第3話 名もなきもの 1の場合

「ごめんね、ごめんね、ごめんね。」


 小さな手が悲しそうに何度も何度もそう言って僕の頭を撫でると、僕を元いた場所に戻して……いなくなった。

 その頃の僕はまだ小さくて、何を言われているのか全く分からなかったけど、大きくなった今ならちゃんと分かる。

 あれは仕方のない事だったんだ。だから謝らないで。僕は君にとっても感謝してるんだから。




 僕には初め、いっぱいの兄弟達がいた。

 まだ目は見えてなくて、匂いで暖かいフニャフニャした物を探り当てて、それにしゃぶり付いて吸ったのが僕の覚えている一番初めの記憶だ。あれはとびっきり甘くて美味しかった。今も思い出すと勝手に涎が出るからホントに困る。

 思えばあの時が一番幸せだった。いつもお腹いっぱいご飯が食べられて、皆でかたまれば安心してぐっすり眠れたんだ。


 ある日、遊び疲れて一緒に昼寝をしていた僕と弟妹達は、いきなり小さな箱にギュッと詰められて、あれよあれよとあったかくて五月蠅いここから、冷たくて静かなところへと連れていかれた。

 突然の事に僕達は意味が分からなくて怖くて寂しくて、声を上げて泣いた。泣いて泣いて声が枯れるまで泣いて……でも、僕達は二度とあの明るい場所へ戻る事は出来なかった。


 真っ暗なこの場所でキラキラと光る八つの目。

 この中では僕が一番大きい。僕はお兄ちゃんなんだから僕が弟妹達を守らなきゃいけない。 

 僕は勇気を振り絞って箱のフタを押し上げて少しだけ顔を出した。

 外は嗅いだ事のない臭いで溢れていて、僕は本能的に箱の外へ出るのは危険だと感じとった。


 箱の中には少しだけご飯があった。僕達はそれを分け合って食べた。量は全然足りなかった。でも僕はお兄ちゃんだから一番我慢して食べた。

 お腹がちょっと満たされると眠くなった。疲れ切っていた僕達は一つになってお互いの体温を分け合った。そうすれば寒さはしのげたけど、僕達は震えながら眠った。


 そして暗いのが二回来て、一番小さな弟が動かなくなった。暗いのが三回目で僕より少しだけ小さい妹が丸くなった。

 僕もお腹が空きすぎて元気がどんどん無くなった。初めは動かない弟妹達を舐めたりしたけど、それも出来なくなった。


 気が付くと、僕の周りにあった音が全部、四角い空へと消えていった。

 どうして?どうして?どうして?

 僕にはどうして僕達がこんな目に遭うのか分からなかった。そして、何もできない自分に腹が立った。悔しい。

 悔しくて悔しくて。でもすぐに僕は涙を流す事もできなくなった。

 もう寒さも感じないしお腹もすかない。息をするのも面倒だった。

 何もかも諦めて僕はそっと目を閉じた。


 しかし。

 そんな僕を元気にしてくれたのは小さな手だった。

 それは僕を優しく包んで箱から出すと、僕の頭を撫でてくれた。久しぶりの温もりに僕が力を振り絞って小さく鳴く。するとその手は、僕に暖かくて甘いのものを少しずつ根気よく飲ましてくれた。

 僕の一番最初の記憶にあるアレに似たそれを飲んだら、自分でもびっくりするほど元気が出た。

 ありがとう!僕を助けてくれて。もうちょっと待ってね。もっと元気になったら絶対に君にお礼をするから。ああ、どうして?ちゃんと開けよ!僕の目。君の顔が見れないのが悔しいよ。

 



「先輩、こっちの子は……。」


「ったく、これで何匹目だ?ブームが来れば後先考えずに産ませて、ブームが去れば簡単に捨ててよぉ!!……はぁ、ここまで大きいと貰い手は…。」


 僕をまた狭い所へ閉じ込めた人間達が僕を見下ろしてそう言った。


 小さな手で箱へ戻された僕は、兄弟達を奪った暗いのが来る前に箱から飛び出した。前は物凄く怖かったのに、僕はもう恐れてなんかいなかった。

 だって僕は教えて貰ったから。外の世界にはワクワクする物が沢山あるって事を。


 美味しい物は大概大きな箱や黄色いネットの中にあった。時々黒くて空を飛ぶ嫌なヤツと取り合いになったけど、それに勝って沢山食べたら力が出て、黒いヤツも暗いのも怖くなくなった。

 僕の体は大きくなった。

 そしたら何故か人間達が僕を追い回す様になった。

 初めはびっくりして怖かったけど、僕は知っている。人間は自分勝手で残酷。でも本当はあったかくて優しいんだ。僕は人間が大好きだ。

 ここは何もしなくても人間が美味しいご飯をくれるし、同じ仲間もいっぱいいて、喧しくて暖かい。


(このご飯を食べたら、あそこにいる青い目をした可愛い子に声を掛けてみようかな。)


 僕は逸る気持ちを抑えて、いつもとちょっとだけ違った味がするご飯を大急ぎで飲み込んだ。


 

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