第27話
「楊梅様、凱泉様!」
莉美から少し離れた所で話し込んでいた二人の名前を呼ぶ。振り返った二人の顔が、ぎょっとするのが見えた。
「すみません、失敗してしまいました! わ、くすぐったいってば!」
二人は石から転がってしまった莉美と、彼女に絡みついている白い毛玉を見て目をしばたたかせている。
「凱泉、あれは……?」
楊梅が尋ねると、莉美にじゃれついていた白い毛玉が『きゃん!』と鳴いた。
「仔犬、でしょうか?」
短い尻尾を千切れるほど振りながら、莉美に飛び掛かって手のひらや顔をぺろぺろ舐めている。さらに『きゃん!』と鳴くと、楊梅たちのほうを振り返った。
「あ、待って……!」
飛び掛かられて困っていた莉美は、二人の元に駆け出していってしまった仔犬を引き留められず、手を伸ばすことしかできなかった。そんな莉美の手をすり抜けて仔犬が向かった先は……。
「う、うわっ!」
思いっきり毛玉に突進された凱泉は、よろけて地面に尻餅をつく。
「こら、よせ……顔を舐めるな!」
可愛らしい声で鳴きながら、仔犬が嬉しそうに凱泉に絡みつく。凱泉の制止も聞かず、顔中を涎だらけにしていた。
「ああ、どうしよう!」
立ち上がって凱泉のそばまで駈け寄った莉美は、彼から仔犬を引きはがそうとする。がしかし、白い毛玉は一向に言うことを聞いてくれそうにない。
「莉美殿、どうにかしてください!」
「わかっていますが、なぜか凱泉様に懐いているようで……!」
やっと抱っこをして引きはがすと、凱泉はいつもと変わらぬ仏頂面で、舐められた顔を袖口で拭きながら立ち上がる。
「ご、ごめんなさいっ!」
「…………」
「逃げても大丈夫な生き物と思ったら、仔犬くらいしか思いつかなくって」
「だからって――」
小言を言おうと開けた凱泉の口を、白い毛玉が飛び掛かって覆ってしまう。その拍子に凱泉は体勢を崩し、池にドボンと落ちてしまった。幸い浅かったので少ししか濡れなかったが、見ていて痛そうだ。
「――莉美殿っ!!」
「はいいいい!」
仔犬を顔から引きはがした凱泉が鬼の形相になったところで、脇から上品な笑い声が聞こえてきた。莉美と凱泉がハッとして声のしたほうを向くと、ついにこらえきれないという様子で楊梅が腹を抱えて笑っている。
「ああ、おかしい。凱泉が尻餅をつくなんて」
楊梅はどうやら相当面白かったようで、未だに笑い続けている。莉美は、濡れないように頭上に仔犬を持ち上げている凱泉に視線を向けた。
「……楊梅様の笑顔を見られたからいいが、次は許さないからな」
渋い顔と声音で釘を刺され、莉美は震えながら頷く。のどかな中院の一角で、楊梅の笑い声が響いていた。
「凱泉になついているな。名前でも付けておくといい。
すると白い毛玉が嬉しそうに回りはじめ『きゃん!』とお座りした。
「白宝、凱泉と遊んでやれ」
楊梅に言われた通り、白い毛玉の仔犬はひとしきり凱泉に絡みついて遊び終わったあと、自ら紙に戻っていった。今のところ、犬の絵としておとなしくしている。
だが、知らないうちに抜けだされても困る。なので燃やそうとしたのを楊梅に「もったいない」という理由で止められた。
そういうわけで、眠っている仔犬の絵は凱泉に預けられることになった。
持っているようにと楊梅に命令された彼が、ものすごく嫌な顔をしたのは言わずもがなだった。
「凱泉様、私の絵は寿命があって、長くて半日です。それ以上は、紙に戻ったところで勝手に消えます」
「勝手に出てくることは?」
「く……首輪も描いておきましょうか?」
今すぐ描くように言われて、莉美はすぐに犬の首に紐を描き足す。
楊梅は面白がっているようだが、莉美は言われた通り『白宝』と書いた木の札を首の縄に描き足す。凱泉は墨が乾くまで待ってから、懐にしまっていた。
「莉美は、外で描くとのびのびと描写ができるのかもしれないな。あの仔犬も、自ら紙に戻っていったことだし」
そして、楊梅は思いついたように手を打って、とんでもない提案をした。
「調練に一緒についてきて、外で絵を描いてみたらどうだ?」
「はい!?」
「よし、そうしよう」
莉美が断れるわけもなく、いつの間にか数刻後の調練についていくことになっていた。
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