ここはまだ世界の始まり

aobuta

ここはまだ世界の始まり

離陸する飛行機が、青空の彼方へ消えていく。

私の乗るはずだった羽田空港行きの便は、もうとっくに日本へ着いている頃だろうか。


行くあての分からない機体を空港近くのカフェから見送り、私は盗み見るように、向かいに座る綾(あや)の様子を伺った。綾は現地調達した一世代前のモバイルバッテリーを自分のスマホに挿し、神妙な顔で調べものをしている。

さらに机の上に目を落とすと、砂糖のたっぷり入ったコーヒーが湯気をのぼらせている。日本のコーヒーに比べ、ここの人はだいぶ甘めにして飲むのが習慣と聞いている。

コーヒーの湯気を顔に浴びながら、「はぁぁ、。」と私は、昨日から何度目になるか分からないため息をついた。

要因は、私自身に対して。


綾と一緒に、東アジアの小さな地方都市にいるという噂の、人の言葉を理解するゾウを見にいこうという話をしたのは、今年の夏の終わりだった。大学3年生だった私たちはお互いの授業日程を調整し、12月の中下旬、クリスマスまでには帰ってこられるスケジュールであれば、多少授業を自主休講させて頂いて挑戦できそうだとの結論になった。

その日のうちに、楓(ふう)に私たちの計画について発表し、クリスマスまでには帰ってくるのでと伝えたところ、楓はいつもの優しい笑顔とともに、「では今年も、クリスマスの日は休暇申請を出しておくよ」と応援してくれた。

綾との旅行は既に何度も実績のあったため、今回も意気揚々と、海外の某所で怪しげなゾウに二人で眉をひそめるのだと張り切って出国したのだった。

全ては順調のはずだったのだ。


「あのう、綾、、、さん」

私は、通信のゆっくりしたスマホと対面し、眉を八の字にしている綾におずおずと話しかける。

「今の「さん」の後付け、初めてのお見合い感がすごい」

スマホの画面を見つめながら、綾は答えた。

「距離感の詰め方が分からないタイプなので」

「確かに、英(はな)は初見の相手に距離を置きたがるタイプだよね」

「おいおいそれはちょっと、意味が変わってくるぞ」

意味のあるような無いようなやり取りを続けながら、段々と核心にせまっていくのが二人のスタイルだ。

「それで、あれかな。スマホ貸してってところ?」

綾がスマホから目を上げ、私を見た。

「うん、楓が私のお母さんと連絡取り合ってくれているみたいだから、忙しいのにありがとうって」

「かー、人のスマホでアツアツになろうとは、さすが大物だな。そりゃ泥棒に荷物の1つや2つ持っていかれても平気な顔だわ」

「う、、その言葉は私に効く。、、、あと」

私は机の上に両手をつき、深々と頭を下げた。

「さっきはふてくされて、旅行を言い出した綾が悪いみたいな言い方してごめん。頭のてっぺんから足の先まで、不注意な私が悪かった」

頭を垂れる私の頭を、綾の手がそっと撫でてくれる感触が伝わってきた。

「ううん、私もちょっと雰囲気悪くしてごめん。これは長い人生の中で起きる、さまつな事故なんだよ、きっと」


話は、3日前にもどる。

私と綾は日本からこの国の一番大きな空港にフライトしたのち、まずは主要な観光地をめぐった。その後現地の雑貨屋をぶらぶらとショッピングして、お互いにこれを思うものをお土産に買ったりした。


さらに翌日、別の飛行機で地方部の小さな空港へ。まずは空港近くのホテルで一泊し、翌日のバスで言葉を理解するゾウのいる村まで移動する手はずだった。


乗り継ぎ後の空港から出て、ぱっと目に付いたベンチに荷物を卸し、私たちは辺りをきょろきょろしながらホテルまでの道を確認していた。


そこでふと、現地の人と思われる女性から声をかけられた。最初は地元のものと思われる言葉で、早口にひとしきりまくし立てられた。私も綾もぽかんとしていると、次に女性は、「アーユーフロム?」と、私たちでもすぐ分かる質問をした。私が「Japan」と伝えると、女性は「コンニチハ!」とスマイルを作ったので、私たちは上手ですね、なんてはしゃいでいた。結局、簡単な英語で雑談をしたのち、女性はそそくさと立ち去っていた。私からどんな情報を得たかったのかは、よく分からなかった。


そして…それは見事な作戦だった。

ベンチの脇にある2つのキャリーケースは、変わらずそこに鎮座している。

ただし、小回りがきくようにと分けていた、中型のリュックと手提げ類、それらが姿を消していた。


私と綾はその場に硬直して、何が起こったのか一瞬理解できなかった。映画のワンシーンでも見ているようだった。

数秒の間を置いて、「ない!!」と綾は叫ぶと、周囲を素早く見渡し、女性が消えていった方へバッと駆けだした。不安に思いながらしばらく待っていると、綾は悔しそうな表情で、「ダメだ、見つからなかった」と元の道から戻ってきた。


私たちは、お互いの所持品を確認した。

着替えや生活用品など、キャリーの中身は無事だった。カメラやアクセサリー、前日に購入した雑貨複数、いくらか控えで持っていた現金などはリュックと手提げに入れていたので、持っていかれてしまった。パスポートと財布は、二人とも肌身離さずにいたので無事だった。綾のスマホは道を調べるため、手に握っていたので無事だった。

私のスマホは、手提げの中だった。


そこからは綾のスマホを頼みの綱に、旅行代理店に連絡し、両親に連絡し、楓ともやり取りをさせて貰っている。

代理店の担当者はとても心配してくれて、地元の警察に被害届を出したほうが良いとか、相手を追いかけるのは反撃される可能性もあるから止めておくようにとか細かく指示してくれ、現地の大使館にも連絡を入れてくれた。

地元の警察では、それはそれは大変長い時間を待たされた。共通言語である英語もお互い不慣れであったため、状況をしっかり理解して貰えたのか疑わしかった。


そうしてバタバタと対応に追われ、当然の結果として私たちは、予定していた帰りの便にも間に合わなかった訳で。

今日どうにか、日本との往復の飛行機がある都市までは戻ってくることができたが、この次いつの便を予約することができるか不明で、代理店の方に探して貰っており、その連絡を待って時間を持て余している状況だ。


そして、この状況下でも他人のスマホでアツアツになろうという大物の私がいま、歯を食いしばって、それでも溜め息が止まらない理由。

この時点で、クリスマスイブに、日本に帰れないことが確定していた。


忙しい中で仕事を休んでくれた楓への申し訳ない気持ちと、自分の不注意と、荷物を持っていった「あべこべサンタ」への憤りが全部まぜこぜになった結果、「はぁぁ、。」の息が止まらなかった。


20歳という節目を迎えた後の1年、新成人という高揚と責任感を自分なりに解釈したくて、とにかく何でも挑戦しようという精神で立ち向かっていった。

全部が上手くいくという訳ではなかったが、苦労した先にある、心が震えるほど美しい景色、焼きたての食べ物、言葉の異なる人とコミュニケーションする喜び、そうした成果を手にし続けることができた。もしかすると、なんだ、案外思い通りにいくじゃないかと、実際はスタートダッシュをした位なのに、ここがゴールかのように思っていたのかもしれない。


だから、大人生活2年目にして初めて当たった壁に、私はしっかり苦労していた。

楓が実はすごく怒っていないかとか、綾に見放されたらどうしようとか、いつもなら考えないような不安に自分が支配されないように、溜め息として吐き出しているのかもしれなかった。


ぱちん、

綾が不意に、指を鳴らす。

「よし、時は満ちた」

綾はにらめっこしていたスマホから目を離し、私にニヤリと不敵な笑みを投げかけた。

「なんだか綾、すごい悪い顔してるけど」

「そうそう、こういう事態になってしまったからには…悪い事、大悪党になろうじゃないか。つまり」

新しい溜め息を準備していた私の唇に綾は人差し指を立てると、シーッと声を潜めながら提案したのだった。

「私たちも、泥棒をやろう」


~~~


提案はこうだった。

綾の話では、ネットで仕入れたとある情報筋によると、この地域から荷物を送ろうとすると途中で盗難にあうことも多く、配送業者によっては管理がテキトーでリスクが高いということだった。一人が配達員の気を引いて、もう片方が荷物のコンテナから良いものを頂戴する方法なら、私たちでも出来そう、という話だ。


私はカフェの紙ナプキンですら1枚とるのに気苦労をする人間であったので、一体何を、と面食らってしまった。

「いやいやいやいや、ダメもダメすぎるでしょ! もし捕まったらきっと、市中引き回しのうえさらし首だよ!」

「どうして、処罰がそんなに和風なんだ」

私たちは、空港の裏手にある駐車スペースの陰に身を潜めていた。しかし確かに綾の言うとおり、付近には監視カメラも無いようで、なんだかとても呑気(のんき)な気がした。


そこへ待っていたかのように、車体に企業名と思われる文字が書かれた一台のトラックが乗り付けてくる。そして運転手のおじさんが降りてきて後ろの荷台を開けると、手紙や小包といった配送物が、さあどうぞと言わんばかりに積まれていた。


まさか、と思い隣をみると、綾の目は爛々(らんらん)と輝いていた。

「さてさて、おいでなすったね。ええと、、あ! あれなんて良いんじゃない? エメラルドグリーン色のやつ!」

綾の言うとおり確かに、茶色い包みが積まれている中に1つ、可愛らしい明るいグリーンの小箱があった。大きさは、片手で抱えられるくらいだろうか。

「綾、やっぱり止めようって」

「大丈夫。大丈夫なようになっているから、私を信じて。私がおじさんの気を引くから、英は荷台からひっそりと、ひと仕事頼むよ」

親指を立ててグッドラックをすると、返事も待たずに綾はトラックの方に歩き出した。


つばを飲むのも忘れるほど緊張して見守っていると、綾はおじさんと話し始めた。

どうやら、道に迷った観光客という設定のようで、綾はトラックから徐々に離れて先の道を指さすと、おじさんも綾についていった。綾のスマホを二人でのぞきながらあれこれ話していて、トラックの方には全く注意を向けていないようだった。


私は胸がバクバクと高鳴るのを感じた。客観的に見て、今ならいけそう、という気がした。誰も見ているものはいない。

右膝に力を込め、そして。


ふうと息を吐いて、私はその場に留まった。

綾には悪いが、私からクリスマスを奪ったあの憎きあべこべサンタと、同じ過ちを繰り返してはいけないのだ。


私は正しい選択をしたと自信を取り戻し、再び前方に目を戻した瞬間。

道の反対側から小柄な少年が一人、ひょっこりと姿を現した。辺りをきょろきょろとしながら、車の荷台のほうに近づいてくる。私は先ほどの自分が考えていたことを一瞬忘れて、地元の子かな、と呑気に眺めていた。


次の瞬間。

少年はエメラルドグリーンの小箱に手をかけると、素早く両手に抱えて走り出した。


一瞬、私は頭が真っ白になった。ええと、私は泥棒でなくて、代わりにあの子が持ち去ろうとしていて、つまりあの子は、、

先に声を上げたのは、少し離れたところにいた綾のほうだった。

「あ、こら! どろぼうー!!」

私たちが言うのも、おかしな話だったが。


~~~


少年を追って綾が駆け出し、配送のおじさんが駆け出し、続いて私が走りだす。

大通りを抜け、やがて建物が多い道へと入り、さらに細い道へと一行は進んでいく。

当初の私には、知らない土地の市街地に深く入り込んで、道に迷ったらどうしようとためらう気持ちがあった。しかし走っているうちに段々と血の巡りが良くなってきたのか、再び行われた盗みに対して無性に腹が立ってきた。それは、少年に対してなのか、あるいは私自身に対してなのか分からなかった。今はただひらすらに、前を見て走るしか無いと思ったのだ。


しかし残念なことに、スタミナの限界が一番最初に来たのは私だった。次第に、歩いているのか走っているのか分からないペースまで落ちてくると、ほどなくその場に立ち止まった。他の3人の姿は見えなくなっていた。


周囲は知らない建物に囲まれ、前方には知らない道路と交差点が伸びていた。


しかし、目の前にたった1つ、私の知っているものがあった。


雑貨店と思われるお店の入り口に飾られた、可愛らしいサンタクロース。この状況でもサンタさんは優しく微笑み、大丈夫、きっと何とかなるよと元気づけてくれているような気がした。


さて一体ここはどこだろうと手を伸ばしかけ、そういえばスマホを持っていないのだったと気づくと、自身から思わず出たのは「フフッ」という、何かを悟ったかのような笑い声だった。

こうなってしまったら、やるしかない。

この時の私は、体力と気力が限界突破して、ある意味アニメキャラクターがレベルアップするようにというか、第二形態のように自分のことを思っていた。完全体ハナ、行きます、と。


改めて周囲を確認すると、雑貨店に加えて洋服のお店やレストランなど、ちょっとした商店街となっている場所のようだ。お店で働く人も、お店を探している人も、みな忙しそうに、しかしどこか楽しそうに手足を動かしていた。

道路脇の屋台で果物のジュースを売っているのが目に入ると、強烈な喉の乾きをおぼえた。そういえば綾と、地元産の果物も食べたいねと話していたのだった。こんなに走ったのだから、人間の基本である水分補給をすべしということで、無事だった自分の財布で黄色のスムージーを購入した。

ひと口含むと、おそらくマンゴーと思われるしっかりした甘みが一面に広がった。身体の疲労がリフレッシュされていくのを感じる。綾、お先にすまんな。


ジュースの確保に成功すると、構造がシンプルな私は自信を取り戻したようで、今度は腹が減っては戦ができぬと、隣にあった食べ物の屋台からもお迎えをした。

日本で言うと、シュウマイと餃子の中間くらいだろうか、薄い皮の中にお肉と野菜の餡が入っている焼き物を食べると、ニラとショウガの香りがふわっと鼻を通った。がぜんに元気が沸いてきた感じだ。


ふと、台所で夕食の餃子用にニラを刻む、母の背中を思い起こす。その横には、ひき肉をタレと絡めながら練り込んでいく父の背中がある。

私がこの世に生を受け、記憶がはっきりするようになってから、変わらずに台所に立ち続ける母と父。私の身長が伸びるごとに、最初は腰のあたりだった視点が、手もとが見えるようになり、同じ高さの目線になり、そして今では、頭の先のつむじが見えるようになった母父。

母父のご飯で、私の身体の、もっとも基礎となる部分はつくられている。


果物の水分が美味しいとか、ご飯が美味しいとか。

その喜びが力となって、精神のバランスを調整したり、新しいことをしようという気持ちが生まれたりする。

この当たり前の事実は、20歳を越えた先にある私にとっても、不変の事実なのだと、身にしみて実感した瞬間だった。


さらに商店街を歩き進めていくと、前方が開けた場所に出る。このあたりの広場のようだ。

ずっと空港やカフェにいたので気が付かなかったが、今日は気持ちの良い冬晴れが空一面を満たしていた。薄い水色のキャンバスに、少しばかりの雲が添えられていた。

私は斜め上方を見ながら、鼻からゆっくりと深呼吸をした。

楓が教えてくれた方法だ。

目の前のことに長時間注意が向いていると感じたら、空を見ながら深呼吸して、頭の中に酸素を回すと気分が良いよ、と。日曜日のお昼、一緒に海の見える高台の公園を散歩しながら教えてくれた。楓に早く会いたくなって寂しさがつんと募ったが、この局面を見事に乗り越えて、沢山褒めてもらうのだと、自分を元気づけた。


頭が冴えてきたところで、徐々に今の考えについて言葉が見つかってきた。


もしかすると今回の旅行に出る前までの私は、「海外旅行に行く」「観光名所に行く」という実績を作ることが主目的になっていたかもしれない。もちろんその実績も大事だが、こうして自分の気持ちのディティールが明確になってくると、本当に大切なことは他にもあるような気がした。


新しい場所で、「大きな視点」から今の自分をとらえること。

そして次に自分が何をしたいと思っているのか、何に感動し価値があると考えるのか、そうした気づきを得ることなのかもしれない。


広場のガイドマップから、自分が今どのあたりにいて、空港のある場所はどっちの方向なのかを大体把握することが出来た。正直とてもホッとして早々にそちらに向かおうとすると、広場の露店に並ぶアクセサリーや宝石類の中で、ひときわ異彩を放っているものから目が離せなくなった。


それは、翡翠(ひすい)色のような、青色のような、深いマーブル色の2つの珠だった。手のひらサイズで、表面はつるつるとしている。内側のマーブルについては私にはまったく見覚えのない物質で、角度を変えるたびに模様が変わっているようにさえ思えた。

「~~~~~」

思わず夢中になっていた私に声をかけたのは、露店の店番をする老人だった。赤い毛糸の帽子を目深(まぶか)にかぶり表情はよく読みとれなかったが、声色は親切そうだった。

こんな時にスマホがあれば自動翻訳が出来たのだが、私が分からなそうな顔をしていると、老人は言葉を探しているような様子で、やがて私の手の中にある珠を指さして「Power(力)」と言った。パワーストーン、ということらしい。

私は英語で、こんな石は初めて見ましたと伝えたが、今度は老人のほうが首をかしげた。私が「ビューティフル」言うと、そちらは通じたようで、老人の口元が優しく微笑んだ。

再び不思議の珠を指さすと、その人は私にこう告げた。

「Chage the world(世界を変える)」

その一言は、あまりにもスケールの大きな売り文句だったのかもしれないが、私にはとても素敵過ぎるものだった。


お迎えした、世界を変えるかもしれない2つの珠を眺めながら、私は元来た商店街を歩いていく。空港は引き返す方角にあったようだ。


そんなことも気にせず珠の模様にみとれていた私は、いわゆる前方不注意というやつだった。


直角の曲がり角のところで、目の前に突然、黒い影が飛び出してくる。

どん!と人間の柔らかい感触がして、私は後ろに身体が倒れていくのを感じた。とっさに珠を身体に引き寄せ、そのまま尻餅をついた。


私はまず、手元の無事を確認した。良かった、2つの珠は傷1つなくここにある。

続けて私は、ぶつかって同じく尻餅をついている相手に、大丈夫ですかと声をかけようとした。しかし口をついて出たのは、

「あっ、!!」

という驚きの声だった。


手に持ったエメラルドグリーンの小箱を取り落として、お尻をさすっている少年の姿がそこにはあった。


少年が空港で私の顔を見ていたかは分からないが、私が圧の強い形相で彼を見ていたらしく、慌てて小箱を引き寄せて退散しようとした。


その立ち上がろうとした少年の両肩を、上からがっしりとつかむ手が伸びた。

「さあ、追いついたよ」

私と少年が見上げると、勝ち誇った綾の顔がそこにあった。


~~~


少年は膝をついたまま、じっと地面を見つめている。綾が「ジャパニーズ・セイザ!」と言っていたが、少年に通じているかは不明だ。

綾としては少年に更生の機会を与えるべきと考えたようで、ちょっと前まで泥棒未遂をしようとしていた自分のことは棚に上げて、スマホの翻訳アプリで、どうしてこれが必要だったのかを聞いてみた。

少年はばつの悪そうな顔をしてしばらく黙っていたが、綾が鬼の形相でにらみをきかせると、ついに観念して白状を始めた。


その内容に、綾と私は顔を見合わせた。

「3歳の妹が、『私には今年、サンタさんが来るのかな』と言った。しかし僕の家には、サンタが来たことがない」

翻訳アプリの画面は、淡々と少年の言葉を記述した。僕は妹をがっかりさせたくなかった。それで、目に付いた中で一番きれいだったこの小箱を入手して、そのままプレゼントにするか、お金に代えて妹の喜びそうなものを買うつもりだったと。

自然と、目頭に熱いものを感じた。

せめて、小箱は捨てられていたことにして、この子は放免してあげようか。そう綾に提案しようとした時だった。


綾がおもむろにエメラルドグリーンのそれを手に取ると、端のテープをはがして開封し始めたのだ。

「え、、ちょっと綾??」

目をまん丸にする私の横で、綾がてきぱきと包み紙を外していく。呆然とした様子でそれを見ていると、綾は包み紙を私に押しつけ、そこを読んでみなさいと、宛先の書かれた貼り紙を目で示した。

Aya Takasaka(高坂綾)、~~~~~、Japan。

「これさ、私が昨日雑貨屋で買い物した後、自宅宛に配送依頼した箱なんだよね。旅の荷物になるので、いったん送ってしまおうと思って」

後で聞くと、カフェでスマホとにらめっこしていた際に、依頼した配送業者にいつ空港に荷物を配送するのかを問い合わせたり、この空港の一般的な荷物の運び入れルートを確認したりしていたらしい。


エメラルドグリーンの内箱を開けると、綾が好きそうな動物の人形やアクセサリー、ぬいぐるみなどが、所狭しと収納されていた。見方を変えれば、それは夢のようなおもちゃの宝箱だった。少年の目がキラキラと輝いていた。

綾は宝箱の中身をガサガサと探すと、手のひらくらいのサイズものを自分のポケットに入れた。そして残りはそのままに箱のふたを閉じ、リボンを結い直した。

「プレゼント、フォー、ユーアンド、ユアシスター」

少年は目を丸くした。本当に良いのか、という顔で私たちを見た。

綾が「ウィーアー、サンタクロース」と親指を立てた。

それにあわせて、私も少年に、メリークリスマス、と笑いかけた。私にとっては、初めてのサンタクロースの任務となった。

少年はこちらに何度もおじきをすると、プレゼントボックスを抱えて、やがて商店街の奥へ消えていった。


~~~


「まー、配送業者とは荷物紛失って話になっちゃうけど、依頼側の私が大丈夫ですって取り下げれば、そんなに大事にはならないでしょ」

綾が大きく伸びをしてみせた。私たちは空港近くのカフェに再び戻り、アールグレイーティーラテを飲みながら旅行代理店からの連絡を待っている。

「自分の荷物だったから、泥棒しようなんて強気に出れたんだね。でも、どうしてそうしようと思ったの?」

当初の予定では、あの小箱が空港に着くタイミングに、私たちはこの場所にいないはずだった。ということは、綾の元々の計画ではなかったということになる。

綾はラテをひと口すすると、カップをそっと机に置き、その手を自分のポケットの中に伸ばした。

「実は、計画が変わってね。これを今日手元に置いておきたくて」

綾の手がポケットから出てくる。

その中には、デフォルメされた可愛らしい、それでいて聡明な知性を持っているような、正面を向く2匹のキツネのキーホルダーが握られていた。

その片方を、綾は私に差し出した。

「本当は、日本に戻ってからゆっくりと渡そうと思ったのだけど。私の提案した旅行で英がクリスマスに日本に帰れなくなっちゃったから、少し早いけど、クリスマスプレゼントに」

キツネを自分の手元に受け取ると、ポケットに入っていたおかげか、ほのかな温かみを感じた。

「わあ、、とても素敵」

キツネを持つ私の手のひらに、そっと綾の手が重なる。

「私たちさ。小中学校はもう毎日ずっと一緒に騒いで遊んで、高校生になってからはお互いの部活中心の生活になったけど、週に一回は予定合わせてご飯を食べて。大学生になってからは数ヶ月に一度とか、こうして旅行のタイミングとかってなって。段々と、一緒に過ごす機会が恵ってくる周期は、長くなっていくんだろうけど」

綾は、優しい微笑みで私を見た。

「これからもずっと、大親友でいようね」


胸の奥底から、幸せな温かさがわき起こり、全身がそのオーラに包まれていく。

私という人生を語る上では欠かすことのできない、大切な宝物を見つけたという、喜びの気持ち。


私はもう片方の手で、綾の手を優しく、しかしはっきりと包んだ。

「ありがとう。もちろんだよ、ずっとよろしくね」

ていうか、と私は付け加える。

「もしかして今回の一件に私がこりて、旅行を断るようになるんじゃないかって心配して、フォローしたんじゃないでしょうね?」

「ぎ、ぎくぅっ・・・!」

「おあいにくだけど、私、全然こりてないよ。むしろ、新しい出会いがあったって、良かったって思ってる。来年はスイスかギリシャに行こう」

「それは良かった。英の突然のポジティブに助けられたことも含めて」

「ふふふ、何せ、私には世界を変えるパワーストーンがあるからね。あ、綾の分もお迎えしてきたよ」

「いや何それ、世界を変える力て。しかも2つ買うと1つ半額、みたいな感じで手に入るんかい」

思いついたようなやり取りが、待ちぼうけをしている私たちの時間に意味を与えていく。


「ところで、英さん。ここで、ニュースが2つあるのだがね」

綾が大げさに神妙な顔をして、かけてもいない眼鏡をクイッとあげる仕草をした。

「なるほど。では良いほうのニュースから聞こうか」

私も足を組み、スパイ映画風に答える。

綾は、手に持っているスマホをつんつんと指さした。

「英のスマホ、見つかったって」

「え、本当に?」

組んでいた足を秒でほどいて、その場で勢いよく立ち上がってしまった。周囲の目を気にして、おそるおそる席に戻った。


先ほど、代理店の担当者から経緯を含めて聞いたそうで、話が通じたのかよく分からなかった、と思っていた地元の警察の方が、その後地道に近辺を調査してくれていたらしい。その道中で、カバン本体こそ行方不明であるものの、英のスマホが路地裏に放置されていたのを発見したのだという。警察の話によると、犯人側もスマホは位置情報による逆探知などのリスクがあるため、扱いに熟練している者でなければ、スマホはさっさと捨てて金品のみ頂戴する方が無難なのだとか。それを見込んで、警察のほうで一生懸命に探してくれたそうだ。

「うわあ、とても有難い。勿論のことだけど、良い人も沢山いるんだね」

私は警察署のある方角に、静かに頭を下げた。

「よし。大変良いニュースだった。、、、して、もう1つは?」

綾は八の字眉をつくり、私とにらめっこをするような構図となった。


ニヤリ。

まもなく綾は、不敵な笑みをたたえた。

「誰も悪いニュース、なんて言ってないよ」

綾はスマホの画面を私に差し出してきた。よく見慣れたチャットアプリのトークが表示されていた。


「英が私のスマホを使って、楓さんとやり取りしていたトークルームに、あの後連絡があったんだ。楓さん、早朝の飛行機でこっちに向かってるって」

「・・・!!!」


「英と、クリスマスを一緒に過ごす約束をしたので、だってさ」


私は言葉にせず、目の前のメッセージを撫でるように両手で抱き寄せながら。

それは大きく、宇宙のように広がり続ける、幸せな温かさに身をゆだねた。


空の向こうから、着陸態勢に入る飛行機の音が聞こえてきた。

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