第18話「満月の王都」

 足に力を入れる。あまり力を込め過ぎて屋根を壊すわけにも行かない。僕は五割程度の力でジャンプした。一気に風が後ろに流れる。耳元でごうごうと懐かしくも感じる音が流れた。


 そうだ、この感じ。周囲の景色があっという間に後ろに流れて、音すらも置いてきぼりにする。……ちょっと飛びすぎじゃないだろうか。こんなに高く飛んだ記憶がない。全身に冷や汗が流れる。些細な動きにも緊張する――


〈アラン、大丈夫。今の君の身体なら多少傷ついたところで死なない〉


「全然嬉しくない情報ありがとう」


 月光を全身に浴びながら、一度高く飛び上がった身体が勢いを弱める。僕は必死に翼の感覚を手繰り寄せた。


 動け、動け、動けっ!


 やがて、どこかの家に向かって落ちていく自分の身体に恐怖を覚えながらも、翼を羽ばたかせる。ゆっくりと動かしても、風には抗えない。早く動かす。自分の思っていたよりも、翼の動きはノロノロとしていた。


 翼は動いている。だが、まだ風に負けている。ヒューっと冗談のような音を立てて、身体が落ちていく。僕は最悪家にそのままぶつかる身構えをしながらも翼を動かした。


 誰の家かは知らない。青い屋根の家、身体が落ちていく――


〈上手くいったね〉


 リリーの上機嫌な声が頭に響いた。僕の身体は屋敷にはぶつからなかった。ぶつかる直前に、ぶわっと身体が浮いて、そのまま上昇していった。


 浮いている。飛んでいる。眼下を見れば、僕の飛んだ軌跡を残すように黒い羽が点々と落ちていっていた。


 飛んでるっ! あとは、このまま――ん? あれ?


「わ、わ、わわ」


〈ん? アラン?〉


 どんどん下の景色、街が遠くなっていく。空気が冷たくなり、誰もいない夜空に僕だけがいた。飛んではいる。でも、止まらない。やばい、どこまで行くんだ。


〈アラン、落ち着いて。羽を動かすのを弱めるの。少しずつ〉


 リリーの言う通りに必死に翼の感覚を掴んで、勢いを弱める。すると、今度は、また下に落ち始めた。上に飛んでいるときよりも、ごうごうと風が耳の側を横切っていく。


〈そうそう、いい感じ。今度は羽ばたきを強くして〉


 今度はすぐに出来た。身体も浮き上がる。前に進んでいるのか、上に飛んでいるのか。短い時間に身体が上下し、吐き気がしそうだ。


〈今度は緩めて、翼の傾きを調整するの。飛ぶんじゃなくて滑るのよ、アラン〉


 傾き? これ以上なにかしないといけないのか。それに滑るってなんだ? ただでさえパニック気味の頭が混乱に拍車をかけた。それでも身体は必死にリリーの言う通りに動かそうとする。上空高くまで羽ばたき、彼女の言う通り傾きを調整する。


〈体と翼を地面と平行にして、そう、そういう感じ。あとは、高さが足りなくなったら、また翼を動かして。やたらめったらに動かすと無駄に体力を失くすからね〉


 まるでリリー自身が飛んだことあるような物言いだった。彼女の言う通りにすると、確かに上手い具合に空を進んでいく、氷の上をスーっと進んでいるようだった。まさしく、滑っている。


「飛ぶの難し過ぎない? 僕、咄嗟に出来る気がまったくしないんだけど」


〈慣れよ、慣れ。やり方が分れば、瞬発的に飛んだり、止まったりできるわ。というか出来てもらわらないとあのいけ好かない勇者どころか、竜人にまで勝てないわよ〉


「ううん……」


 手厳しい意見だったけど、その通りだった。ただの魔法で、ジェナ達には勝てるとは思えないし、とにかく選択肢は多い方がいい。


「まあ、でも慣れそうかも」


〈でしょ? もう大体飛べているじゃない〉


 満月が照らす夜空の中、僕の下には明かりを灯している王都の街並みが凄い速さで後ろへ流れている。リリーと話しながらも、段々と真っ直ぐに飛ぶことは出来る様になってきたけど、これ、どうやって方向帰ればいいんだろ。ジェナの家がある森の方はもっと右の方に向かわなきゃいけないのに。


〈アラン、なんとなくで分かんない?〉


「分かるわけないじゃんっ!」


 また心を読まれた。まあ、今はあまり話すとふらつくから助かるけど。リリーに教えられ、時になぜか呆れられながら、僕は夜の王都をジェナの家がある森に向かって進んでいった。


 真夜中とはいえ、国境沿いの高い城壁のような壁は当然門番がいる。日中夜問わず、国に侵入してくるものがいないか見張っているのだ。もっとも、見張りをしている彼らより遥か高くを飛んでいる僕には関係なかった。ただ、壁の上に明かりが見え、衛兵らしき者が何人も等間隔にいるのだけは確認できた。


 これで国境は超えた。最初のドタバタこそあったものの、ここに来るまで十数分しか掛かっていない。早すぎる。ジェナより早く移動出来ているのは確かだった。


 国境を超えると鬱蒼とした森が広がっている。ほとんど目印が無い中で、ジェナのいる森に行くのは難しくない。彼女の家は大樹にへばりついているからだ。大きいなんてものではない。僕達の国境沿いの塀からでもバッチリ見える大きさだ。なのに、実際に徒歩や馬車で行くと数日かかる。ジェナは十分程度行けていたけど。


 今は忌々しく見えるその大樹も僕には見えている。その樹には季節に関わらず年中、青々と緑の葉が付いている。今は、暗くただのっぺりとした雲のようにしか見えないが、寒い季節で周りの木々が枯れていてもそこだけ茂っているのはかなり違和感があったのを覚えている。


 大樹が近い。十数分かかるどころか、もっと早い気がする。……そこで、はた、と気付く。これどうやって降りるんだろう。


 たった数十分だけど飛ぶこと自体には慣れてきた。でも、この勢いで進んだら地面に激突する。着陸しても、ジェナが従わせている魔物が寄ってきてしまう。あまり騒ぐと、家の中にいるかもしれないジェナに気付かれる。


「リ、リリー、これどうやって降りるの?」


〈……んー? 減速できなーい?〉


 なんか今、反応が遅かったような。まさか、寝てないよね、リリー。


〈むっ、失礼だなー、アラン。今日は手紙を届けるだけだからって、寝てないよ〉


 僕はリリーの返答に怪しみながらも、時間がないので、彼女に降り方を教えてもらう。


〈んーとね、こう、羽を縦にする感じで、自分が進む方向に向かって、羽を羽ばたかせるの〉


「こ、こう? うわっ」


 場所も近いので、リリーの言う通りに翼を動かすと、一気に身体が後方へ動いた。僕は仰け反りそうになる身体を慌てて動かし、進行方向へ進めるように翼を動かす。


〈アラン、ゆっくり動かさないと、風で首が折れるよ?〉


 もっと早く言ってくれよっ! 喉まで出かかったが、僕がそう思った時点でリリーには伝わっているはずだった。


 今度はゆっくりと動かした。というか翼を傾かせた。羽ばたかせると、また仰け反るような気がしたのだ。徐々に速さが落ちていき、落下しそうになる前の速度で、翼を動かした。

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