初めての外食

 南陵なんりょうさんと広野ひろのさんの一件を帷子かたびらさんに告げたら、当然ながら苦い顔をされてしまった。


「……馬鹿なことをした。よりによって徳を使い切って消滅する道を選ぶなんて、な」

「そう馬鹿にするもんでもないさね。死神のお前さんにゃわからないかもしれないけれど、惚れた男と一緒に逝くことを選んだんだったら、もうこっちがどうこう口を挟む隙はないよ。もう放っておいてやりな」

「しかしな……」


 帷子かたびらさんは苦虫を噛み潰したような顔のままだった。

 私の知っている限り、遊女と客の恋って、よっぽど客が金持ちでない限りは大概は心中に行きついてしまう。

 そもそも客のほとんどは既婚者で、江戸時代だったらいざ知らず、大正の世では女の不倫は犯罪なんだ。どちらかが生き残ったほうが悲惨な最期を遂げてしまうのだから、心中しますと宣言されてしまったら最後、心中が成功しますようにと不健全な祈りを向ける以外に外野がやれることはない。

 帷子かたびらさんは帽子を深く被り直すと、ようやっと万屋を出て行くことになった。


「……邪魔したな。こちらも神に文句を言われないよう取り繕ってくる」

「ご苦労さんだね」

「そちらもな」


 そう言いながら、帷子かたびらさんは小瓶を置いて行った。中には透明な液体が占められていた。そういえば、死神である帷子かたびらさんは徳を溜める必要がないんだろうか。

 私がぼんやりとしていたら、先生が「ほら、お前さんたちもおいで。徳を積みな」と言われて、案に徳を溜める瓶を開けるように言われる。

 結局のところ、駆け落ちしたふたりを止めることはできなかったとしても、死神の手伝いをしたということで、徳は得られたようだ。釈然とはしないものの。

 私が気落ちしているのに、不明門あけずくんは肩を竦めた。


「あのなあ……オマエも一応表の吉原にいたんだろうが。駆け落ちからの心中だって、そこそこ見てるはずだろ? それで気落ちしてたって仕方ないじゃん」

「……よく見てるからって、慣れる訳じゃないし、なにも感じなくなる訳じゃないよ」

「そうは言ってもさ、八方塞がりだった遊女と客なんて、どうしようもなかったらそうなるしかないじゃん」

「そうなんだけど……」


 だんだんと気持ちが萎んでいく中、「はいはい」と手を叩いた。


「そうやって落ち込んでてもしゃあないし、こんなうだつの上がらない依頼でもらった徳を後生大事にしたってしゃあないからね。この分は今日中に使い切ろうか。久々に外で食事に行くよ」


 そう急に宣言された。

 思えば裏吉原にはいろんな店が並んでいるため、お使いの行き帰りにお惣菜屋さんに買いに行ったらそれを万屋で温めればそのまんま食べられたから、外で食べ歩き以外で食べに行ったことがない。

 そもそも夜の吉原は裏表関係なく、外から来た客のためのものって思っていたから、裏吉原の住人も使っていいとは、今更になってようやく気付いたことだ。

 それに不明門あけずくんは歓声を上げる。


「わあ! なら師匠、俺桜鍋食いたい! 馬肉!」

「馬肉とはねえ……あたしは馬肉食えないって知ってるだろうが」

「えー。なら天ぷら。きすや海老なら師匠も食えるだろう?」

「まあそうだね。音羽はどうだい?」


 そう話を振られて、私は慌てる。

 正直姐さんたちが噂をしていた桜鍋は、食べられるもんなら食べてみたいけれど、先生が嫌いだって言っているのにわざわざ行くのはなと思う。

 それに私は、裏吉原に来てから毎日まともな食事が食べられている。吉原での下働き時代では、見世で働く姐さんたちが最優先だったため、部屋持ちの姐さんのおごりじゃないとほぼ食事が食べられなかったから、はっきり言っておいしいまずいで食事を考えていない。食べられる食べられないで考えるから、なにをもらっても嬉しい。


「……食べられるものだったら、正直なにを食べてもおいしいんで、食べられるものだったらなんでも嬉しいです」

「もう音羽。オマエ天ぷら食べろ。天丼食べて溺れろ。美味いぞ」


 話を聞いた不明門あけずくんに肩をバンバンバンバン叩かれた。

 暴言吐かれない、暴力振るわれない、お腹減らしたまま働かなくていい。それだけでもう満足だと思っていたのに、欲というものは覚えれば覚えるほど際限がなくなるものらしい。


****


 赤々とした提灯がついている。

 この光を見て心が落ち着くのは、いったいいつぶりになるんだろう。吉原にいたときは、夜は客のための時間帯だからと、下働きは息を殺して見守るしかなかった。

 でも夜は見世に向かう車にさえ気を付ければ、裏吉原に住まうひとびとも普通に行きかっている。

 先生が連れて行ってくれた店も、裏吉原の遊女たちだけでなく、普通に住人も行っているだろうとわかる天ぷら屋さんだった。

 店主は腕の太い妖怪だった。なんの妖怪だろうとぼんやりと眺めていたら、不明門あけずくんに肘で小突かれた。


「じろじろ見るなって。失礼だろうが」

「う、うん。ごめんなさい」

「とりあえず座りな。お品書きはあちら」


 そこに書かれているお品書きを眺め、いろんな魚の天ぷらが食べられるのが見て取れた。

 正直、私は天ぷらなんて油をたくさん使う料理をほとんど食べたことがないため、なにを出されてもおいしいと思うけれど、なにがおいしいのかがわからず、ポカンとした顔をしていた。


「鱚の天ぷらとか、山菜の天ぷらとか。いろいろあるけどどうする?」

「あんまり食べたいものがないんだったら、天丼を頼んでおけばなんでも天ぷらにして載せてあるよ。それにするかい?」

「えっと……はい、それをお願いします」


 先生が「天丼三人前」と頼んだら、店主が「あいよ」と返してくれた。

 しばらくしたら、天丼が三人分届いた。

 白いご飯の上に、こんもりと乗っている天ぷら。どうもそこに出汁をかけて食べるらしいけれど、ふたりとも先に天ぷらをひと切れ取ると、それを出汁に漬けて食べはじめた。


「あの……?」

「最初は天ぷらの味を楽しんでから、次に出汁をかけてご飯と一緒に楽しむんだよ」

「なるほど……」


 多分これは尻尾が出ているから海老だろうと、海老の天ぷらを取ってから、出汁に漬けて食べた。

 衣がサクサクとしていて、軽やかだ。天ぷらの海老も身も甘く、尻尾も軽くておいしい。なによりも出汁の味が、衣と身の甘さを引き立てている。目の端がパチパチと星が瞬いたような気がした。


「……おいしいです!」

「そりゃよかった」

「おう、海老の天ぷらは美味いだろ。天ぷらはこんなもんじゃねえからな」


 ふたりにニヤニヤと笑われながらも、私は夢中になって食べた。

 出汁に漬けてもかけても天ぷらがおいしく、ご飯も出汁と天ぷらの旨味が染みておいしい。一生懸命食べたら、あっという間に空っぽになってしまった。

 ……こんな贅沢を覚えて、この先生きていけるんだろうか。少しだけ心配になった。

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