死神の訪問
前に会った
そうなのかと思いながらも、私は遣り手に連れて行かれて、化粧をされる。へちまの化粧水、椿油で肌を整えられてから、私の火傷跡を消すように下地にどうらんをたっぷりと塗られてから、おしろいをはたかれる。なるほど、これで火傷跡は消えた。
私が着せられたのは、いわゆる遊女の着るうなじを大きく開いた着物ではなく、遊女の端で用事をしている芸子の着物だった。遊女は客を取ってもてなさないといけない分、着物や化粧は挑発的なものになるのに対し、その遊女が目立つようにと、着物の形も化粧も抑えられている。
「私、楽器なんて弾けませんけど……」
一応遣り手にそう訴えると、化粧と着付けをしてくれた遣り手があっさりと言う。
「そんなもん期待しちゃいないよ。ただこのまんまだと配膳すらままならないからね。あやかしだけじゃ客の面倒は見切れないよ。はい、終わり。客の配膳とお酌だけやりな。もし客に声をかけられた場合は、本職に任せたらいい」
遣り手にそう言われ、私は渋い顔になる。
私はいつもよりも重い……それよりも重い遊女の着物よりはまだましかもしれないけれど……着物を着てよれよれと歩いていたら、外にいた
「まあ、似合うんじゃないの?」
「それって褒められてるのかなあ」
「褒めてはいないけど。感想。まあ俺は裏で控えてるから、変な客には引っかからないだろ……今回はまあ、えげつない神の宴会じゃないのが助かったな」
「えげつなくない神様ってなに……」
私は戦々恐々としながらも、車に乗せられて目的の宴会場である宿屋に向かった。人力車の代わりの車は、勝手に動くし勝手に止まる。車輪がメラメラと燃えているのに、私は恐々と「ありがとう」と言うと、車輪から枝のように細い腕が伸びてきた。手には徳利。どうも車の送り迎えにも徳が必要なようだ。
私はおそるおそる徳を出された徳利に注いでやると、車はそのまま頷いて去っていった。
……火車なのかな、あれは。去っていく車を茫然と眺めながらも、ひとまず宴会場へと向かった。
そこには私のように急遽集められた人々が、説明を受けていた。皆慌ててやってきたらしく、背丈はバラバラで、唯一わかるのはどうにか遊女を立てようとしていると、地味な着物を着ていることだけだ。
「本日のお客様に食事を配膳し、お酌をしてください。他のことはしなくて結構です」
言うだけなら簡単そうだけれど、やるのは大変そうだなと思う。そうこうしている内に、遊女さんが芸子を伴って挨拶を済ませてから座敷に上がり、芸子さんの三味線の音に合わせて踊りはじめた。
ここからは私たちは背景として食事を配膳していくだけだ。私たちは宿屋から提供されるお膳を一生懸命運びはじめた。
それにしても。普段見世の前を通ると、どこも賑やかなのに、ここにいる御客様……神様たちはずいぶんと静かだ。静かに食事を摂るし、静かに酒を飲む。
「すまない、酌は自分でする」
なによりも驚いたのは、ここにいるお客様は神様のはずなのに、皆洋服を着ていたということだ。
真っ黒なスーツ姿で、髪は真っ白。不機嫌という訳ではなさそうだけれど、無表情で食事を摂り、お酒を飲んでいる人々は、宴会の割には皆静かにしているから、いったいどういった集まりなんだろうと不思議に思う。
そうこうしている内に、手酌で飲んでいたひとりのお酒が切れたことに気付き、私は慌てて傍に寄る。
「申し訳ございません。お酒のおかわりはいかがですか」
そう声をかけると、そのひとは私のほうをじぃーっと見た。真っ白な髪で、睫毛も眉毛も真っ白なんだなと物珍し気な顔にならないよう、できる限り表情を読まれないように固める。
やがてそのひとは訝しがって私を見た。
「貴様……何故人間がここに?」
「……お仕事ですが」
「人間を雇っているのか?」
それに私はダラダラと冷や汗をかく。
神様に興味を持たれても駄目、ここでおかしなことを言ったら依頼先の見世に迷惑がかかる、この場合、なにを答えるのが正解なのか。
私が困っていたら、いきなり座敷の襖が開いた。そこにいたのは、ちょうど私を依頼に送り出していた先生がいた。その隣でゼイゼイと息を切らしている
「すまんね。こいつは万屋のだ。あたしの弟子さね。依頼先はなんら落ち度がないよ」
「……なんだ、万屋のか。見世が人間を捕らえて徳を溜められないようにしているんだったら、考えねばならんと思っていたが」
その言い方に私は戸惑う。
この神様、まるで警察官みたいなことを言う。私が困惑していたら、襖の向こうからそっと
「このひと、
「し……死神?」
落語でも出てきたひとだから、さすがにそれはどんな神様かは想像つく。
この場にいるひとたち、やけに静かにお酒を飲んで食事をしていると思ったら……。
食事を終え、遊女の踊りを見届けたら、彼らは本当にさっさと帰っていく。彼らは外套にインパネスコートを羽織り、帽子をかぶると。なるほど、たしかに町並みに溶け込みやすい姿になった。
「幽霊熱が流行ったせいで、どうにもどこの見世もきな臭くてな。様子を見に来たが……問題なさそうだった」
「お仕事熱心だね。徳はちっとも負けてくれないってえのにさ」
先生が相変わらず皮肉っぽい声を投げかけるが、
「そういう仕事だ。せいぜい励め」
「はいはい……さっさと帰っておくれ」
先生の物言いに、私はハラハラしながら見送っていたが、
私は片付けつつ、見世で着替え終えてから、やっと万屋に帰ることができた。先生と
「……なんだか、裏吉原の座敷を初めて見ましたけど。思ってたのと違いました」
「まあ、死神はただの公務員さね。裏吉原じゃ嫌われもんだから、どこかに宿屋や料亭を貸し切って静かに食事を摂るしかできないのさ。あれは神の中でもまだマシな部類だけどね」
「公務員……ですか」
「公務員っていうか、あいつら取り立て屋じゃねえか」
先生のたとえを、
蕎麦をズルズルと食べていたら、先生は「ああ」と言う。
「あいつらは徳の取立人だよ……裏吉原は元々神のための遊郭だからね。あまりに不真面目だったり自堕落だったり……神にとって面倒臭いのをはねるために、規定内に徳を積んでないと判断した住人を間引く仕事をしているのさ」
「間引くんですか……?」
「徳を積めなかった裏吉原の住人は、あの世に連れて行かれる……だから生きてここで暮らせる人間は、まあ少ないんだよ」
それに私は絶句した。そもそも自分が少ない徳でせっせとやりくりしながら生活しているというのに、まだ姐さんだって見つからないのに、とんでもないことを聞かされた。
「あ、あの……期限って!? そんなの……聞いてないですけど」
「期限もなにも、お前さんは大丈夫だと思うけどね。三年に一度の点検なんだからさ。そんな三年間一度も徳を積むことなく自堕落に生活してる奴なんか、滅多にいるもんでもないさね」
先生はきっぱりと言いきるのに、なおも私は「あわあわ」とする。
裏吉原を全部探して、それでも姐さんが見つからないんだったらまだいいけれど。もし姐さんがここにいたらどうしよう。
私はそう思った。
もう蕎麦のおいしい匂いも、鼻を通って行かなかった。
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