第17話

 暗色で統一された高級感漂うエレベーターで、十二階まで上がる。十二階の共用通路の突き当たりには、大きな窓があった。高層ビルのない素朴な街並みが見渡せた。


 伊桜は突き当たりの部屋の前で足を止めた。これもハンズフリーキーの成せる技なのか、取っ手部分に指先を触れただけで鍵が開く。最高に便利だ。


「どうぞ」


 伊桜が扉を押さえてくれた。「お邪魔します」と入りながら、扉を押さえてもらうという紳士的な扱いを受け、いまさらながら改めて状況を実感する。岳陽以外の異性の部屋など初めてだ。心臓が急に、フル稼働で働き始める。


(見学したら、すぐに帰ろう)


 玄関に入ると、勝手に足元に照明が灯った。まだ新築の部屋の匂いがした。寄せてある革靴の横にパンプスを揃えて置き、出されたスリッパを履いて廊下を進む。興味本位で来たことを、猛烈に後悔していた。一人暮らしの男性の部屋に入るという想像が甘かった。ものすごく緊張する。


 だが居間に通されて、青空が見える広々とした部屋を目にした時、緊張を忘れた。大きな窓が、壁にいくつも並んでいて、明るい。角部屋のため、横にも窓があり光が入り込んでいた。


 室内の調度は最低限で、綺麗に片付いている。中央にローテーブルとL字ソファがあり、下にラグマットが敷いてある。青みがかった灰色の煉瓦柄の壁紙を背に、五十インチの大型テレビがあった。濃茶色のテレビラックの横に、背高い観葉植物がひと鉢ある。


 扉の数から4LDKだろう。実家が裕福なのか、賃貸に金を払うくらいならマンションを買ってしまう主義なのか。下世話に事情を考えたのは一瞬で、雪葉は壁の上部に飾られた、額縁に収まるジグソーパズルに目を引かれた。


 二千ピースはある巨大ジグソーパズルだ。全部で五つあり、すべて風景画である。森や湖、城、町、あとは星空を汽車が走るファンタジー要素を含んだ絵もある。見ていると、伊桜に声をかけられる。


「それ、俺が作ったやつ。ジグソーパズル、好きなんだよね」


 意外だった。もっとアウトドアな趣味を好んでいると思っていた。


「連休とかあれば、買って、三日間ずっと家にこもってやってたりするくらい。社会人なってからは、ほとんどできてないけど。誰かに教えれば、『地味ー!』って笑われる趣味」

「……でも、エンジニアって、ちまちました作業への達成感に快感覚えるくらいじゃなきゃ、できない気もしますよね」


 伊桜はきょとんとした後、笑った。


「ははっ、何それ」


 笑顔に心臓をはやらせながら、雪葉は目線を下げた。伊桜が笑うと、可愛い。こういう点も女性の心を掴んでしまう理由に違いない。


 伊桜は、居間と続いてる対面キッチンに回った。


「コーヒーでも飲む? って、コーヒー飲まないんだった。お茶もないし、水とビールしかないな。……どっちか飲む?」

「いえ、お構いなく」


 『もう帰りますので』と続けようとして、テレビラックの隅に置かれた、とある物を視界に捉えた。


「あ、カピオカート」


 家庭用ゲーム機のゲームソフトだ。カピバラに育てられた人間の少年『カピオ』が、カピバラの着ぐるみを着て車に乗り、世界を旅する先々で出会う動物や人間たちとカーレースで速さを競うという、大人気ゲームだ。


「ああ、それ。この前会社の同期が置いていったやつ。遊ぶ?」

「いいんですか?」


 誘惑に負けた。カピオカートは好きなゲームだった。伊桜はゲーム機の準備をし始める。飲み物は結局、砂糖とミルクを増しましにしたコーヒーをいただいた。


 ゲーム機のコントローラーを手に、雪葉は小さく言った。


「久しぶりだなぁ……」

「やったことはあるんだ?」

「はい。たーちゃんと――弟と、実家で暮らしてた時は、よくやってて」

「俺、それなりに強いけど、手加減しないよ?」


 伊桜が好戦的な笑みを作って見せる。雪葉は面白がって真似た。


「私も、手加減はしませんよ」


 二時間後、伊桜はテレビの前で背を丸くしていた。クッションを間にしてソファの隣に座る雪葉は、陽気に言った。


「これで私の十七連勝ですね」

「……」

「もう一回やりますか?」

「……いや……、もう、いいや……」


 何度もリトライを求めた伊桜だが、勝てそうにないためいい加減諦めた。


「ていうか元村さん、強過ぎない? ドリフトの使い方が上手いのはまああるとして、ほかに爆弾アイテムで一緒に爆破させてくるし、コースの近道熟知してるし、カーブで速く曲がるために前輪落とすあれ、溝落としでしょ! 上級者テク使いこなしてて何者? まじで速過ぎなんだけど」

「あはは……。弟が持ってて、よく一緒にやってたもので」


 大学受験勉強の息抜きに、ストレスを発散させるようにやっていて、上手くなってしまった。


「でも、伊桜さんも上手いほうだと思いますよ。結構やってたんじゃありませんか?」

「うん、まあ……そうだね。普通にゲームをする男子並みには、やってたけど……上から励まされても……ね」


 伊桜が悔しがる様子が可笑おかしくて、雪葉はまた笑みを零した。それからコントローラーをローテーブルに置き、マグカップに残る甘いコーヒーを飲み干して、立ち上がる。


「じゃあ、そろそろ帰ります。急に来て、すみませんでした」


 鞄を持つ雪葉に、伊桜はわずかの間ぽかんとした。それから「あ……そう」と玄関まで雪葉のあとをついてくる。雪葉は靴を履いてから振り向いた。


「お邪魔しました」

「家まで送るよ」

「えっ!」


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