胸がざわめく

 裏吉原は、私の知っている吉原よりもいろんな店が出ている。

 私の知っている吉原では屋台で寿司を食べる習慣はなかったけれど、蕎麦屋と同じ程度には、寿司屋の屋台が並び、裏吉原の住人以外に休みらしい遊女も並んで買って食べている。

 その日のお使いが終わり、私は帰りに不明門あけずくんと一緒に寿司を食べていた。


「私の知ってる吉原だったら、こんな屋台並んでなかったんだけど……」

「表だったらそうなんだ? 昔っから寿司の屋台は並んでたからこんなもんだと思ってた」


 私が吉原に売り飛ばされる前も、大して贅沢した生活はしていなかったし、こうやって買い食いする習慣もなかった。

 徳さえちゃんと積んでおけば、寿司が食べられる。金平糖やチョコレート、キャラメルが買える。それは表の吉原での生活を思えば考えられない贅沢だし、そのせいでどうにも表に帰りたいという気がない。

 ただ、この間の死神……悪いひとではなさそうだったけれど……帷子かたびらさんとの遭遇で、どうしても胸が軋んでいた。

 徳を一定期間積み切れなかった場合は、そのままあの世に連行される。それは神様に身請けされて裏吉原から連れて行かれるのとどちらのほうがましなのかは、私ではわからないけれど。

 そのせいで、余計に姐さんが裏吉原にいない確証が欲しくて、見世のお使いを受けるたびに遣り手に見つからないようにこっそりと禿の子に聞いて回っているものの、未だに成果はない。

 いるって確証よりも、いないって実証のほうがよっぽど難しい。

 もうひとつは、先生のことだった。

 先生は人間らしいけれど魔女で、徳を棚いっぱいに溜め込んでまで、裏吉原に住み込んでいる。

 思えばほとんどなし崩し的に先生の弟子になったけれど、私は先生のことをなんにも知らない。


「……先生って、結局どんな人なの?」


 私のぽつりとした疑問に、不明門あけずくんは「ん?」と首を捻った。金色の癖毛が狐の耳のように揺れた。


「どんなひとって、魔女」

「そうなんだけど……私が表から来たってことは知っているんだけど……私の知っている吉原には魔女はいないし……そもそもあんな綺麗な異人さん知らない」


 私は火事で逃げる最中に、裏吉原に辿り着いたけれど、あんなにたくさんの魔法が使える人がわざわざ裏吉原に来た経緯がいまいち想像できなかった。

 私の疑問に不明門あけずくんは「うーん?」とやっぱりピンと来ていない顔をした。


「それって大事?」

「大事っていうか……裏吉原って、表の吉原と同じくらい、いろいろ面倒くさいことが多くって……私にとっては姐さんの安否が確認できたら、あとはなんとかしてここで永住できたらいいなあ……くらいのつもりだけれど。先生はどうなんだろうって思ったから」

「というかそれ、俺に聞くんじゃなくって師匠に直接聞けよ」

「ええ……? 先生に深い事情があるかもしれないのに?」

「人間ってそんなもんか? 面倒くさい」


 不明門あけずくんはばっさりと切る。


「あやかしはさ、口にしたことが全てだから、余計なことは言わないし聞かないっていうのを徹底してるんだよ。下手に言葉にしたら、そこを付け込まれて徳を巻き上げられるかもしれないからさ」

「……そんな」

「というかさ、オマエだって表の吉原にいたんだろ? 下働きしてたってことは、売り飛ばされたんじゃねえの? 多額の借金を背負わされて、それを完済できない限りはここにいろって」

「う、うん……」

「多分売り飛ばされるとき、売り飛ばしたほうは少しでも値を吊り上げようと、相当口八丁で切り抜けてると思う。だから人からの話はそのまんま鵜呑みにすんなよ。又聞きはよくない、本人がいるんだったら直接聞け」


 あまりにもの不明門あけずくんの正論に、私はしばし彼を見つめていた。それに不明門あけずくんは「なに?」と聞く。


「……不明門あけずくんって、すごいね。私と年は変わらないと思うけど、ものすっごくしっかりしている」

「騙そうとしてくる奴が多いから、騙されないように理論武装しないとやられんだよ。オマエそんなんでよく表の吉原にいられたな?」

「私はよくも悪くも遊女の素養がなかったから、姐さんたちに庇われてなかったらとっくの昔に野垂れ死んでたよ……でもありがとう。やっぱりこの話は、先生にしてみるよ……私のやりたいことのためにも」

「やりたいことって、オマエと裏吉原に行こうってしてた姐さん探し?」

「それもある……私がここで永住するため、もっといろいろ聞きたいの」


 しゃべりながら食べていたら、握りこぶしくらいあったはずの寿司は消えていた。お腹いっぱいになったら、少し不安も消えて自信も元気も湧いてくる。

 先生に聞いてみよう。

 あなたはいったい、何者ですか。


****


 いつものように紫煙の匂いが漂ってくる看板が見えてきた。


「ただいま戻りました……」


 そう戸に手をかけていると、店先にインパネスコートが見えた……それに胸がチクリとする。

 真っ白な髪に深く被った帽子……他の死神だろうかとも思ったけれど、間違いなく帷子かたびらさんだった。

 こちらに気付き、彼は帽子を上げて挨拶をしてきた。慌ててこちらもペコリと挨拶を済ませる。

 先生は心底苦虫を噛み潰したかのような顔で、煙管の灰をカツカツと火鉢に落とす。


「この子たちにはまだ早い依頼だと思ったから、聞かせる気はなかったんだけどねえ……」

「……依頼はこちらだ。こちらも現在捜索中だ。裏吉原内に広まる前に捕獲しないと、裏吉原の徳の上下が滅茶苦茶になるぞ」

「とんだ脅しもあったもんだ」


 言いたいことを言うだけ言って、帷子かたびらさんは私たちの横を素通りして去っていった。

 それを見送りながら、先生は深く深く溜息をついた。不明門あけずくんはすかさず疑問を呈ずる。


「師匠、あのひとの依頼って?」

「お前たちにはまだ早い依頼なんだけどねえ……見世の手伝いをするのとは訳が違うさね」

「あの……先生? そんな私たちにさせられない依頼って……」

「……死神から逃げて、駆け落ちしようとしている遊女とあやかしが出たんだよ」

「……え、死神から逃げたって」

「徳が足りないから、このまんまあの世に連れて行かれるところだったのを、恋人と逃げた……これが神にでも知られようものなら、裏吉原がガタガタになる。見世を開ける時間までに捕縛して遊女はあの世に連行、恋人からは徳の没収をするから、遊女の捕縛を手伝えとさ」

「ええ……」


 たしかに吉原でも駆け落ちは耳にした。でもそのほとんどは成功していない。見つかったら女は折檻、男は見世に出入り禁止になっている。

 しかも今回はあの世に連れて行くはずだった遊女が駆け落ちしているもんだから、話がややこしくなっている。

 私個人としては、裏吉原に流された挙句に遊郭に閉じ込められてしまった人にはなんとしても逃げ切って欲しいとは思うけれど、神を怒らせた場合、彼女はさらにひどい目に合わないだろうかと心配になる。

 先生の話を聞きたかったのに、後回しだ。


「……あの、遊女さん。死神に連れて行かれるのとそのまま逃げ切るのと、どちらがましなんでしょうか?」

「徳がすっからかんになったら、裏吉原は後見人でもいない限り、ひと扱いされないよ。それなら死神が一番丁重に扱ってくれる」

「……わかりました。連れ帰るお手伝いをします」


 表とはいえど、吉原のことを知っていたら、どうか遊女さんに寛大な処置をしてほしいと、思わずにはいられなかった。

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