第40話 エピローグ・弐



 あの後、小夜子の目の前に現れたあやかしは屈託もなく笑って、「久しぶりだな、小夜子」と宣ったのだ。

 小夜子は手の内に合ったバッジが消え失せたことも気付かずに、ガーゴイルへと飛び付いた。ガァちゃん、私のガーゴイル。

 ガァちゃんの腕がいつものように優しく、決して小夜子を傷付けぬよう小夜子の身体を優しく受け止めて、小夜子の顔と己の顔を間近へと近付けた。物凄く久しぶりに抱き止められたことも、こんなにも近くに互いの顔があることも、その全てを小夜子は忘れてガーゴイルの首に抱き付いた。ガァちゃん、ガァちゃん、私のガァちゃん!


「おいおい、小夜子。そんなに締め付けられたらオレの首が締まってしまうぞ?」 


 何時ものように砕けた調子で小夜子を揶揄うガーゴイルを、涙で膨れた瞳でキッと見詰めた小夜子は「ガァちゃんのバカ!いじわる!」と宣い、より一層ガーゴイルの首に巻き付いた。

 巻き付いた?そう。

 小夜子の身体にしなやかな鱗を湛えた尻尾が、まるで元からそうで在ったようにしゅるりと生えていた。


 小夜子がガーゴイルを想起したように、ガーゴイルも小夜子にちょっとした想起を与えたのだ。のちに小夜子からは「翼の方が良かったのに!」と叱られたが、それはもうちょっと小夜子が大人になってからの話としようと説き伏せた。 翼でも与えてしまったら、何処ぞへと飛んで帰らぬ恐れも多分にある娘だ。今は尻尾だけで良い。 如何して斯様な娘が己をこんなにも好いてくれるのか、タラスキュの記憶も消えぬガーゴイルには些かの自信も無かったのだ。

 小夜子は聡い娘であったから、ガーゴイルの懸念を何と無くではあるけれど感じ取った。小夜子はガーゴイルと暮らすことを望み、己とガーゴイルの暮らしやすそうな家屋を想起して、セドナの水晶の岸辺やヨナちゃんのいる青々と瑞々しさを湛えた森、時にあの時の茨の棘が変じたシロツメクサの草原へとガーゴイルをいざなった。時に手を繋ぎ、ガーゴイルにいだかれ、その背に乗りながら、彼の地のあちらこちらへと足を運んだ。セイレーンやマーメイドの美しさも小夜子にはもう何の気にもならず。夕暮れには彼女たちの歌をガーゴイルと共に味わった。そうして、そうやって。


 小夜子は誰に想起されたのかも分からずに、自然と成長を遂げていた。

 少しく大人びた面持ち。今まで以上にすらりと伸びた手足。

 髪の毛は相も変わらずサラサラと吹かぬ風へとなびき。

 そうして。

    

 その日その夜、かつて小夜子の暮らしていた町では、小夜子の通うはずであった中学校の同窓会が二十年かぶりに開かれていた。 三十代を半ばとした男女が懐かしがったり、驚きを持って互いを迎えたりと、小さな町の同窓会にしては多分に盛況を誇っていた。発起人たちはその様を見て満足をし、己らの自尊心を大いに満足させていた。 小夜子の話題が出るまでは。


 「そう云えば、さ」些か御酒に満たされた男性が口火を切った。「山ちゃん、やっぱり来てないね」それを耳にしたこれまた酔った輩が応える。「そりゃあ来られないだろォ!あんな事件、あってさ」「引越し先だって分からなかったんだろ?」と主催者に尋ね、先ほどまで大いにはしゃいでいた彼女らを些か居心地悪くさせた。 賑わっていた会場に少しく沈黙が訪れた後、


 「大鳥小夜子」  


 と誰かが呟いた。 

 

「あの年は事件が矢継ぎ早だったな」

「俺なんて記憶も曖昧だぜ」

「小学二年生の頃だっけか」

「まだ見付かってないんだろ」

「神隠しだとか悪い人に攫われたとか云われてたよな」

「俺はいじめの末の自殺じゃないかって親から聞かされたけど」


 その刹那一部の女性たちがビクッと身を竦ませた。しかしそんな彼女らの心情なぞ知ったことかと彼らは言葉を紡ぐ。

 「ソレは流石にないだろうけれどさぁー」

「俺、実は大鳥のこと好いなあって思ってたんだよね」

「わかる!俺も!」

「なんかさ、当時は分からなかったけど、孤高でミステリアスな雰囲気があって…」

「男みたいな格好、よくしてたけど、なんかそこも格好良くてさ」

「俺、大鳥が最後に学校に来た日に話しかけられたけど、ドキドキしちゃってさ」

「まあ、山ちゃんのこととか転入生のヤツのこととかしか訊かれなかったけど」

「それでもあの時、まだ授業も始まってないのにランドセルを手に取って教室を出て行く大鳥を、なんで止められなかったのかって、しばらく落ち込んだよ…」


 どうにもやるせない感情と一部の女子から発せられる腹立たしさに似た感情をその身に受けながら、小学二年生のころの、ガァちゃんと大冒険をしていた当時の姿に久しく戻り顕現されていた小夜子は見慣れない会場の隅っこでぽつねんとしながら、各々の言葉を聞いていた。

 元々興味もなかったから、大人になった彼ら彼女らの素性は到底分からなかったけれど、たった一人。一人だけ分かる。なんせ顔付きが全く変わっていないのだもの。

 これで女ボスが鎮魂の念でも見せていたのならまた話は違ったけれど。 どうやら彼女にはそんな心持ちの一つもないみたい。

 宴もだいぶん時間ときが過ぎて、二次会から三次会へと赴く面々が少しばかり根を張るころ、かつて女ボスと呼ばわれていた彼女は惜しみながら二次会で場を後にした。若くしてシングルマザーとなった彼女は、仮令主催者の一人でも子を持つ身なのでそうそう夜更かしも出来ぬのだ。そうして幾分か酔った頭でまさかこの歳になってまであの忌々しい名前を、しかも多分なる郷愁を以って聴かされるとは思わなんだ、と腹立ち紛れに近くにあった店の軒先にあるポリバケツにその太い御御足を以って当たり散らした。思っていたよりも転がったソレは、街路樹とは云えない近頃はむしろ珍しい趣の柳の下へと転がって行った。

 まさかそんなに転がり行くとは思わなかった彼女は些かな罪悪感を以ってポリバケツの元へよろけながらも駆け寄った。


 そんな。

 些か燻んだ水色のポリバケツの横の。

 柳の下に己の胸元辺りまでありそうな影がある。

 長く栗色を帯びたサラサラと揺れる細い髪。

 透けそうなほどに真っ白な肌。

 被服から伸びる手足はひょろりと美しく長く。

 己の地黒さとは相反する。 己は、この形を知っている。


 そのモノが彼女に顔を向けニコリと微笑んだ瞬間に、長嶋リラは目を剥いて卒倒した。

 そうして、近所の八百屋が市場に赴かんと早朝の屋外に出るきわまで、道端で下半身を盛大に濡らしながら失神していた。 


 こうして小夜子は、セイレーンやマーメイドと遜色たぐわぬ、

 否、それ以上の『あやかし』となった。

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