第10話 唯一の女王

 オーギュストにはメデイアという名の姉がいた。

 ザフィーラ王家に生まれるのは、なぜか男児が圧倒的に多く、女児であるメデイアが生まれた時には、国を挙げてのお祭りとなった。

 女児は男児より魔力を多く持って生まれてくる。そのため、王家に女児が生まれることは、国に繁栄をもたらすと信じられていたのである。

 メデイアは両親に蝶よ花よと甘やかされ、国の宝として大切にされた。そして、卓越した魔力と秀でた知性を持つ女性に成長した。

 彼女は周囲の期待を裏切らず、自らの才能を使って、様々な恩恵をザフィーラにもたらした。そんなメデイアのことを両親は誇りに思い、オーギュストも深く尊敬していた。

 戴冠式の日には、彼女自らが開発した空に咲く花が城を彩り、神々しいほどに輝く祭壇で彼女は王から王冠を戴いた。その様を見ていた人は、誰もがこれから始まる新たな治世が素晴らしいものになることを確信した。

 ザフィーラにとって黄金と呼ばれる時代が訪れた。

 ところが、メデイアが結婚相手を探し始めたあたりから雲行きが怪しくなっていく。

 まだ独身である貴族の子弟にはメデイアを満足させる男性がいなかったのである。

 そこでメデイアは平民からも自らの伴侶を募集することにした。王位はメデイアのものであり、執政も彼女が行うのだから、男性の身分を問う必要はないと判断したのだ。

 国中の青年が我こそはと女王に謁見を求めた。それでも、メデイアがいいと思う男性は現れなかった。

 こうなったら跡継ぎを作るのは弟のオーギュストに任せようかという話が出たあたりで、メデイアは運命の相手に出会うことになる。

 その男性は貴族だったが、純粋な独身ではなかった。すでに婚約者がある身だった。

 しかし、メデイアはその人しか考えられず、婚約者の生活と今後は保障するから、婚約破棄をして自分の夫になってほしいと迫った。

 男はメデイアを拒絶した。いくら王と言えどその命令には従えない、と。先王も他の男性を探すようメデイアに言った。

 メデイアは諦めなかった。今まで彼女の思い通りにならないことなどなかったのだ。何度も何度もその男性に求婚した。

 そして、事件は起きた。貴族の中で広まっていた陰口をメデイアは耳にしてしまうのである。いわく、


「メデイア様は不細工だからな。しかし、ご本人は面食いでいらっしゃる」


 男の婚約者は王国でも一、二を争う美貌の持ち主だった。怒りに震えたメデイアは男の婚約者を殺してしまった。男は悲しみに暮れ、自殺した。

 それからというもの、メデイアは自らの容姿に囚われるようになった。

 午前中は風呂と化粧に時間を割き、執務を怠るようになった。右手には鏡を常に持ち、何度も容姿を確認するようになった。毎日のようにデザイナーを呼んでは新しいドレスを作らせ、美しい宝石やアクセサリーを買いあさり、自らを飾ることに執心した。

 メデイアの怠慢と贅沢のせいで、国庫は貧相になっていった。

 先王はメデイアの所業を見て見ぬふりをした。そのうち治ると思っていたのである。

 しかし、先王の期待は虚しく、それだけでは終わらなかった。

 ある日、メデイアは気がつくのである。自分より美しい女が国から消えれば、自分が最も美しい女になれる、と。

 メデイアは美しいと評判の貴族令嬢を自らの寝室に呼ぶようになった。呼ばれた令嬢が寝室から出てくることは二度となかった。

 被害者が十人を超えたとき、流石にこのままにはしておけぬと先王とオーギュストが立ち上がった。

 メデイアの寝室へ行くと、部屋は真っ赤に染まっており、血が浴室まで続いていた。浴室を開けるとたくさんの女の死体が吊るされた中に赤い水の入った浴槽があった。

 メデイアは令嬢たちを殺し、その血で満たした風呂に毎晩入っていたのである。

 なぜそんなことをしたのかと先王がメデイアに尋ねると、メデイアは最初の一人を殺したとき、返り血を浴びた自分の肌が美しくなったような気がしたから、と答えた。

 先王はメデイアが狂ってしまったと悟った。

 メデイアを処刑するために先王は戦いを挑んだが、メデイアは国で一番の魔力を持つ魔女だった。戦いは熾烈を極め、先王は命を落とし、オーギュストが自らの魔力の全てを犠牲にすることで、なんとか勝利を納めた。

 折りしも雨季だった。壊れた屋根から雨が降り注ぎ、たおれたメデイアの頰を打った。最後の言葉をメデイアは吐いた。


「雨よ。天からお前が降るとき、人々の精気を吸い、水を汚せ。私は必ず生まれ変わり、この国を滅ぼしてやる。それまで呪いに苦しむがいい!」


 こうしてザフィーラの雨は呪われることになった。

 

 * * *

 

 日が暮れる頃には、たくさんの人が城に避難していた。

 平時であれば、華やかなドレスが舞うはずのダンスホールは、避難民に埋め尽くされた。衝立ついたてで区切られた小さな空間の中に仕分けられた人々がひしめいる。

 最初は使用人の寝泊まりに使う場所にある空き部屋に避難民を案内していた。しかし、それではとても足りず、急遽ダンスホールを解放することになったのだ。

 自ら来たのではなく、運び込まれた人もいた。

 客室がそういった人たちに使われることになった。彼らは建物が崩れたときに、瓦礫の下敷きになり、酷い怪我をした人たちだった。王宮に勤めている医者の手だけでは足りず、町から避難してきたはずの医者もまた患者を持つことになった。

 廊下では、城の使用人たちがシーツや毛布を持ってひっきりなしに歩き回っていた。中庭には仮設トイレが作られ、厨房につながる裏庭には野外調理場が急ごしらえされた。

 態勢を整えるのが妙に速いのは手慣れているからだろうか。

 ニーナは吹き抜けになっている二階部分からダンスホールを見下ろした。


「なんて人の多さなの? このホールですら埋まってしまうなんて」


 それに異様に静かだ。これだけ人が集まっているのに息遣いくらいしか気配がない。

 アメリがニーナの疑問に答えた。


「ここにいる人たちは地震のせいで避難してきたわけではありませんから。地震だけでしたらここまでの人数になりません。我が国の建築技術はそんなにやわじゃない」

「それでは……」

「皆、呪われたのです。雨に」


 階段からホールへ降りると、人々は老いも若きも、男女の区別すらなく、同じように顔を青くして、死んだように床に横たわっていた。


「これがこの国に巣食う女王の呪いです。雨にたとえ一滴でも打たれた者は魔力を少しずつ雨に奪われ、衰弱する。魔力が尽きれば次は生命力を……それさえなくなれば、死にます」


 信じられなかった。こんなに多くの人を一気に死に至らしめるような呪いがあるとは。

 帝国には魔法も呪いもない。ザフィーラの魔法は帝国民からすれば豊かさの象徴で、羨ましく思うような技術だった。それが呪いという形でこんな重大な事情を抱えていようとは、思いもよらなかった。


「治す方法はないの?」


 横たわる人々の負担にならないようにニーナは小さな声で尋ねた。


「満月の光を浴びれば呪いは解けます」


 前回の満月はいつだったか、ニーナは記憶を探った。はっきりと思い出せない。帝国にいたころは下ばかり向いていて、空を見上げることがなかったせいだった。


「王城には結界が貼ってあるので、少し呪いを和らげることができます。あの空色の膜がそうです。そうやって満月を待つのです」


 アメリが窓の外を指差した。城を覆う膜が雨を弾いていた。


「膜が呪いを避けるためのものということは、もしかして天幕も?」


 雨が降り始めたとき、大きな鐘の音と共に現れたのは膜だけではなかった。天幕もまた同時に町を覆っていた。


「ええ。天幕は結界と比べれば効果が薄いですが……壊れたせいでたくさんの人が直接雨に当たってしまったのでしょう。それに天幕がない場所にいれば、いずれ呪いに罹ってしまいますから、壊れた地区の方は全員、城に避難してきているはずです」


 アメリがダンスホールの入り口の方に顔を向けたので、ニーナも視線をそちらに移した。今もまだ数人の人が避難先を求めて入り口に立っている。


「雨に触れずとも、体や精神が弱ると呪いに罹りやすくなるので、毎年何人かは運ばれてくるのですが……ここまでひどい状況は私も初めて見ました」


 避難所を見回すアメリの顔にはめずらしく焦燥が浮かんでいた。落ち着きなく目を左右にさまよわせている。誰かを探しているようだ。

 ニーナは横に立つアメリの手を握った。


「大丈夫?」

「え?」

「すごく焦っているように見えるわ」


 アメリは驚いたような顔をした。ニーナからさっと視線を外す。


「申し訳ありません。私のことは気にしないでください」


 ニーナは首を振った。


「いいえ。そういうわけにはいかないわ。あなたが困っているとわかっていて放っておくなんて、私にはできないもの」


 まだ数日だったが、いつも自分と一緒に過ごしてくれるアメリを放っておくことなどできなかった。

 ニーナの言葉に髪色と同じ赤銅色の瞳が揺れる。

 アメリはポツリポツリと話し始めた。


「家族が……無事に避難できたか……心配なのです。先ほど、部屋の窓から見た壊れた天幕の中に、私の家族が住む地区もありました……でも、今のところ見つからなくて」

「だったら、ここを管理している人に聞きに行きましょう。これだけたくさんの避難民を受け入れているんですもの。誰が来たか把握をしている人がいるはずだわ」


 アメリが何を言おうとして口を開けたが、また閉じた。ニーナはアメリの手をさらに強く握った。


「知っていることがあるのなら、教えて。誰が管理をしているのかしら」


 アメリは迷ったように目を伏せた。アメリが言おうとしないので、ニーナはとりあえずホールの入り口に向かうことにした。


「とにかく誰かに聞いてみましょう」

「王妃殿下です」


 それで遠慮してなかなか言えなかったのか、とニーナは納得した。自分の家族の安否確認で王妃の手を煩わせるなど考えられないことなのだろう。


「行きましょう。きっと大丈夫よ」


(私はまだ婚約者だし、教えてもらえるはず)


 アメリの手を引いて、ニーナは歩き出した。

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