自転車事故と劇場型犯罪

森本 晃次

第1話 パンデミック

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和4年10月時点のものです。社会情勢などは、名前を変えて記載していますが、フィクションだと思って見ていただく方が、気が楽かも知れませんよ。


 自転車というものが、どれほど危険なものであるかということを、分かっている人がほとんどいない。

 しかも、自転車に関しての法律は、ほとんどの人が分かっていないだろう。

 免許が必要なわけでもなく、エンジンがついているわけでもないので、自転車というのは、一応の法律がありながら、利用者に認知されていないことが多い。

 だから、誤解している人が多いようだ。

 しかも、道路交通法というのは、結構、毎年コロコロ変わったりする。車の免許であれば、更新が必要なので、どうしても、問題となるのだが、自転車の場合は、たまに行う警察主催の、出張講座くらいしかないだろう。

 わざわざ義務でもなければ、それを聞くという人もいないはずで、会場に行くこともないだろう。

 そもそも、何が違反なのか、よくわかっていない人が多すぎる。

 一番大きな勘違いというと、考えられることとしては、

「歩道を走る」

 ということである。

 基本的に、自転車というのは、車両区分でいえば、

「軽車両」

 に当たるのだ。

 軽車両なのだから、当然、歩道を走ってはいけない。

 歩道を走ることができる場合として、

「その歩道に、自転車走行可の標識がある」

「13歳以下の人か、70歳以上の老人」

「精神疾患がある人」

「車道を走ることに対して、車が多いなどの理由を客観的に見て判断できる時などの場合のこと」

 をいうのだという。

 最後の場合の、

「客観的」

 というのは、

「自分の勝手な判断ではなく、一般的な目で、公平に見た場合」

 ということなのだった。

 そして、自転車が走行できるのは、

「車道の一番左側で、自動車の邪魔にならないように進まなければならない」

 ということである。

 だから、自転車が、歩道を走った時、前述に該当しない場合は、

「走行区分違反」

 ということで、3カ月以下の懲役、または、3万円以下の罰金に処せられるのではなかったか。(変わってるかも?)

 つまりは、

「バイクが歩道を走行する」

 というのと同じなのだ。

 自転車が歩道を走っても違和感はないが、バイクが走ると恐ろしいと思うだろう。自転車が歩道を走行するのは、それと同じなのだ。

 特に最近は、

「アーバーイーツ」

 などの影響で、自転車による配達というものが増えてきた。

 まるで、数十年前の某国の首都のようではないか?

 それだけ、時代が逆行しているということなのか? 何とも言えないのだが、自転車は、とにかく、危険を孕んでいるのだった。

 そんな歩道を最近は、

「我が物顔で縦横無尽」

 という感じで走り回っている。

 それが、いわゆる、

「アーバーイーツ」

 と呼ばれる、

「お弁当宅配員」

 の人たちだ。

 お弁当宅配員といえば、かなり限定されたものになるのだが、実際にはかなり違っている。

 出前可能な。

「お持ち帰りフード」

 と呼ばれるものが基本となり、

「ハンバーガー」

「フライドチキン」

「ほか弁」

 と呼ばれるものなどを、一人の配達員が届けてくれるのだ。

 だから、昔でいうところの、

「てんやもの」

 というものとは違う。

 てんやものというと、そば屋や寿司屋のような、出前専用の人をその店が雇っているというわけではなく、

「出前屋」

 という形で、出前を基本商売とする組織が、配達員と契約をすることで、アプリを使い、配達員に、

「どこどこで、食材を受け取って、どこの家に届ける」

 という指示がいくのだ。

 並行して店には、

「出前物の種類と数量を客が予約したものを、データとして流す」

 というもので、配達員が向かうまでに、商品を作っておくというのが、基本である。

 所品を受け取った配達員は、バッグに精進を入れ、他の商品を掻き集めてきて、注文した家庭に届くのだ。

 これをシステム化したアプリを入れることで、誰でもは配達員となれるおだ。

 自転車なので車の免許は必要なく、駐車しておく心配もない。

 自転車であれば、マンションの入り口などにおいておけばいいということであろう。

 そんな配達員が、本当に危ないのだった。

 特に、ここ数年前に起こった、

「世界的なパンデミック」

 これは、伝染病のことで、世界的な流行により、日本も他人事では名は亡くなり、政府は、国民一人一人の行動規制を促した。

 最初は、欲わからなかったことから、

「強制力のない、緊急事態宣言」

 というものを発出した。

 そんなことをしたものだから、家を出ることもできず、しかも、飲み屋なども休業していたので、それでも、会社には、結構な人数が出社していた。

 全員がテレワークなどということは実質的ではなく、会社に近いとか、総務関係の仕事の人はどうしても出勤しないといけない。

 営業も、当然のことで、

「会社に行かなくても、取引先の相手との商談で、アプリではできないような商談がある場合などは、出勤したりする」

 だから、まったくのゴーストタウンというわけでもなく、どこかで食事をしないといけなくなるのだった。

 そんなニーズにこたえる形で、夜営業のバーやスナックの人たちが、店を開くことができないということで、仕入れた商品などを使って、表でお弁当の即売会をしていたりする。

 飲み屋街といっても、ちょっと表に出れば、昼間はオフィス街だったりする。そんなに移動することもなく、店を構えることができる。

「テーブルとイス、それにワゴン車があれば、たいていのことはできる」

 というようなものだった。

 中には、

「出前をしてほしい」

 という人もいて、なるべく要望には応える店が多かった。

 そんな時代だったこともあって、一番流行ったのが、

「宅配」

 だった。

 食材の宅配、弁当の宅配はもちろん、いわゆる、

「会員制のネットスーパー」

 などというところも人気だった。

 会員制のネットスーパー的な会社は結構昔からあった。

 今から30年以上も前から存在していたのである。

 基本的な業態やシステムが変わったわけではないが、なかなか難しいところもあり、定着しにくいというところもあった。

 基本的な運用としては、まず、会員にカタログを届けるということである。そのカタログを見ながら注文を行う。システムにおいての一番の変化、特に、

「買い手側から見ての一番の変化」

 というのは、この注文方法ではないだろうか?

 最初の頃は、

「専用の電話機」

 というようなものがあり、ブッシュ電話で注文専門のダイヤルを回すと、向こうでは、

「自動応答性」

 となっていて、アナウンスに従った、プッシュボタンを押すことで注文できる。

 たとえば、

「会員番号をどうぞ」

「商品番号をどうぞ」

「数量をどうぞ」

 などと言われると、カタログに載っている番号やお届けしてほしい数量を入力することで、注文できるというのが、ざっくりとした方法だった。

 そのうちにネットの普及によって、今では、インターネットでのホームページから、クリックすることで注文ができるようになった。

 前はパソコンからだったが、最近では、スマホからが主流にあり、まずは、

「その進化が著しい」

 といってもいいだろう。

 そして、配達日が、明日か明後日かということにあるのだが、翌日配達などは、配達側が大変である。

 注文を受けてから、製造先に注文をする。加工食品や日用品などは、在庫をある程度持っているだろうか、安心なのだが、生鮮品や日配などは、

「注文を受けてから、製造の発注を行う」

 ということで、夜の3時に注文が入り、その日の朝8時くらいまでに納品しないといけないなどというタイトなスケジュールだったりすることもある。

 大変なのは、トラックに積み込むまでの作業である。たくさんの注文の中から、例えば牛乳が全部で1000本だとすれば、それを一度に出してきて、それを会員ごとに振り分けて。そして、他の商品も同じように振り分けられた商品をかこに入れて配達をするということになるのだ。

 基本的に、伝票などでは間に合わない。

 会社や地域の規模にもよるが、一日に数千人の配達などというと、とてもではないが、手で集めてきたりなどするのは至難の業である。

 だから、基本的には、

「デジタルピッキング」 

 というものになるのだ。

 一列のレーン、つまりベルトコンベアを膝くらいの高さを通るようにしておいて、その後ろに人一人が動けるだけの隙間を設けて、そこに、商品を入れる棚を作っておく。あらかじめどの棚にいくつ入れるかをデータとして渡し、その数だけ入れておいて、実際にレーンを流すと、ベルトコンベアのところの箱のところと、商品の前にランプがつくボタンがついていて、

「棚から、いくつ取って、どの籠に入れるか?」

 という指示を出すことで、そのお客さんのかごに、

「ベルトコンベアを一周することで、お客さんの注文したものが集まる」

 という仕掛けになるのだった。

 それくらいの仕掛けでないと、とてもではないが、配達する商品をそろえることはできないだろう。

 それを今度は、軽トラに載せるわけである。

「軽トラに載せて配達する」

 と一口にいっても、いろいろな問題がある。

 まず最初の問題は、

「軽トラックに、どれだけの箱を載せられるか?」

 という積載量の問題。

 もう一つは、

「一人のお客さんが注文したものが、箱のいくつに収まるか?」

 という発想。

 注文の数によっては。3箱、4箱ということになるだろう。

 そうなると、トラックに載せられる箱の数の限界を考え、

「1台にどれだけの会員さん分を載せられるか?」

 ということになる。

 そして、トラックで配達するので、

「配送コースに沿って、一人が運べる限界を考える」

 なども必要になってくる。

 当然、それによって、トラックが余計にいったりするだろう。

 それらのことを、コンピュータにて処理をし、品出しは品出しようの部署に、配送は配送ようの部署に、それぞれデータ化して送り、そこで、指示書なりを出力して、それを元に作業することで、

「やっとお客さんに届けられる体制が整った」

 と言えるのだ。

 後は、それに基づいて、作業員が作業することになる。そのほとんどは、アルバイトだったりパートということになる。

 パンデミック前は、(今もそうなのかも知れないが)外人が作業していた。

 留学生なる名目で日本に来て、アルバイトをしている連中である。

 特に都会のコンビニやファストフードの店員には、外人どもが多く、

「鬱陶しい連中だ」

 と思っている人も結構いるのではないかと思う。

 言葉も分からないくせに、マニュアル通りのことしかしない、融通の利かない連中に、苛立ちを覚えている人は、本当に少なくはないだろう。

 そんな食料品や、日用品の宅配は昔からあったが、

「アーバーイーツ」

 のような、

「ファストフードを集めて配達をする」

 というようなシステムは最近のことである。

 元々は、

「タクシーの配車のためのシステム開発」

 だったものが、同じタクシーでの、

「予約の受付」

 として活用されるようになり、今では出前や、宅配に利用されるようになったというわけである。

 配達形式じゃ、自転車である。

 昔のてんやものの配達と言えば、バイクやスクーター、免許がなければ、自転車という感じだったものが、今は、

「駐車の問題」

 などというのもあり、配達には、自転車が利用されることが多くなった。

 実際に、ファストフードにいけば、

「いかにもアーバーイーツの配達員」 

 と思えるような人が、受付に行き、そこで番号を言っている。

 たぶん、配達の依頼があった時点で、配達範囲の人間で、今空いている人を探し、その配達員にデータを流し、同じものを、それぞれのファーストフード店に同時に送信することで、配達員が来る前に、あらかじめ、用意しておくということだ。

 保冷バッグの中に入れて、どんどん、該当のファストフード店に立ち寄っていく。そして、最後には、一人の会員のところに届けるというわけだ。

 食料品の宅配が、

「種まき方式」

 であれば、アーバーイーツなどは、

「摘み取り方式」

 といってもいいだろう。

 それもこれも、

「世界的なパンデミック」

 が起こったことで、人気の商売になったのだった。

 パンデミックが起こったのは、元々、某国の某市からであった。そこには以前から、アメリカなどの調査によって、

「胡散臭い都市だ」

 というウワサがあった。

 それが、実証された形になったわけだが、発生源がどうのというレベルではないほど、世界中がパニックになった。

 今は少し落ち着いているように見えるが、また冬になると、どうなるか分からない。普通のウイルスであれば、

「免疫ができるから、一度罹れば、再発はしない」

 ということになるのであろうが、このウイルスはそんなことはなかった。

「同じ人が、2度、3度と罹る」

 あるいは、

「最大回数のワクチンを接種しているのに、罹ってしまった」

 などという話も聞く。

 もっとも、ワクチンというのは、

「罹った時に、重症化しにくいというだけで、罹らないようにするためのものではない」

 というのが定説であり、

「確かに、罹りにくくなるのは事実だが、そこまで信憑性のあるものではない」

 ということだ。

 ワクチンに対してもそうだが、政府自体が、弱体化しているせいで、いいたいことが国民に伝わらないのかも知れない。

 特に、あれだけ国民の行動制限を縛り付けていたくせに、

「政策がうまくいかない」

 あるいは、

「無能な自分たちには、どうすることもできない」

 と開き直ったのか、今度は、行動制限をすることもなく、

「表でマスクを外しても構わない」

 などと、バカげたことを言い出したことで、

「政府は国民の命を守る気がないんだ。それだけ、責任を負いたくないという気持ちの表れなのか?」

 と思わせるのだ。

 要するに、

「政府は、何もしないから、自分たちの命は、自分で守れ」

 といっているようなものである。

 それを思うと、

「しょせん、政府も、自分たちの政権や、自分のことしか考えていないんだ」

 ということで、どんどん、国民の政治離れが進むだろう。

 政府が分かっていないのは、

「国民というものは、マスゴミと一緒で、都合のいいところを都合よく切り取って、勝手に解釈する」

 ということだ。

 だから、

「まわりに人のいない屋外であれば、マスクをしなくてもいい」

 と言われれば、若者などを中心に、特に、

「ワクチン接種を2回までしかしていない」

 などという連中などでは、本当に、楽な方にしか解釈をしないので、

「ああ、もうマスクなんかしなくていいんだ」

 と勝手に思い込み、マスクもしないで、買い物に行ったりする連中もいるのだった。

 中には、そういう連中に便乗して、分かっているくせに、勘違いをしているかのようにしている、

「確信犯的な輩」

 もいるのも事実だろう。

 そんな連中も、当然悪いのだが、それだけではない。宣伝効果が一番あるべき、マスゴミ以外の媒体としての政府がこれでは、

「この国、終わってるわ」

 と、まともな判断ができる人は、きっとほとんどが、そう思っているに違いない。

 そんな状態において、

「自分たちの命は自分で守れ」

 という政府をその時までは信じていたバカな連中も、今度は、別件で政府を見限るようになってきた。

 しかも、それは、自分たちの生活に直接影響するものではないことで騒いでいるのだ。

 ただ、


「税金が無駄遣いされる」

 という意味で、関係がないわけではないが、自分たちの命に直接かかわっていることを棚に上げて、それ以外のことには反応するという、それだけ、切り取り方がうまいというか、都合よく解釈するのがうまいということであろう。

 しかし、都合のいいことだけを切り取れるというのは、

「あくまでも、他人事のように見ているからではないか」

 ということではないだろうか。

 つまりは、

「他人事であれば、自分たちがミスリードされたとしても、結局は言い出したやつに責任を押し付ければいい」

 という、責任転嫁だけを考える。

 そして、最悪の結果になりかかっていても、その原因を別のことにむけて、時分は助かろうとするのが、

「国民側もある意味同罪」

 と言われるゆえんではないだろうか?

「どうせ、最悪の事態を招いたら、結局、直接的な政府の政策をやり玉に挙げて、実際に自分たちが結局は、政府に踊らされたということに気づいたとしても、結果として、それが一番の原因だ」

 ということを理解しても、それを口にすることはできない。

 そんなことを口にすれば、

「分かっていたくせに、それを実行した方が悪い。しかも、都合よく切り抜いておいて、よくそんなことが言えたものだ」

 と政府からは思われることだろう。

 それを許せるわけもない、

 政府と国民は、正直、敵対しているというのが、パンデミックの間で、露呈したと言ってもいいだろう。

 そのくせ、国民は、選挙に参加することはない。

 年齢が上になるほど、投票率は高い。

 だとすれば、政府も若者と年寄りのどちらを優遇するかということになれば、その答えは最初から分かり切っていることである。

「若者なんか、どうでもいいから、有権者である老人を守らないといけない」

 ということで、ワクチンなどでも、

「重症化する可能性がある」

 ということで、優先的に老人に接種をさせる。

 しかし、これは考え方だが、若者が摂取しない理由はいろいろあり、切実な問題もあるのだろうが、一般的には、

「重症化しにくい」

 ということで、

「最近発生したウイルスなので、俺たちは実験台にされているんだ」

 という気持ちになると、

「どうせ重症化もしないのなら、打たなくてもいい」

 と、変異を何度も繰り返したウイルスの弱体化から、打とうとしないのだ。

 しかし、これは、一番恐ろしいことだというのを、政府も国民も分かっているのだろうか?

 要するに、

「重症化しない連中が、感染しているかどうか分からない状態で、街を歩いているわけだから、下手をすれば、ウイルスをまき散らしていると言えなくもない」

 ということになるのだ。

 つまり、

「本当は、若い連中から先に、摂取すべきではないか?」

 ということも言えるのだ。

 だから、1,2回目の摂取において、若者たちは、

「摂取券なしでも打てる」

 という会場に殺到するのだ。

 何といっても、同時並行で、感染が増大している。

 その間に何が起こるのかというと、

「医療崩壊」

 であった。

 全国各地で、パニックになっている。

「軽傷だから」

 という理由で、自宅待機を余儀なくされた患者が、いざ急変したといって救急車を呼ぶ。

 しかし、救急車が来てくれないこともざらにあり、来てくれたとしても、今度は受け入れ病院がない。

 そして、救急車で受け入れ病院を探している間に命を落とすというような悲惨なことが、毎日のように、何十件とあったのだ。

 そんな状況を目の当たりにして、国民は震え上がったはずではないか。

 それから一年も経っていないというのに、政府が、

「マスクをつけなくてもいい」

 と言ったのを、拡大解釈し、その前後の言葉が受け落ちた形の切り抜き解釈をする連中が多い。

 もちろん、一年前の悲劇を忘れられずに、ずっとマスクをしている人もたくさんいるのだが、やはり、少数派であっても、守らない連中にスポットライトがあたり、それが、全体の意見のように思われるが、とんでもないことであった。

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