第20話「竜人の家」

〈リリー、ジェナはいると思う?〉


〈可能性は高いんじゃないかな。まあ、遭遇しても全速力で逃げれば大丈夫だよ。今のアランならね〉


 リリーの言葉を聞いてほっとする。彼女が言うのなら間違いないだろう。この姿に関して、僕よりも詳しいのはリリーだ。


 僕は目の前に立ちはだかる、みるからに壊せそうな壁から、一歩、二歩、三歩と少しずつ下がる。草地を踏む音が聞こえる。周辺から僕を見て逃げ出した動物たちが様子を窺っているような気がした。


 壁から十分に距離を離し、斜め上を見る。枝が伸び、葉が覆い茂っている天然の天井。ここには満月の明かりも届かない。枝こそあるものの、太いのはなく、ジャンプするときにぶつかっても問題はないだろう。なるべく枝と枝の間、葉の薄い場所を探す。


 あった。


〈いくよ、リリー〉


〈気をつけて〉


〈うん〉


 僕は足に力を込めた。みちみちと力が籠り、爆発する。葉の薄い場所を狙って僕は身体を飛ばす。ガサっとわずかな音を立てて、身体が空中に躍り出る。チラッと見た地面には、僕が知っているよりも数を増やした魔物の黒い姿があった。動いているのは狼の魔物かもしれない。


 すぐに前を見る。大樹の幹にみるみる近付き、僕は着地の体勢を整えた。幹に足を延ばし、足がついに幹に触れる。着地の瞬間に最大限に足のばねを使う。ぐぐっと屈伸し、ちらっと上を見るといくつもの枝があった。僕はそこを目指し、さらに幹の上に飛んだ。ヒュオ、と耳元を風が切る。太い枝を一瞬通り越し――勢いの無くなった僕の身体が、その枝目掛けて落ちる。僕は再び枝に触れるのと同時にぐっと屈伸し、なるべく音を立てないように着地した。


「ふー……」


 枝の先にある葉がわさわさとわずかに揺れ、下の狼の魔物の群れに落ちていく。もっとも、狼たちは気にした様子はなく、上を見上げてもすぐに視線を落とした。


〈上手いねー、アラン。私の出る幕はなかったかー〉


〈出てきて何するの? というか出てこれるの?〉


〈私はアランの中にいるからねー、強制的にアランの身体を動かすことも出来るよ〉


〈なんだそれ、怖ぇよ〉


〈大丈夫、大丈夫。勝手にやったりしないから。そんなことしたら、他の精霊たちに怒られちゃう〉


 つまり、怒られなければやるのだろうか。あまり変なことをしてほしくないな。


〈信用ないなー。本当にしないよ?〉


 どこか軽い感じの彼女の返答に呆れつつ、僕は枝から下を覗いた。思ったよりも足に力が入り、ジェナの家を素通りしてしまった。僕が見ると、ちょうど斜め下に赤い屋根の家が大樹にへばりついているのがあった。


〈あれか……〉


 一応玄関らしきものはあるが、完全にドアが壊れているようだった。よく見れば屋根はあちこち謎に穴が空いている。……ジェナが壊したんだろうか。いや彼女しか住んでいないのだから、そうなのだろうけど。なんというか色々な意味ですごい。


 手紙は開きっ放しになっている玄関にでも置いとけばいいだろう。まさか屋根の穴から出入りはしていないだろうし。


 僕は枝から飛び降り、ジェナの家の屋根の飛び降りる。音はほとんどせず、むしろ歩く方ががらがらと微かに音がしてしまう。玄関周りの木製の床にそっと降りる。


 凄い景色だ。今が夜なので、近場しか見えないが、それでも月光のおかげでまったく見えないわけではない。どこまでも広がっている暗い森、ひたすらに濃い緑の匂い。どこからか聞こえてくる動物か魔物の声。こんな魔物もいる森の中で、一人寝泊まりするとは、純粋に力を持っていなければ出来ない芸当だった。この家もどうやって建てたのか謎だし。ナンシーあたりに建ててもらったのだろうか?


〈アラン、早く手紙おいて準備するわよ〉


〈うん〉


 リリーに言われてハッとする。なんだか遠い所までやってきたような気がした。復讐はこれからだというのに。


 僕は衣服の胸ポケットから、彼女を殺すための手紙を取り出す。月光に映え、白い手紙がきらめく。なにか、重しが必要だな……。近くを見たが手ごろなものがない。仕方なく、僕は手に魔力を集め――その辺に転がっていそうな石を想像した。ぎゅるぎゅると僕の手の上の空気が渦き、それが収まると灰色の石が出来上がった。


 僕は石と手紙を持ち、開け放たれている玄関に向かう。


 吸い込まれそうだった。玄関の奥はのっぺりとした暗闇で、獲物を待ち構えてる、竜の口の様にも見える。中からピンク色のぬめぬめとした舌が飛び出し、自分を捕まえるんじゃないか、とそんな想像が浮かぶ。


 妙にじとっとする空気を割り入り、玄関の暗闇の前で屈み、手紙を置く。しっかりと石を乗せ、風で飛ばないようにする。


 ここまで僕が来たことが分かり、かつ、煽るようなこの手紙の内容であれば必ずジェナは来るはず。


 僕は手紙を置いたことで確定したはずのジェナと戦う未来に、息を震わせた。緊張か? 恐怖か? どちらとも言える。僕はキッと目の前の闇を睨んだ。絶対に殺す――


「誰だぁ、てめぇ」


 息が止まる。一歩、後ろに下がる。まずい。彼女だ、ジェナだ。この声、威圧感。ここでは歩が悪い。


〈アランっ! 早く、飛んでっ!〉


 石のように固まってしまった僕、リリーの叱咤が飛んだ。僕はようやく、身体全体に力を入れることができた。そこで、自分が竦んでいてしまったことに気付く。舌打ちし、なりふり構わず飛んだ。


 一瞬にして高く飛び上がり、羽をはばたかせることで速度を上げる。少し飛んだところで、後方を見るが誰も追ってきている様子はなかった。


 呼吸がまだ荒い。自分でも乱れているのが分かる。別にジェナにアランだと分かって声を掛けられた訳でもないだろうに、ここまで怖がってどうする。そう、怖がっている。それではダメだ。恐れていては勝てない。


〈アランっ! アランっ!〉


〈っ、うるさいよ、リリー〉


〈やっと返事した。私、ずっと声を掛けていたんだけど〉


〈気のせいじゃない?〉


〈気のせいじゃないわよ。ったく。……アラン、分かってると思うけど、あれはまだ三人の中では弱いんだからね?〉


〈分かってる〉


 僕は自分自身に苛立ちを感じながら、夜の闇の中をダンジョンに向かって飛んだ。

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