ソウル・スクランブル・ゲーム
田無 竜
プロローグ
プロローグ
定期をタッチさせたか不安になる。
いつもそうだ。路線バスを通学で毎日利用するうちに、意識せずに乗り口の読み取り機に定期をタッチさせるようになってしまった。
果たして今日の俺はしっかり定期をタッチさせたか、どうか。
まあ、忘れていたとしても始発地から乗車しているので問題は無い。運転手さんに伝えなければならないのは厄介だが。
「……おや?」
窓から外の様子を窺っていると、誰かが乗り口から俺に話しかけてきた。
何だ? なんだか懐かしい匂いが……。
「おやおや? おやおやおやぁ?」
聞き覚えのある声だ。いや、しかし少しだけ高さが違う。
「旦那君じゃないですかぁ。このあたしの」
俺の座席の方に向かってきた。隣は空いているのでそこに座る気だろう。
ああ、そうだ。知ってる。俺は彼女を知っている。
黒い長髪。黒いセーラー服。そして、謎の白手袋。恰好は記憶にございませんが、彼女のことは知っている。
「……
彼女は鼻を鳴らして隣に着席した。バスは同時に出発する。
「そうだぜ。よぉ、旦那さん」
「その呼び方は間違いなく来菜だ。久しぶりだな、奥さん」
彼女の名は
この呼び方は昔おままごとで使っていたものが定着してしまった形。
もちろんだが俺達は別に婚約しているわけではない。そもそも俺はまだ高校三年生だ。
いや、婚約自体は何歳でも出来るのか? 忘れた。
「『奥さん』……『奥』……女は奥に追いやるってことかい!? たーっ! あたしゃ悲しいよ。旦那が女性差別主義者だったなんて……!」
「『旦那』呼びの癖に何言ってんだか。いやぁ、何年振りだよ? ホントに……また会えるとは……」
俺は少しだけ涙ぐんでいた。
当然だ。来菜は俺の初恋の相手なんだから。
「……こっちの台詞。旦那さんは相変わらずだね。何も……ホントに何も変わってない」
「そうかな? 俺、少しは男らしくなったと思ってたんだけど」
「うーん……テレビや雑誌で見かけたからかな? 久しぶりではあるけど、変わった感じは無いねぇ」
「え!? み、見てたのか? 何か恥ずかしいな……」
「見てたよぉ。あたしはそりゃあもうストーカーの如く旦那君のこと追いかけ続けていたからねぇ」
だとしたら正直嬉しい限りだ。ただ、発言には気を付けてほしいな。前の席に座る女子が、『ストーカー』という単語を聞いて一瞬驚いていたぞ。
「それなら有名人になっても良かったと思えるよ。しかし来菜は髪伸ばしたなぁ。ってかその手袋は何?」
「これはね、指紋を付けないようにしてるの」
「犯罪者?」
「違う違う。あたしバイトしてるの。手袋付けてると人の物に触る時に指紋付かないし、荷物運ぶときには滑り止めになるでしょ?」
「倉庫とかでバイトしてんの?」
「まあそんな感じ」
これは多分違うな。
隣の席の男性が反応しているが、彼も話が聞こえてそうではないはずだと勘付いたのだろう。
「嘘だな。ホントはお前の親の手伝いとかだろ」
「え!? 何で分かったん?」
「そもそも今手袋付けてるってことは、さっきまでバイト中だったてことだろ? なのにセーラー服。着替えたくせに手袋だけ付けてるのは変だ。だとしたらセーラー服のまま働けるバイトってこと。つまり身内の手伝いだ。違うか?」
「いやぁ正解。パパのホテルでちょっとだけね。お小遣いのため」
「パパ……?」
「いや変な意味じゃないよ? そもそも昔あたしが引っ越したのだって、パパがホテル経営始めたからだし。聞いてない?」
「……いや、聞いた気がする。何か凄いこと始めたって話だったが……そうか、ホテルか」
なるほどな。でも一体何で手袋を付けたままなんだ? 外すのが面倒だったから?
「ちなみに、手袋付けたままなのはただの気分。だから仮に着替えをしてたとしても付けたままだったかもね」
「そうかい」
どうやら俺の推理はたまたま当たっただけらしい。
もしかすると彼女の父親がホテル経営をしているという記憶が頭の片隅に残っていて、そこから推測していただけなのかもしれない。
「……パパの手伝いはこれが初めて。そのおかげであたしはこうして貴方に再会することが出来た……」
来菜の声が静かになる。俺と同じ様に昔のことを思い返しているのだろうか。
「改めて久しぶり、
あああそうだ。俺の名前もよく覚えている。
彼女は間違いなく俺の幼馴染の川瀬来菜だ。
こんなに嬉しい日は無い。きっと、俺は今日という日のことを決して忘れないだろう。
「……そうだ。連絡先を交換しておかないと。良いよな? 来菜」
「ええよ。そらっ。食らえっ」
来菜はケータイを取り出し、画面をこちらに向けてきた。
既にQRコードを出していたようで、俺はそれを自分のケータイで読み込むことで彼女の連絡先を手に入れることが出来た。
これでいつでもどこでも彼女と会話できる。俺の人生はどうやら今からが本番らしい。
明るい未来図を想像し始める。俺がこれまでに辿ってきたあらゆる道筋の全ては、確かに幸福に続く道へと繋がっていた………………気がした。
その時――。
ガコン
「え」
来菜がこちらに倒れてくる。
目の前に見えていたバス車内の景色が斜めになっていく。
重力を右方向から感じる。
ああ、そうだ。これは確かに――。
ドゴォォォォォ
激しい衝撃と轟音。
その瞬間、俺の視界は真っ暗な闇に包まれる。
俺が定期をタッチさせたかどうかは――もう永遠に確かめられないことだろう。
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