15.あり得ない話がごろり
ネヴァライネン子爵家の領地は猫の額ほどだ。本当に狭くて、小さな村が一つくらい。管理は執事アルベルトに任せている。正直、私より細かいところに配慮するので助かっていた。代々管理してきたが、村人達とは良い関係が築けている。毎年お祭りに呼ばれ、お酒や食料品を持参して踊りに行くくらいだから。
ほぼ家族ぐるみのお付き合いというやつで、とても気楽だった。一緒にワインの葡萄を踏んだり、備蓄が尽きそうと聞けば屋敷から助けに向かったり。逆にお庭の手入れが行き届かないと聞いて、村人が草むしりを手伝ってくれたこともある。領地は実家と同じ大切な存在だった。
その領地を? 差し出せ、と。私は眉を寄せた。
1時間ほど前。
「国王陛下、イーリスにございます」
久しぶりの正式な呼び出しに応じて、謁見の間へ向かう。途中で合流したルーカス様から、嫌な話を聞いた。隣国の公爵家から求婚した本人が訪ねてきたらしい。私自身から話を聞かなくては諦められない、とごねたのかな。うーん、嫌な感じしかしない。
「うむ、ご苦労である」
労われて、下げた頭を戻す。私は意図的に、正面の国王陛下と王妃様に視線を合わせた。陛下は厳しい表情だが、王妃様はわくわくしてる? もしかして三角関係を楽しんでいるのかしら。王妃様やムストネン公爵夫人は恋愛小説がお好きだったっけ。
関係ないことを考えながら、右側に立つ客人の存在を無視した。熱い視線を注がれているが、ヴェールがあるのをいいことに気づかないフリ。何かあれば、フォローはルーカス様に任せればいいと聞いている。先日交換された銀に黒真珠の髪飾りをしてきた。
クローゼットから選んだドレスも、紺に銀刺繍で品のいいデザインだ。色を合わせ、ヴェールも紺で整えた。暗い色を選んだのは、仕事に徹してる印象を与えるため。それと婚約者のいる落ち着きを演出できるらしい。助言はハンナだ。
「隣国アベニウスより客人で、ステーン公爵家のクリストフ殿だ。どうしてもヴェナライネン嬢と話したいと譲らなくてな」
はははと笑いながら話しているけれど、目は厳しい。しつこいんだ、この野郎! と副音声が聞こえた気がした。たぶん、間違っていない。
「美しきイーリス嬢、初めまして。俺は……」
「待っていただこう。婚約者でもないのに、勝手に我が愛しのイーリスの名を呼ぶなど。貴国では礼儀作法は学ばないのか」
隣でエスコートするルーカス様が、びしっと厳しく注意する。それは私も思った。勝手に呼ばないでよ、と。そもそもこの場に呼ばれたのすら、気に入らないってのに。
むっとしながら僅かに顔をそちらへ向ける。ヴェール越しに顔を確認した。うん、タイプじゃない。そこそこ美形だと思うけど、好みではなかった。そのまま角度をずらし、ルーカス様に視線を向け、うっとりと見惚れる。
なんていうのかな。表現が難しいけれど、太陽と月でどちらが好みかって問題に近い。私はルーカス様以外、目に入らないかも。
「失礼しました。気が急いてしまい……ベナライネン嬢、我が最愛の方」
名前の発音が違うが、隣国の人だし仕方ないよね。基本的な言語は同じなのだが、発音が違うのだ。そのため、他国の人は発音できないことも多々あった。
「俺の求婚を受け入れてほしい」
ゆっくり首を横に振る。ヴェールが優雅に揺れた。するとこの後とんでもない方向へ話が転がり、領地を差し出せというあり得ない話に繋がった。本当にあり得ない!
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