65.運命の輪は回り始めた

 攻めてきても守ってくれそう、とは思ったけれど。本当に攻めてこなくてもいいのに。


 第一報を受けての感想がこれだ。結婚式間近なのに、何をしてくれてるの! 憤る私をさりげなく膝に座らせながら、ルーカス様はさらにお怒りだった。


「なるほど、余程命が惜しくないとみえる」


 にやりと笑う腹黒い感じ、やばいけれど素敵だわ。彼の悪意が外へ向いている限り、まったく問題ない。十分に、鑑賞対象だった。


「でも……もうすぐ叛逆が始まるのでは?」


「まだ少し猶予があった。結婚式の前なので凶事を避けたが、先に血祭りに挙げられたいらしい」


 いや、血祭りに挙げられる気はないでしょう。こっちを叩きのめす気だと思う。心で突っ込むが、賢明にも口に出さなかった。いつもバカを繰り返す私だって、さすがに学んでいる。ここは無言で微笑むに限る。


「リンネア、少しだけ雑事を片付けてきます」


 あ、宰相閣下バージョンに戻った。頷いて「いってらっしゃいませ」と見送りに立つ。当たり前のように腰に手を回す彼は、少しだけ驚いた様子だ。そうでしょう? ダイエット頑張ったんだから。ちゃんとドレスのお針子さんとも調整済みだ。


「気をつけてくださいね。帰ってきたら、子爵家の温泉に立ち寄りましょう」


 新婚旅行で実家はおかしいので、その前にお誘いしよう。距離もさほど遠くない。笑顔で添えた誘惑は、思いの外、高い効力を発揮した。


「温泉……ええ、もちろんです」


 腹黒さに磨きがかかった気がする。ごめん、アベニウス王家の人達、たぶん……ルーカス様がざっくり手短に、でも二度と這い上がれないよう叩きのめしに行く。そのつもりはなかったけど、火を付けたのは私だった。


「失礼します! ああ……ご無事で」


 こちらの屋敷が襲撃されたとでも思ったのか、エルヴィ様が息を切らして駆け寄る。元王女殿下とは思えない。髪や服は乱れ、荒い呼吸を整える顔は汗に濡れていた。


「こちらをお使いください」


 控えていたハンナがタオルを差し出し、私も彼女に手を伸ばした。宰相家の玄関ホールはやたらと広く、両側に螺旋階段がある円形だ。その両側に飾りのように置かれたソファへ誘導した。


「ハンナ、お水もお願い」


「はい。承知いたしました」


 足早に下がるハンナを見送り、一度立ち上がってルーカス様の手を握った。ぎゅっと握った手に彼の唇が触れる。


「行ってくる」


「ご武運を」


 直接隣国へ行くのではないが、彼自身の戦場に赴く。宰相としてこの国の采配を任され、国王陛下の代理権を持つ重鎮だ。必ず隣国に勝ち、結婚式までに戻ってください。そう願いを込めて微笑みを添えた。


 宮廷占い師に出来ることはない。動き出した運命の歯車は、もう止められない状況まで回った。彼の温もりが離れた指を包むように抱いて、私はしっかりと正面を見据えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る