第32話「魔物の子守唄」

 僕は改めてしっかりとライラを見る。


「ジェナは死んだ。僕が殺したんだ」


「じぇな……?」


「そうだ。ここに来ていた女の人。竜人だ。赤い鱗を持っていた」


「りゅうじん……、あの人、死んだ?」


「そうだ、いなくなった。もう君の前には二度と現れない」


「もう、いないの? 私をいじめない?」


「ああ。もう誰も君をいじめない」


「そう、なんだ……」


 ライラの顔が伏せる。どういう顔をしているのか分からないけど、僕にはもう怯えていないようだった。


「ライラ」


 僕が名前を呼ぶと、彼女は顔をまた上げた。


「君はここから出られる。外に出られるんだ。僕と一緒に来られる?」


「……うん」


 反応がいまいち鈍い。よく分かっていないのかもしれない。僕が手を伸ばすと、彼女は戸惑ったように僕の顔と手を交互に顔を動かす。


 僕は彼女が手を伸ばすのをじっと待った。強引に連れ去ることはしたくなかった。それではアランたちと同じになってしまう気がする。五年前、僕を村から無理やり放したあいつらみたいに。


 ライラはそっと手を伸ばし、直前で汚れで黒くなっている手の指を閉じたり開いたりする。僕が待っていると、彼女はそっと僕の手を掴んだ。


 冷たく小さい、傷だらけの手。僕ががしっと強く掴むと、彼女はまたビクッと震える。しまった、強く掴みすぎたか。


「ごめんね。……さあ、ここから出よう。立てる?」


「できない……」


 ライラは小さく首を振った。身体を動かそうとしているのは分かるが、どうにも力が入らない様子だった。


「そっか。えっと、逃げないでね? 何もしないから」


 一応、そう念置きし、ライラの膝と肩に手を当てて彼女を抱っこする。ぎゅっと身を固くしたライラは、異様に軽かった。まるで中身を感じさせない。……もしかして食事を摂っていないのだろうか。


 森の中の泉で身綺麗にしたら、早く食事を摂らせよう。このままじゃ、話を聞く前に倒れてしまう。


 僕はライラを抱き抱えたまま檻を出る。広い部屋の中は、魔物たちの喧騒で充満していた。みな何かに怒り狂っている。檻もいつまで持つか分からない。さっさと出よう。


 僕は光の玉を下ろし、出口の方に移動させる。部屋が一気に暗く感じる。


 出口に向かって歩いていると、僕の服が引っ張られた。下を見ると、ライラが僕の方に顔を向けていた。じっと見られている気がする。相変わらず顔が髪に隠れている中、唇が開く。


「まって……」


 かすれ声でそう言うのが聞こえた。僕は部屋の真ん中あたりで足を止めた。なにか気になることでもあったのかな。


「みんな、まだ檻の中……」


「……魔物のこと?」


 こくっと彼女が頷く。


「みんなを出すから、待ってて……」


 弱々しくライラが言う。助け出すって……、檻を壊せば可能だろうけど、そんなことしたらこっちが襲われてしまう。それに彼女だけでは出来ないだろう。見るからに弱っているのだから。


「えっと……」


 何を言うべきか迷っていると、ライラは長く息を吸って、吐いた。次の瞬間――彼女の口から歌声が流れ出した。聞いたことない歌だ。でも、柔らかく、温かみを感じる。まるで子守唄のようだった。懐かしくて、涙が出てきそうになってくる。


 僕がライラの歌声に驚いていると、彼女の身体が紫色の発光しはじめ、同じ色の光の帯が布のように漏れ出す。彼女の冷たくも感じていた身体はほのかに熱くなり始めていた。


「なんだ、これ……」


〈綺麗……〉


 紫色の光の帯を目で追っていくと、真っ暗な闇の中で部屋の中にある檻一つ一つに行き渡っているようだった。それにつれて魔物たちの声も静まっていく。さっきまで煩かったのが嘘のようだった。気付けば、部屋の中にはライラの歌声だけが響いていた。


 檻がきしむ音を上げる。紫色の光の帯で檻が曲げられていた。僕が彼女の檻を曲げて助け出したように、今度は魔物が中から出てくる。


「……っ」


 僕は半ば大丈夫だろうと感じながらも、警戒するのはやめられなかった。なにしろ出てくる数がかなり多い。一斉に襲われたら抜け出すのは容易じゃない。ライラを抱いている手に力が入る。


 しかし、魔物は僕たちのことなんか気にもしていないようだった。素通りして出口に向かって行く。ここを通って来たから、大型の魔物がいなかったのかもしれない。一体ずつ外に向かっていく。よく見れば、彼らは傷がまったくついていなかった。今は出口以外は真っ暗でよく見えないが、床にはかなりの血痕があったはず。まさか、ライラのこの歌が……?


 僕は魔物からライラに視線を戻すと、胸を抑えて苦しそうに歌っていた。しかし、止めるのもなんだか違う気がした。それに、ここで歌を止めて、魔物がこっちに向かっても困る。


 僕は目を瞑り、彼女の歌に聞き入った。魔物たちの足音や息が聞こえる。さっきまでは怒り狂っていたというのに、今は大人しいもので、不思議な気分だった。


 ライラの歌声は僕の眠気を誘った。


 どのくらい経ったのか、ふいにライラの歌声がやんだ。代わりに咳き込むのが聞こえてきて、僕は慌てて彼女を見る。


「ライラ?」


 彼女は身を縮こまらせて揺らしており、苦しそうな咳は一向に収まらない。いつの間にかあの紫色の光の帯は消えており、あたりは僕の光の玉以外は真っ暗だった。なぜ、ここまでして魔物たちを逃がしたのがよく分からない。


〈無理をしたみたいね。早く休ませてあげましょう〉


「うん」


 リリーの言う通りだ。なにをするにしても、とにかく休むことが必要だ。僕は彼女を連れて早足に出口に向かった。

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