2.ギリアン子爵夫人ヨランダの目論見

 ヨランダは小柄で細身であることが自慢だった。

 グリーンの瞳も、金髪に近い淡い色の髪も。


 実はヨランダは髪を脱色していた。

 縮らせたりウェーブををつけたりして、最新流行の型に結っていた。

 そのため傷んでしまった髪を隠すために金髪の付け髪を使い、いささかやりすぎなほどだ。

 10代の未婚の娘の流行を35歳になっても追っている。


 ヨランダの細身ににも秘密があった。

 養父イェーツに似て、ヨランダは脂っこい肉料理や甘いものが好きだった。

 普段から我慢せずに好きなものを好きなだけ食べていた。


 ヨランダの秘密は普段飲むお茶である。


 ある薬草のお茶で食べた物が下る作用がある。

 通常は食べ過ぎや、良くない物を食べた時に速やかに排出するように使用されるものだ。ヨランダはこれを常に飲み、ほっそりした肢体を保っていた。


「ほっそりした」はヨランダの主観であって、大きく開いた襟ぐりから見える鎖骨もあばら骨が浮いた薄い胸も、不健康極まりない。

 顔もほっそりというより、骨に皮が張り付いたような印象を受ける。


 若い頃はもう少し肉付きがよく、遊び目的の男達にはもてはやされたものだ。


 自分の姿かたちに自信のあるヨランダは、ドレスは赤を好み、飾りは多いほどいい。

 フリルにリボン、レースにチュール。


 本当は宝石をあしらいたいのだが、いかんせん子爵家の資産では叶わない。せいぜい、とっておきの数着に少しだけ、それを次のドレスに付け替えるのがせいいっぱいだ。


 時折、娘アーシアのパーティー・ドレスにあしらわれた宝石や、身に着けている宝飾品に歯噛みする。


(ああ、あれがわたくしのものになれば)


 それはギリアン子爵家が仕立たものではなく、エイダ侯爵家が調えたものだ。手を出せば、アーシアはエイダ侯爵家へ永遠に置かれ、資金援助さえなくなることくらい理解している。


 それは若い頃でさえ失笑される派手好みだったが、ヨランダは世間の評判を知らない。

 父イェーツも母ミリアも社交界を好まず、必要最低限の場にしか出なかったからだ。


 ヨランダの親であるイェーツとミリアは娘を甘やかし放題だった。

 それは複雑な事情がある。


 ヨランダはこのギリアン子爵夫妻の実の子ではないのだ。

 ギリアン侯爵イェーツの妹ヤスミンの娘だ。


 ヤスミンはそれなりの持参金とともに同格のアンシェル子爵家に嫁いだのだが、そこではすでに妾アイリーンが子爵家の奥の実権を握っていた。

 アンシェル子爵家でヤスミンは正妻の部屋も与えられず、2番目として妾にいびられる辛い日を送ることになった。

 妾はしょうことなくヤスミンを虐げ、アンシェル子爵ジグムンドが近づかないよう策を弄した。


 おっとりとしたヤスミンは抵抗すらしなかった。


 それでも妾が妊娠すると数か月、隙が生まれた。色好みのジグムンドは妾と正反対の気性を持つ美しいヤスミンと閨を過ごした。ほどなくヤスミンは懐妊した。

 ようやくここでのヤスミンの道が開けたかと思われた時であった。


 妾が男児を産んだのだ。嫁いで半年足らず、ヤスミンは離縁され戻ってきた。身重の身で。持参金も戻らず、嫁入り道具も持参した宝飾品も取り上げられた。

 生まれたのがヨランダである。

 実母のヤスミンはヨランダが生まれて半年後に格下のゴート男爵家の後妻におさまり、今では一男一女に恵まれ幸せに暮らしている。


 ヤスミンは美しかった。ろうたけた所作に可愛らしい容姿。そこに子供を産んだなんとも言えない色気が乗り、ゴート男爵ディーンに見初められた。後妻であるがヤスミンも出戻りであり、ギリアン家に否やはなかった。


 そのままヨランダはギリアン家の養女となった。


 実子を持つまでの良い練習だと、養父母イェーツとミリアはペットのようにヨランダを可愛がり甘やかした。

 しかし待ち望んだ実子には恵まれず、婿を取るしか家督を継がせる方法はなかった。


 しかしヨランダが18歳になっても縁談が来ないことに焦り、その時期にはせっせと若い男性の出席する場にヨランダを伴って赴いた。


 縁談がひとつも舞い込まない理由。


 その原因はヨランダの派手好みと、はすっぱな性格のせいだとイェーツはわからない。


 ヨランダは有頂天でヒラヒラとあちらの殿方こちらの殿方と浮名を流す寸前まで行った。

 寸前でエイダ侯爵三男キースの男ぶりに一目惚れした。


 男気溢れながらも優しい、そして見目麗しいキース。

(わたくし達、お似合いだわ)


 ヨランダはキースに甘い言葉を弄して付きまとい、養母ミリアの真似で甲斐甲斐しく尽くした。

 そして未婚のまま情を交わしてしまった。


 それを知ったイェーツは、これ幸いとばかりに既成事実を以ってエイダ侯爵家に訴えたのだ。


 実はエイダ侯爵ホルヘルは心のなかでにんまりとした。


 ヨランダの噂は承知の上で、キースが彼女の元へ行くよう取り計らっていたのだ。


 キースは三男であり、どこかへ婿へ出すことをホルヘルは決めていた。

 無鉄砲で男気を気取るくせに臆病な性格であることを見越してのことだ。婿として押さえつけられた方がいいだろうと思っての親心だ。


 先代夫婦に頭を押さえつけられ辛抱を学べばおとなしくしているだろうという目論見は見事功をなした。


 ホルヘルはギリアン子爵イェーツが傲慢で威張り散らすのが好きな男であること、ヨランダが甘やかし放題の娘であることを知っていた。

 苦労をすれば無鉄砲も出る隙がなくなるだろう。


 二人の結婚は速やかに執り行われた。

 ヨランダ19歳、キース26歳だった。


 2年後、イェーツは急逝したが初子に恵まれた。


 但し、子を産んだ後のヨランダの苛烈さは計算外だった。


 初子は男児でないことを、誰にも責められていないのに

「どうして男じゃないの!?」

 と荒れた。


 赤子が可愛いと褒めればまた荒れる。

「わたくしが産んだのに!」


 この荒ぶりにはギリアン子爵となったお披露目に、妊娠出産のために出られなかった悔しさも相まっていた。だからヨランダは産む前から子供を憎んだ。


(この子のせいでなにもかも台無しだわ!しかも女だなんて!!)


 アーシアはおとなしい赤子だったが、ヨランダが近づいたり声が聞こえたりすると泣くようになった。


 ホルヘルは「少し母子を離した方がいいのではないか」とキースに申し入れた。

 答えを渋っていたキースだが、椿事が出来した。


 ある日、よりにもよってホルヘルが滞在中にヨランダがアーシアの頭をを扇で叩いている現場を目撃したのだ。

 叩かれた場所は数か所へこんでいた。


 急ぎ医師が呼ばれ、ヨランダ以外の者は全員息をつめた1週間を過ごした。


 幸いアーシアは異常を起こすことなく、医師からも診断が下りた。

「これから数か月の安静と様子を見ることになりますが、命にかかわることはないでしょう」


 しかしヨランダのアーシアへの振る舞いは異常だと考えた祖父母はエイダ侯爵家へアーシアを連れて帰った。アーシアの身の安全第一に考えたことだ。

 アーシアはその後、何事もなくすくすくと育った。


 赤子によくあるように体調を崩し熱を出すこともあったが、特に問題なく成長した。


 孫は子供より可愛いと言うが、エイダ侯爵夫妻はその言葉をつくづく実感した。


 孫はもう何人もいる。だが手元で育てる孫の可愛さは格別だ。


 アーシアが可愛くてたまらない。

 この子には最高のものを用意しよう。ホルヘルは考えた。


 嫡男カッツェが生まれたからと言っては手元に置く口実とし、さらに妹シンシアが生まれヨランダが可愛がっていると知ってさらに手元に置いた。


 そしてアーシア9歳、翌年のお披露目のために渋々ギリアン子爵家に戻した。


 アーシアに最高の生活をさせるためにギリアン子爵家へ資金援助を行った。


 ヨランダは大喜びで受け取った。

(この子がいる限り、エイダ侯爵家から援助が受けられるわ。なんて便利な子でしょう。産んだのはわたくしですもの)


 ヨランダは自分と可愛い末娘シンシアのために、なるべく長くアーシアを囲い込もうと考えた。


「アーシアにはこれが必要です。でも手元が・・・」

「アーシアの教育にもっとお金をかけたいのですが・・・」

 などと言えば、いくらでも出すだろう。


 しかしヨランダの目論見は外れた。


 アーシアに必要な全ての手配を、エイダ侯爵家が周到に用意し行ったのだ。

 そして度々エイダ侯爵家に呼び戻した。


 アーシアのお披露目のドレスも、ヨランダの緑の瞳が燃え上がった。

 飾り気のないすっきりした型のドレスだが、最高級のシルクで仕立てられ、真珠のジュエリー・セットはヨランダの望むべくもない最高級品だった。


(ああ、あれがわたくしのものでないなんて)

 取り上げればエイダ侯爵は怒るだろう。アーシアが泣きつけば、エイダ侯爵にアーシアもろとも援助も取り上げられる。


(憎らしい娘だわ。「お母さまにも」と言わないなんて)

 ヨランダはアーシアを更に憎んだ。憎んだが大切な金蔓である。手放せない。


 その反面、シンシアを溺愛した。


(この子は違う。誰もがわたくしによく似ていると言うもの)


 確かにアーシアの外見はどちらかと言えばエイダ侯爵家のものだった。


 そしてアーシア12歳の冬、ワレン王国から婚約の申し込みが来た時は、怒りがこみ上げた。


(一体どこでたらしこんだの!?この性悪娘は!王族と結婚なんて!死ぬまで贅沢のし放題ではないの!!)

 そこではっとした。


(シンシアが王族になればいいのよ。わたくしはシンシアに付いて行くわ。こんなケチな子爵家はもうたくさん)


 ヨランダはシンシアを焚きつけた。

「アーシアよりもあなたの方が王子様にふさわしいわ。王子様と結婚してお姫様になりたいでしょう?」


 ヨランダの妨害は功を奏した。

 結局アーシアの婚約は「仮」のままだ。


 あと3年で覆してみせる。

 シンシアならきっと。


 浅慮なヨランダはそう思い込んでいる。


 両国では「可哀想なアーシア」を救うために協議がなされたことを彼女は知らない。


 アーシアはすでにエイダ侯爵家の養女となっており、エイダ侯爵令嬢としてワレン王国に留学する。帰国後、1年後にワレン王国に嫁ぐことが決定しているのだ。


 ほどなくカッツェがデビューする夜会に、ヨランダは出席できないよう手は回されている。表向きはシンシアのお披露目準備のため。


 毒々しいこの女に、良薬というには劇的すぎる毒は準備万端である。

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