫌で、あえて虚勢を張ってみたのです。


「そうか・・・だったら、代わってやってもいいんだぜ?」


 愛男はそう言うと、再び意地の悪い光を目に宿し、ニヤリと笑いました・・・愛男にはわかっていたのです・・・私が間違いなく首を『横』に振ることを。 


 ふふっ、それにしても大自然とは・・・実に素晴らしいものですねぇ。

 ここに来てよかった・・・たまには都会の喧騒から離れ、自然に触れることも悪くないですよ。『自然に帰れ』か・・・実に良い言葉です。

 野外で自分をさらけ出すのは、実に爽快な気分でした。

 きっと、原初の記憶が呼び起こされたのでしょう・・・人は、楽園から追い出されるまでは素っ裸で暮らしていたのですから。


 ん? 何の話をしているのかって・・・いやぁ、実に話しにくいことなんですがね、我慢できずにしてしまったのですよ・・・野小便を。

 まあ、廃村ですし、日も暮れた頃でしたからね。

 誰もいないはずだから人の目を気にする必要もないのに、それでも気になってしまう・・・なぜだか、そのことに妙な興奮を覚えるんですよ。

 そしてまた、野外で下半身をさらけ出すというなんとも言えぬ背徳感・・・私の『おとなしい羊』が、まるで『羊の皮がむけたオオカミ』のように・・・いや、失敬、この話はもう止めましょう。

 つい、こんな話をしてしまうのも・・・『恐怖』によるものなのです。

 未明の出来事の恐怖を少しでも和らげようとして、つい、こんな下卑た笑い話をしてしまったのです・・・どうか、お許しください。

 

 では、気を取り直して・・・話を続けましょう。

 丑の刻が近づいたところで、私たちは廃屋を出ました。

 夜空にはたくさんの星たちが瞬き、満月がぽっかりと浮かび、静かに冷たい光を放っていました。そして、秋が近づいてきているのでしょうか、虫たちが静かに鳴いていました。都会では決して見ることのない・・・とても幻想的な風景でした。


 そんな中、私たちは懐中電灯であたりを照らしながら、再び、蛭子家の墓に向かいました。蛭子家の墓に到着すると、すぐに愛男は、竪穴の中を覗き込みました。


「あっ・・・横穴だ!

 愛作っ! 見てみろっ、横穴が開いてるぞッ!」


 愛男の言う通り、確かに竪穴の北東側に、昼間には見当たらなかったはずの横穴がぽっかりと口を開いていました。たしか、大人一人分くらいの幅と高さだったと思います。

 

「想定通りだ・・・丑の刻になったから、昼にはなかった横穴が開いたんだ!

 コイツぁ・・・間違いなく、黄泉の国に通じる穴だッ!」


 そう言いながら、愛男は自分の顔を下から懐中電灯で照らし出しました。

 その顔は、とても薄気味悪く、非常に複雑な表情をしていました・・・この奇怪な状況を恐れるべきか、それとも喜ぶべきかを決めかねているような、そんな表情をしていました。


 しばらくの間・・・ほんの数秒だったかもしれませんが、私にはとても長く感じられました・・・愛男は横穴をじっと見つめていましたが、一人うなづくと、口を開きました。


「愛作っ! ぼくは、この先に行ってみる。

 ただ、予定が狂ってしまった・・・てっきり、黄泉の国に通じる穴は、ずっと開いているもんだと思っていたんだ。それが時間制限ありとはな・・・きっと、丑の刻の間しか開いていないんだ。

 とするとだ・・・あと一時間半くらいの猶予はあるはずだ。余裕を持って、一時間だけ中に入って探索してみようと思う。

 三十分ほど進んでみて、残りの三十分で戻って来る・・・そうすれば、この横穴が閉ざされる前に戻れるはずだ。」


「本当に大丈夫なのか? もっと早く閉まってしまうかもしれないぞ?」


「その時は・・・その時さ。

 愛作っ! ぼくはな・・・怪異に飢えたオオカミなんだッ!

 『据え膳喰わぬは男の恥』って言うだろう?

 こんなに大きく穴をおっぴろ・・・いや、すまん。表現が下品だな・・・こんな怪異が、目の前で口を開いて待っているんだぜ。

 ここでおめおめと引き下がることなんか・・・出来っこないだろッ!」


「わかった・・・わかったよ。」


「横穴の中の状況は、五分おきに連絡する。

 その時は、話す側の糸電話のテグスを二回引っ張るからな。

 もし、こちらからの連絡がなかったら、そっちの話す側の糸電話のテグスを二回引っ張ってくれ。」


「ああ、決して無理はするなよ・・・愛男。」


 愛男は竪穴の中に降りると、懐中電灯で横穴の中をくまなく照らしました。


「長い・・・長い通路が続いている。

 通路の奥を照らし出すことが出来ないくらいな。

 愛作っ、それじゃぁ、ちょいと行ってくる!」


 軽い調子で私に声をかけると、愛男は横穴へと入っていきました

 この時の愛男の表情は、声の調子とは全く異なり、ひどく緊張した面持ちでした。

 私は、糸電話のテグスがたるまないようにするため、横穴を正面にして竪穴の縁に腹ばいになり、黒々と開いた横穴をじっと見つめていました。

 愛男が横穴に入ってから数分たったくらいでしょうか、耳に押し当てていた糸電話のテグスがグイグイと二回引っ張られ、愛男の声が意外なほどはっきりと聞こえてきました。


「愛作っ! 聞こえるか!」


「ああ、聞こえる。感度良好だよ、愛男。」


「こちらも感度良好だっ! もっとも、まだ数メートルしか進んでいないからな。

 この通路は、北東に向かって、緩やかに真っすぐ下っているようだ。

 いったい・・どこまで続いているのだろう?

 この通路は、人工的に作られたものだと思う。しかし、とても昔の技術で作れるような代物じゃない。壁も天井も床も恐ろしいくらいに滑らかでスベスベなんだ。

 そして、不思議な素材が使われている・・・石のように思えるが、はたして石なのかどうか・・・黒いガラスのような石に見えるが、光を近づけると油膜のような七色に光るように見える。

 『見える』という言い方をしたのは、本当に光っているのかわからないからだ。

 七色に光っているように見えるが、その照り返しが一切ないんだ。

 まるで、絵に描いたような七色だ。強い光に反応した部分が、七色に変化している感じだ。そうだな、暗闇の中に七色で書かれた絵が置いてあって、その絵を懐中電灯の光を当てて見ているような感じなんだ。

 もしかしたら、石の色は、実際に七色なのかもしれないが・・・くそっ、こんな懐中電灯じゃあ、全貌がまったく見えてこない!」


「愛男、その通路をそのまま進んで・・・大丈夫そうなのか?」

  

「ああ・・・今のところはな。

 どこまで続いているのかわからないが、真っすぐ下っているだけだ。

 特に障害物はないだろうから、テグスをピンと張っておきさえすれば、糸電話も問題なく通話できるだろう。

 しばらくの間は、ずっと通路を下っていくだけになると思うから、こちらからは定時連絡のみになると思う。

 もし、定時連絡がなかったら・・・その時はテグスを二回引っ張ってくれよ。

 頼んだぞっ、愛作っ!」


「了解だ。愛男・・・気をつけてな。」


「ああ・・・気をつけるさ。」


 それからは何事もなく、簡単な定時連絡が三回ありました。

 つまり、愛男は通路を約十五分ほど進んだものの、何も見出すことが出来なかったわけです。

 しかし、四回目の定時連絡からまもなくすると、耳に押し当てていた糸電話のテグスがグイグイと二回引っ張られ、興奮した愛男の声が聞こえてきました。


「愛作っ! 聞こえるかッ!」


「どうした? 愛男。

 定時連絡は、もう少しあとじゃないのかい?」


「愛作っ! 今、ぼくの目の前には扉がある・・・ただ、奇妙なんだ。

 きっと、こいつを備えつけたやつは、奇妙なセンスの持ち主なんだろう。

 扉が『ふすま』なんだよっ!

 普通だったら、木の扉とか鉄の扉を使うよな・・・それが、ふすまとはなぁ。

 なぁ、愛作ぅ、ぼくは・・・ここで笑うべきなのだろうか?

 まあ、いいや・・・開けてみるかっ!」


「お・・・おい、やめた方がいいんじゃないか?」


 そんな私の声に聞く耳は持たずなのか、愛男から返事はありませんでした。

 しばらくたつと、耳に押し当てていた糸電話のテグスがグイグイと二回引っ張られ、無念そうな愛男の声が聞こえてきました。


「ダメだった。ちっとも開かん!」


「おいっ、愛男っ! もう、あきらめて戻って来い! そろそろ時間だぞっ!」


「ダメだっ! 戻るのは・・・せめてコイツを開けてからだっ!」


「愛男っ!」


 愛男は、再び扉を開けることを試みたのでしょう、今度はすぐに耳に押し当てていた糸電話のテグスがグイグイと二回引っ張られ、先ほどとは違って、愛男の嬉しそうな声が聞こえてきました。


「愛作っ! やったぞッ、開いたぞッ!

 やっぱり、この扉を備えつけたやつは、奇妙なセンスの持ち主だよ。

 『引いてダメなら押してみろ』だよ・・・ふすまの皮をかぶった押戸とはなぁ。

 なぁ、愛作ぅ、ぼくは・・・ここで笑うべきなのだろうか?

 まあ、いいや・・・ちょいと覗いてみるとしますかっ!」


 それからしばらくの間、愛男からの連絡はありませんでした。

 私は、何度も糸電話のテグスをグイグイと二回引っ張りたい衝動に駆られましたが、見えるはずのない愛男の動向を探るかのように横穴を見つめながら、愛男からの連絡をじっと待ち続けました。

 そんな中、ふと腕時計を見てみると、愛男が横穴に入ってからそろそろ三十分がたつことに気がつきました。

 私が慌てて口に押し当てた糸電話のテグスをグイグイと二回引っ張ろうとした時、耳に押し当てていた糸電話のテグスがグイグイと二回引っ張られ、愛男の興奮した声が聞こえてきました。


「愛作っ、スゴイぞッ! 面白いものを見つけたぞッ!

 ここは、どうやら自然の洞窟ではないようだ。ぼくが確認できた限りでは、壁と床は通路と同じ素材で出来ている。しかし、天井は確認できなかった・・・懐中電灯で照らし出すことがまったく出来なかったんだ。

 ここがどういう場所なのかまったく見当もつかないが、大広間・・・いや、大広場とでも言うべきだろうな。恐ろしく広いよ・・・懐中電灯で反対側を照らし出すことがまったく出来ないんだから。

 しかし、ぼくは、あのふすまを抜けてひたすら真っすぐ歩いていき、そして面白いものを見つけた・・・いや、面白いものなどと言っていいのだろうか?

 『鳥居』だ! やはり、通路と同じ素材で作られた恐ろしく巨大な鳥居だ・・・もっとも、懐中電灯の灯りが十分に届かないから、本当に鳥居なのかどうかはわからないんだが・・・なんとなく、鳥居を連想させるんだよ。

 なあ、愛作・・・鳥居は神域と俗界を隔てる門らしいな・・・もしかしたら、この鳥居の先は本当に黄泉の国なのかもしれない・・・。」


 そんな愛男の声の最後のほうは、ひどく震えていました・・・それが興奮によるものなのか、はたまた恐怖によるものなのか、私にはわかりませんでした。

 しかし、唐突に廃屋での愛男とのやりとりが思い出されると、私の心に意地の悪い気持ちが芽生え、ここぞとばかりにこう聞いてしまいました。


「愛男・・・声が震えてるぜ。怖い・・・のかい?」


「・・・。」


 愛男からは、しばらくの間、返事が返ってきませんでした。

 ただ、必死に呼吸を整えているような、そんな気配を感じ取ることが出来ました。

 今、愛男は一人きりで未知の世界におののいているのだ。そんな愛男に対し、臆病者扱いされたうっぷんを晴らそうとするなんて・・・そんなことを思うと、私は自分の『もの』の・・・いや失敬、『器』の小ささに嫌気がさしてしまいました。


「悪かった・・・愛男。

 意地が悪すぎたな・・・許してくれ。」


「いや・・・愛作、ぼくは怒ってなんかいない。

 そうだ・・・ぼくは怖い。自分の知的好奇心が・・・怖くてしょうがないんだ。

 もう残りの時間もなく、最悪の場合、地上に戻ることが出来なくなるかもしれないっていうのに・・・それでも、ぼくはこの鳥居をくぐり、その先に行ってみたい。

 その先にたとえ何が待ち構えていようとも、ぼくはこの目でそれを見たい。

 どんどん肥大化していく知的好奇心は、ぼくが抱いているはずの恐怖心や危機感を押しつぶし、ぼくに大胆な行動をとらせようとしている・・・。」


「愛男・・・。」


 私は、これ以上かける言葉を失いました・・・なんと声をかけるべきか、判断がつきかねたのです。

 『今すぐ戻って来い!』・・・そう、声をかけるべきだったと思っています。

 しかし、私は・・・やはり、愛男と同じ穴のムジナなのです。

 『先に進め!』という言葉もまた、喉の奥から出てきそうになったのです。

 私の頭の中で常識と知的好奇心の暴走がつばぜり合いをするなか、突然、状況は予期せぬ方向へと一変してしまいました・・・それは、愛男の連絡から始まりました。


「なっ・・・くそっ!

 懐中電灯が・・・消えてしまった。新しい電池のはずだったんだが。

 まあいい、糸電話のテグスをたどれば戻れるのだから。

 愛作っ! 今から戻るぞ。これ以上は・・・残念だけど無理だ。

 それにもう・・・時間がない・・・ここで懐中電灯が消えてくれて、むしろ良かったのかもしれない。」


 この言葉を聞いて、私はホッと胸を撫でおろしました。

 愛男が冷静になり、適切な判断をしてくれたからではありません。

 つまらない言葉を愛男にかけずにすんだからです・・・残念ながら、私の常識は、知的好奇心の暴走に負けていたのです。

  

「了解だ、愛男。足元に気をつけてな。絶対にテグスを離すなよ!」


「わかってる・・・わかってるよ。」


 しかし、ほんの数秒も経たぬうちに、耳に押し当てていた糸電話のテグスがグイグイと二回引っ張られ、愛男の震える声が聞こえてきました。 


「あぁっ、愛作! ぼくは・・・動けないっ!

 恐ろしい・・・ぼくは、恐ろしいよ。わかるんだ・・・見られている。

 ぼくには見えない何ものかに・・・それもひとつじゃぁない。鳥居の向こうから視線を感じるんだ。そして・・・あぁ、そ、そんな!」


 私が話しかける間もなく、愛男の震える声が続きました。


「あぁ、なんてことだ・・・見えるはずのないものが見える!

 懐中電灯の灯りもなく、真っ暗闇だって言うのに・・・見えるんだ!

 鳥居の先に潜んでいるものどもが・・・はっきりとその姿かたちが見えているというのに・・・ぼくにはその姿かたちを言い表すことが出来ない!

 『名状しがたいもの』どもが・・・こっちに・・・こっちにやって来る!」


 愛男の震える声が、叫びのような怒鳴り声に変わりました。


「クソッ! 愛作ッ! ぼくはもうダメだ。

 逃げろッ! 愛作ゥッ、今すぐ逃げろォッ!

 何もかも放っちまって、今すぐその場からトンズラするんだァッ!

 クソォッタレどもがそっちにぃ・・・。」


「愛男! 何を言っているんだ? ふざけているのか?」


「・・・。」


「愛男? おいっ、返事をしてくれ!」


「・・・。」


 私は何度も何度も呼びかけましたが、返事は一向にありませんでした。

 この時、すでに私は取り乱していたのでしょう・・・・今思えば、口に押し当てていた糸電話のテグスが・・・ピンと張りつめていたはずのテグスが、だらしなくたるんでいる様が視界の中に入っていたのにもかかわらず、私はずっと愛男に呼びかけていたのですから。


 しばらく愛男に呼びかけていると、耳に押し当てていた糸電話のテグスが、ぐぃぐぃっと二回引っ張られたような気がしました。

 そして、かすかな音が糸電話から聞こえてくることに気がつき、呼びかけるのを止めて、すべての意識を耳に集中しました。


 それは、とてもとても不快な音でした。

 ゴポッ、ゴポッと、青黒く腐った水の底から大きな泡が湧きあがってくるような音がかすかにし、糸電話を通じて匂いさえも漂ってくる・・・そんな感じがしました。

 そのかすかな不快な音は、段々と大きくなっていき、やがて荒々しい息づかいになっていきました。


 私は、テグスがたるみ、もはや何の役にも立たない糸電話に向かって、恐るおそる呼びかけました。


「ま・・・愛男かい?」


 答えはすぐに返ってきました・・・囁くようなか細い声でしたが、はっきりと聴きとることが出来ました。

 なぜなら、それは・・・耳に押し当てた糸電話の振動によるものではなく、あまりにも直接的なものだったからです・・・すなわち、私のすぐ耳元で、得体の知れぬ何ものかが囁いたのです。


 そして・・・その後の出来事は、まったく覚えていません。

 しかし、聴きとった答えだけは・・・はっきりと、はっきりと覚えています。

 それは、忘れようにも決して忘れることが出来ないものだったからです。

 

 その答えは・・・とてもとても短いものでした。


『馬鹿めっ! 愛男は死んだわッ!』

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