パニック
「ティナも少し休憩しましょう。イレーネ、私とティナは少し休憩しますから、ティナにお茶をお願いします」
「承知いたしました」
アルはそう言って部屋を移ると、アルフレートのボディを一時休止状態にした。
わざわざ部屋を移ったのは、目の前でアルフレートが動かなくなるのを見せると、未だ動揺しているティナに視覚的なショックを与えかねないと考えたから。
そしてアルがちゃんと休んでいるとティナに思わせるために、ティナの視界から姿を消したのだ。
そして先ほどの状況を再確認し始めた。
アルにとってティナは、所有者であり、保護対象であり、失いたくない唯一の搭乗員でもある。
所有者であるティナには今よりもっと幸せを感じて欲しい。
搭乗員であるティナにも同様だ。
保護対象にだって幸せな方がいいに決まっている。
ティナにとっての幸せとは何か? ティナの行動だけでなくこの星で収集した膨大なデータも使って再演算を始めたアルは、拡張した能力ぎりぎりまで高速演算を続けた。
だが、そこでもたらされたティナの一言。
『親しくなった人たちを見送り続けてでもアルと一緒にいたい』
このティナの発言で喜びを感じてしまったアルは、感情回路が暴走気味で意味不明なデータを吐き出し続けたため、処理能力の限界を迎えてしまった。
アルは一旦幸せ云々の演算を中断し、システムを冷却後にゆっくり再演算しようとして休息を申し出たのだが、ここで想定外の事態が起こった。
アルは今までティナに休息を申し出たことが無かったため、アルが故障してしまったとティナが誤認。
ただ誤認しただけなら訂正するだけで良かったのだが、ティナの変化は劇的だった。
インプラントの情報は完全にパニック状態を示し、ティナ自身言葉をぶつ切りで話し始めた。
緊急事態と悟ったアルは、ティナを落ち着かせるためにすぐさま誤解を訂正。
少し落ち着き始めたティナをさらに安心させようと、休むと言ってアルフレートを部屋から出した。
万一ティナが様子を見に来た場合に備え、アルフレートをベッドで休眠状態にまでして。
たとえアルフレートが休眠状態でも、ティナにはドローンやデミ・ヒューマンも付いている。
ティナの状態が悪化する兆候があれば、すぐさま対応が可能だ。
アルはインプラントの情報とドローンでティナの状態を見ながら、先ほどティナがパニックになった原因を分析し始めた。
その結果導き出された答えは、幼少期のトラウマ。
ティナは幼少期を殺人修道院とも呼べる劣悪な環境で過ごした。
侯爵家の血筋の可能性もあるティナを餓死させるわけにもいかず、年齢的に育児が必要だったティナの世話を、修道院のシスターたちはティナと似たような境遇のシャルトルーデに押し付けていたのだ。
ただこのことはティナにとって僥倖だった。
シャルトルーデは善良で、ティナの母親代わりとしてティナを愛しんだ。
だが、この幸せも長くは続かず、シャルトルーデは亡くなって、いや、おそらく実家の都合でシスターたちに餓死させられてしまった。
生まれた時から前世の夢を見ていたティナはある程度の思考力を獲得しており、シャルトルーデが餓死させられたことを悟っていた。
この世界に生れ落ちてから唯一ティナに愛情を注いでくれたシャルトルーデを、身勝手な者たちによって殺されてしまったのだ。
この時点で大人の精神をティナが完全に獲得していれば、ティナは激しい怒りを覚えたはずだ。
実際ティナは自分の事を語った時、理不尽な相手には我慢が出来なくなると言っていた。
だからこそアルは、ティナの精神が大人であっただろうと推測していたのだ。
だがしかし、もし欠落部分が埋まりきっていない大人の精神と幼児の精神が同居していたのだとしたら、アルが推測していた以上にティナは傷付いたはずだ。
先ほどパニックになったティナが、涙目になって最後に発した言葉。
『置いていかないで』
あの言葉は、精神が幼児退行してしまった幼いティナの、切実な願いだったのではないか。
奴隷狩りと対峙した時のティナは、軍の指揮官クラスの冷徹な人格に切り替わっていた。
アルはティナの精神を、適切な人格を作れるほどに強固なのだと認識していたのだが、ひょっとしてティナは、人の死に対しての本能的な恐怖のために、内にあった別人格に切り替えるしかなかったのだとしたら?
ティナは幼少期のトラウマで二重人格を発症したが、前世の自分というもうひとつの人格が俯瞰的にティナの心を見ることで、上位人格として二つの人格を切り替えているのではないか。
幼女としての傷付きやすいティナ、幼い心を守るために作り出された冷徹なティナ、そして状況を正確に分析して適切な人格に切り替える前世の誰か。
つまりティナは、三つの人格を持っていることになる。
そういえばティナは、インフルエンザ騒ぎの時に身勝手な住民の行動を予測して、精神の均衡を崩しかけていた。
アルに無茶な冗談話を振ることで持ち直してはいたが、あれは身勝手な住民に怒りを覚えながら、一方で教育機会を与えられなかった被害者とも認識し、さらにシャルトルーデの名にちなんだ国名の国民がそのような現状にあることを悲しみ、どの人格で対応すべきか迷った結果なのかもしれない。
結局どちらの人格でも対応結果は良くないと判断した上位人格は、対応を保留してストレスの軽減に舵を切ったのでは?
他にもティナの行動を思い返してみると、この説に合致する行動が多々あった。
外見相応の子どもっぽい事をして楽しそうに笑っていたり、かと思えば冷徹な判断も下せる。
そして前世の人格が状況に応じた最適解を思考し、大人を凌駕するほどの思考を見せる。
ただし三つの人格がバラバラなのではなく、前世の人格が二つの人格をうまく取りまとめているのが現在のティナなのではないか。
先ほどのティナの反応は、前世の人格の制御を外れた幼いティナが前面に飛び出てしまうほどに、幼いティナがアルを失うことを恐れたのだ。
分析の末算出された結果を基に、アルはティナの精神が人並みに脆いのだと認識を改め、アル自身が万一故障した場合にバックアップから復元する現在のシステムではなく、瞬時に代替え稼働出来るシステムを構築する決定を下した。
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