第1章「ショーの始まり」

第4話「クソったれな毎日」

「おいっ、アラン。次の酒持ってこいっ」


 アーサーが僕を呼びつけて早々、空になった瓶を目の前でゆらゆらと揺らす。昼間から飲んだくれて、よくまあ何本もの酒瓶を飲めるものだ。パーティーハウスの部屋じゃなくて飲み屋だったら、とっくに追い出されている。


 彼が座っているソファーの前のローテーブルにはつまみの料理で溢れていた。全部僕が作ったものだ。これが世間の勇者様とはね。しかも料理にしろ酒瓶にしろ断れば、ぶん殴られる。半ば呆れながらも、僕は唯々諾々とアーサーに従った。


 空瓶を彼から受け取る。元より彼に、いや彼らのパーティーに助けられた身としては拒否権などない。魔王軍の壊滅のためにも我慢しないと……。


 もっとも、彼らへの恩は今の僕にとっては薄くなってしまっている。だが、今すぐ反抗するべきじゃない。きちんと彼ら勇者パーティーへの疑惑を払拭するまでは、まだ彼らは恩人であり、魔王軍に家族を殺された僕の恨みの代行者なのだから。


「あらあ、アランちゃん、手怪我してるわよ?」


 アーサーの向かいに座っていたナンシーが肌に纏わりつくようなねっとりとした声で指摘する。


 酒をアーサーと同じペースで飲んでも、真っ白い頬を赤くすることもなく、彼女は僕の前までやってくる。僕は思わず一歩後ずさった。そんな自分に一瞬で嫌気が差す。どうもナンシーへは苦手意識が前面に出てしまう。村から助けられた五年前と変わらない。


「あははっ、こいつまたナンシーにびびってやがんのっ」


「ジェナちゃん、そんなこと言わないの」


 ナンシーが後ろを振り返って、ふんぞり返っている勇者パーティーのもう一人のメンバー――ジェナに言った。僕はジェナが嫌いだった。粗野で暴力的、その上短気ときている。これで好ましいと思えるわけがなかった。真っ赤な短髪が、そのまま彼女の短気さを現しているようだった。一番殴ってくるのはこいつだ。何回半殺しにされたか分からない。ナンシーの天才的な治癒魔法が無ければとっくに死んでいる。


「ん? アラン、なんだぁ、その目は」


 ジェナの片腕――褐色の肌が膨れ、赤い鱗になり、鋭い鉤爪に変貌する。まるで伝説の竜のような腕と手。彼女を誰よりも粗暴にしている元凶。あれさえなければ、魔法の腕は僕と大して変わらないというのに。


「なんでもありません」


「朝の『訓練』が足りなかったのか? ああ?」


 ジェナは毎朝、訓練だとか抜かして、僕をいたぶってくる。訓練もなにも、勇者パーティーレベルのそれも生粋の竜人相手に魔法はちょろっと使えるだけの子供が敵うはずがない。何度も何度も殴られて、そのせいで殴られてもある程度冷静な思考が保てるようになったのは、皮肉というほかない。


「もう、ジェナちゃん、やめなさいって」


 ナンシーは僕の手――いつの間にか切り傷が出来て、赤い血が出ていた。直前まで割れた酒瓶を片付けていたせいだろう――に触れると、血を掬い、ぺろっと舐めた。彼女はうっとりした顔をする。吸血鬼でもあるまいに、不気味だ。


「んふっ、アランちゃんの血は美味しいわね」


「いえ……」


「あら、遠慮することないのよ?」


 遠慮もなにもない。血も舐められて喜ぶような性分じゃないのだ、僕は。


「はあ、つれない子」


 僕がなにも答えないでいると、ナンシーは息を一つ吐いて、残念がった。彼女は僕を見ている。ナンシーの手から溢れた緑色の光が、僕の手を覆い、みるみる切り傷を治した。


「……ありがとうございます」


「いいのよー。ふふっ。じゃあ、代金、分かるわよね?」


「はい」


 僕はいつものように、顎を上げ、頬を叩きやすいようにした。


「いい子ね」


 ナンシーが僕の頭を撫で――頬をぶった。一瞬、頭が揺れ、頬が遅れてじんじんしてくる。ナンシーが痛みを労わるように、今張ったばかりの頬を撫でる。


「んふふっ、アランちゃん、可愛いわ」


 くそったれ。この三人である意味一番性質が悪いのはナンシーだった。アーサーもジェナも限度は超えてるとはいえ、ただ暴力的なだけだ。加えてアーサーは狡猾的なところがあるため、表を出歩く時に不自然にならないようにする。二人に関して言えば、痛い、ということを除けばどうとでも自分を誤魔化せる。でも、ナンシーは違う。いたぶって、僕が反抗的になるの我慢する様子を楽しんでいる。僕を殴ることでうさ晴らしするのではなく、ひたすらに反応を見ている。そのせいで二人よりも、より「遊ばれている」感が強い。まるで生きている人形になった気分だった。


「おいっ、『儀式』が終わったんなら、さっさと酒持ってこいっ」


 アランの怒鳴るような声が響く。


「もう、アーサー。これは儀式じゃなくて、可愛がりなの」


「ナンシー、そんなことより、殴りまくった方が楽しいぜ?」


「もー、ジェナちゃんも分かってないなー」


 ナンシーが離れ、再びアーサーの前に座った。魔王軍に村を襲われて、勇者パーティーというクソ共に助け出されて――五年間、ずっとこんな調子だった。誰も助けてなんかくれやしない。



 朝、寝間着から着替え終えると、ドタバタと扉の向こう――廊下がうるさくなった。物置のような部屋――というか元は物置部屋だったベッド一つ分と人一人が入れるくらいの部屋で、僕はビクっと肩が震えてしまった。本人を象徴するようなやかましい足音。毎日毎日、朝がやってくるのが一日で一番嫌な理由がやってくる。毎朝、僕が汚れても破れてもいい服に着替えければならない理由。


 けたたましい音を立てて、部屋のドアが開け放たれ、ドアが壊れかける。馬鹿力のせいで、一年で何回も直す羽目になっている。


 ドアを開けた張本人――ジェナがギロっと僕を睨んだ。竜人特有の金色の眼が僕の息を詰まらせる。声が上手く出ない。いつよりも機嫌が悪い。


 ジェナは僕の肩を抱いて、一転して不自然に感じるほど上機嫌に言う。


「よお、早起きだな。準備はバッチリってか? ははっ。……行けるよな?」


「……はい」


 僕が言うや否や、彼女は僕を肩に抱えた。彼女の背中が見える。


「お前もっと鍛えろよな、一々持っていくの面倒くせーんだよ」


「はい」


「ちっ、つまんねー奴」


 僕を抱えたまま、のしのしと彼女はパーティーハウスの中を歩いて行く。なぜ、ジェシカに殴られるために、鍛えなければならないのか。そもそも、そんな時間もない。家の中の家事をこっちに全部押し付けている上に、彼らに殴られしょっちゅう身体中が傷んでいるというのに。おまけに細かい用事をこれでもかと頼んでくる。まるで奴隷だ。……いや、そこらの奴隷よりも酷いかもしれない。


「――あらぁ、ジェナちゃん? お出かけ?」


「ナンシー、今起きたのか?」


「そうよー、また、アランちゃんと『お遊び』?」


「遊びじゃねえよ、訓練だ、訓練。軟弱だからなあ」


「うふふ、そうね。……ねえ、アランちゃんを治療する時は絶対に私の所に来てね?」


「わーってるよっ、もう、行くぞ」


「いってらっしゃい」


 ジェナがまた歩き出す。僕が顔を上げると、ナンシーが手を振っていた。ペロッと唇を舐め、これから来るであろうご馳走を前にしたように、微笑んだ。

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