今際のあたりの物語【現代・その他 編】
ありさと
第1話 田島麻美の場合
「先生、バイタル回復しました!」
私の周りを忙しく動き回る看護師に医師。
頭がボーとしてうまく働かない。
ここが病院だという事はつまり、私は失敗したのだ。
服薬自殺。
苦しいのや痛いのは嫌だった私は、精神科に通って処方された睡眠薬を貯める事にした。
決行日は決まっている。
その日に向けて私はせっせと薬を貯金した。
一錠、二錠、三錠、四錠、五錠…瓶一杯に貯まっていくその白い粒を、毎日飽きもせず私は眺めた。
そして遂にその日がやってきた。
一錠、二錠、三錠、四錠、五錠…途中から面倒くさくなってそこから先は三錠ずつ飲んだ。でも全く眠くならない。
私は瓶を傾けてジャラジャラと薬を頬張ると、ラムネの様にバリバリと粒を噛み砕く。味は…少しだけ苦い。見た目はラムネの様でもラムネではないのだから当たり前だ。
♪
スマホの通知音がする。
♪ ♪ ♪
どんどん積み重なっていく小さな小窓達。
♪ ♪ ♪ ♪♪♪
(嬉しい。やっぱり気付いてくれた。)
そこに次々に現れる名前を見ていたら、急に視界が真っ暗になって意識が飛んだ。
意外と楽に死ねた。
そう思ったのに、いきなり喉の奥に何かを突っ込まれて液体をバシャバシャと容赦なく流し込まれた。
吐いて、飲んで、吐いて、飲んで、吐いて、吐いて、吐いて。物凄く苦しいし喉が痛い。
最後くらい楽に逝きたくて睡眠薬を選んだのに、こんなの聞いてない。でも……。
それからどれだけ経っただろうか。
「麻美!麻美!!」
私の名を泣きながら叫ぶ声で目が覚めた。
目を開けると、涙で顔をグチャグチャにして私の上に覆い被さる義理の父と目があった。
父は良かったと暖かい笑みを浮かべたが、私の心はスッと冷えた。
私の容体が落ち着くと、父は「どうしてあんな事をしたんだ!?」と自殺の理由をしつこく聞いてきた。
しかし私が何も答えないでいると「もしかしてアレか?それともあの事か?いや……。」などと額を押さえて、勝手に自分を責め始めた。
(ああ、嬉しい。この人の頭の中が私でいっぱいになってる。今この瞬間だけ…この人の一番は私なんだわ!!)
そのあまりの慌てぶりに、私は自然に緩む頬を引き締めるのに苦労した。
五歳の時に父が事故で死んだ。
それから五年後、母が職場の同僚と再婚した。それが今、私を一生懸命に世話してくれているこの人だ。
三人家族になった私は幸せだった。
暫くして、母のお腹の中に私の妹か弟がいるという事が分かった。それを聞いたこの人は飛び上がって喜んだが、私は何故か全く嬉しくなかった。
次の次の検診日、母の病気が分かった。病名は……乳がんだった。
母のがん治療を優先させるなら、お腹の中の子を諦めなくてはならない。
この人と母は選択を迫られ、二人は喧嘩し、大泣きし、そして母はこの人の意見を無視して子を産む事を決断した。
その結果、この人と私は、母と産まれてくるはずだった弟を同時に失う事になった。
それからこの人はずっと自分を責め続け、私を天涯孤独にしてしまった責任を感じて、成人するまで私の面倒を見てくれた。
「…ああ、無事に。…ん?アップリカの回転するやつだろ?ちゃんと店頭で触って確かめてから買ってくるから…うん。わかってるよ。」
私達だけだった空間に不躾に鳴ったスマホアプリのコール音に、父はすぐに応えながら病室を出て行った。と言っても私の事が心配な父は遠くへ行かない。
この病室にはドアがない。扉にはカーテンがあるだけなので誰と話しているのかは簡単に知れた。
女の声。この世で一番大嫌いな、あの女の声だ。
「……お祝い膳?ああ!それはお義理母さんと食べて。ホントにごめんな、なかなかそっちに行けなくて。……うん。退院の時間には遅れずに迎えに行くから心配しないで。ね?」
父の声色に甘さが滲み出る。カーテンを挟んで、こちらとあちらの空気が別物になった。
(嫌だ!聞きたくない!)
私は両手で耳を塞ぎ目を見開いた。両目から涙がボロボロと溢れ落ちて、シーツに灰色のシミを作った。
私は多分、初めてこの人と出会った時からずっとこの仄暗い思いを抱いている。どれだけ諦めようと自問自答しても答えは見つからず、結局私はこうする事しか選べなかった。
(……何で死ねなかったの!あのまま死んでたら、あの子を祝う幸せな日を、毎年『私』に塗り替えてやれたのに!)
私は漏れそうになる嗚咽を左手で抑え、震える右手を下腹部に押し当てた。
(私は諦めたのに……、何であの女は許されるのよ。)
「………えっ!?よせよ。そんな事、今ここで言えるわけないだろ?」
と、一段と父の声が小さくなった。
「分かったよ。言うから。…いいか?(……愛してるよ)え?聞こえない?…いや、もう無理!こんな所で言わすなって!」
聞こえてきたそのやり取りに、私はギュッと右胸の上の肉を掴んだ。
そして、明らかに周りと違うその肉の感触を確かめながら、ほくそ笑んだ。
「次は何をしようかな。」
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