霧の幻影 ~怪異対決譚~
臆病虚弱
アレを知っているな
アレを知っているな 前編
〇:北海道、道南部に位置するM市。天然の良港とも呼ばれるこの街は古くから港湾として発達していたが、明治開拓期の北海道炭鉱の好景気、政府の重工業への投資、好立地などの条件から鉄鋼業が発達。今日まで日本有数、世界でも屈指の製鋼所を有する街である。
函館・札幌間の丁度中間に位置し交通の面でも存在感を示し、現在でも胆振管区の支庁が存在するが、2000年以降は、製鋼所の経営不振、不景気、人口縮小が災いし都市としての規模は縮小していった。
かつて十五万人以上いた人口も現在では八万人に縮小。2022年現在は局所的な土地開発と商業地域の発展から多少の人口増が見込まれるが大学進学、就職等でこの街を離れるものと亡くなる者の数を留めることはできない。
この街の中心的地域は大きく三つあると言える。
最も活気のない中枢、市役所・胆振支庁のある中央町。
商業施設が集まり、特急の停車駅のある、利便性の高い上島町。
そして学生の集まる工業大学周辺。
かつての中心地は中央町であったが、今は見る影もなく、アーケードにはシャッターと空き地が並び、婦人服とホテルだけが開く、陰惨で鬱々とした雰囲気が漂っている。それは、この町が大きな湾の先に位置しており、南北を海と漁港に囲まれていることにも起因する。潮の風は瞬く間に全てを錆びさせ、閉められたシャッターを茶色の死で覆うのだ。
そんな寂れた街を横目に一人の学生がバスを待っている。
彼の名前は
――
バスが来る。僕はバスに乗り込み座る。座席に座っていいのは三年だけなんてルールがかなり昔にあったと父が言っていた。今では立っているのは委縮した一年生くらいだ。だが、毎日すし詰めのようにバスは込み合う。このバスは完全にウチの高校の貸し切りだというのに。
「――ねえ、【アレ】、知ってる?」
「――ああ、【アレ】ね」
「――【アレ】の話……怖いよねー」
「――おい、【アレ】知ってるよな」
「――【アレ】だよ」
――妙に周囲の話に上る【アレ】という単語が気になる。
そういえば最近、教室内でもよく聞くようになった。話しぶりを察するに何かの怪談だろうか?
一応オカルト研究部という部活に所属しているのもあり、聴きだしたい義務感が感じられる。丁度良く、僕の横に立っているのが顔見知りだったので聞いてみることにした。
「よう、夏樹。なあ、最近皆が口にする【アレ】ってのは、怪談か何かなのか?」
「んああ? ……【アレ】? ああ、そうだね。なんか、肝試しみたいな話じゃなかったっけ。おれもよく知らないなぁ」
要領を得ない。彼も知らないのか。
僕はそれ以降も妙に引っかかりながら日常を過ごした。おかげさまで朝の小テストは十点満点中二点で、アホの担任が渋い顔をしていた。生徒のプライバシー権も知らんのかあのアホは。
―――
「というわけで、今月の記事は【アレ】というのにしようかと思うんです」
「……聞いたところ、怪談なんだってね【アレ】って話は」
三年の部長、
「はい。少し調べた限りではですね……どうもうちの学校の生徒が行方不明になった事件を指しているそうなんですよ」
「ああ、ホームルームで聴いたな。最近多いよね、行方不明。まあ、だからこんな部活やってんだけどな」
部長の親友で副部長の百舌鳥坂先輩がそう冗談めかして語る。
「ええ、今回のは、夜中肝試しをして、帰った翌日に部屋から跡形もなく消えていたって話らしいですよ。本当かどうかはまだ調べてませんけど……」
「……八坂さんに聴いてみるか? お父さん、刑事らしいぜ、あ、あと神主の家でもあるらしいな、牛頭神社だかの」
「オイオイ布施田ぁ、いくら娘だからって警察の資料なんか知らないでしょ」
清水山高校一階、図書室で僕たち、『オカルト研究部』は活動している。本来の部室は別だが俺の代で急に大所帯となり、二階の部室が手狭となったため放課後人の少ない図書室を、図書局の局長も兼任する部長が使っている。顧問の先生も同じで放任主義のため僕たちはとても自由に活動できている。今回は今月の末に掲示する【月刊オカ研】の記事の会議として何人かのメンバーが図書室でガヤガヤと話している。特に静かにする様子もないが利用者がほとんどいないので問題ない。
「呼んだ?」
八坂先輩がやってくる。学校指定のセーラー服にポニーテールの日焼けした女性だ。スポーツ全般が得意で中学ではバレーで全国に行ったらしいが、なぜかこの部活に入れ込んでいる。
「ああ、その」
「【アレ】を知っているかな、八坂さん」
「あー、今めっちゃ流行ってる怪談ね。美瑠場君あれ記事にするの? うちのクラスの子が元ネタみたいだけど」
「え、じゃあマジなんですか」
「うん……あんまりいい気分じゃないよね。本当に行方不明だし……知らない子ではないからさ」
すこし俯いた八坂先輩に部長がうかがう。
「おっと、おれ、失言しちゃったかな。悪いね」
「いやいいよ、ウチの部活が取り上げることで解決することもあるしさ」
八坂先輩は部長に笑顔でそう返す。
「そうか、ならいいんだ。じゃあ八坂さん、少し話してくれないか、知っていることを」
「うん。私もこの話を少し追おうかと考えてたから、ある程度調べてあるんだけど……。まず行方不明になったのは船田瑠奈っていう、私と同じ三年A組の子なんだけど……行方不明になる前日にクラスの仲の良い女子の……四谷麻実、二子玉早苗って子たちと肝試しに行ったみたいだね」
「場所についてはどうだい」
部長が訊く。
「ええ、一緒に行ったって子に訊いてみたら、『計測山のトイレに夜に行った』って……あと、それから……」
八坂先輩は少し言葉を詰まらせながらもつづける。
「その、計測山の、桜が植えられている場所あるでしょ? 坂になっている、公園みたいな広場。あそこの端で、芝生が掘り返されて、穴になっている場所があったらしくて、行方不明になった船田さんはその穴を何だかずっと気になっていたみたいで……怪談でもそれが怪異の元凶になっているようなんだよね」
計測山というのはこの学校から観光道路を少し行った場所にある山の事だ。登山というほど険しいものではなく徒歩でも簡単に行ける。その『穴』とやらがある広場というのも僕たちには容易に想像できた。ちょうど五月ごろに部総出でピクニックとしてそこに行ったのだ。
「フン……どう思う、百舌鳥坂」
部長が百舌鳥坂先輩に訊く。
「行けばいいんじゃないのかい? ちょっとあれこれ心配なこともあるから……今日ってのは良くないように思うがね」
「でも、もう穴が塞がれちゃっていたら、事件の足跡追えないんじゃない?」
八坂先輩が訊く。
「行方不明系の噂追っかけて痛い目見た人、君もよく知ってるんじゃないのかい? 俺はそう言うモノの為にちょっとした準備をしたい。なに、明日には準備できてるさ」
百舌鳥坂先輩は部長以上にオカルト系の話に詳しく、何やらお札やお祓いに通じた人の人脈も持っているらしく、この部の調査に欠かせない人だ。
「今日は八坂さんを中心に聞き込みを掛けて、明日、計測山の例の場所に行く。ってのはどうでっしゃろ。百舌鳥坂先輩が言うのだからちょっと実地調査は危険じゃないという事で聞き込みで妥協するって感じで」
部長が八坂さんに聴く、交渉事は部長が妙にうまい。今の発言も百舌鳥坂先輩の指摘を更に柔らかくする意図と案の提示を同時にやっている。
「ああ、いや、私も気になっただけで今すぐ行こうとは思ってないよ、情報少ない状態で行くのは良くないよね。まだその『穴』がどうヤバいのか分かんないしね」
「ウン……そうだなぁ……八坂さん、その行方不明になった船田さんと仲の良い子たちや噂をしている人に聞き込みする形になるが……何か言いたい事とかあるかい?」
部長が話している途中に何か言いたげな様子になった八坂先輩に気づきそう伺う。
「実は……四谷さんと二子玉さんはどちらも入院してて、今日いないの」
「オイオイ……ますますヤバいんじゃないの」
百舌鳥坂先輩は少し焦った感じでそう語る。
「……入院か……どこに入院してるかわかるかな?」
部長はそう訊く。一度記事にすると決めた時、部長は驚くべき行動力と執着心で真っ直ぐに取材していく。時々、僕たちが恐れるほどに真っ直ぐ。
「日本鋼鉄記念病院だけど……布施田君、行く気?」
「勿論!」
―――
「友達一同でお見舞いにですね……」
部長はにこやかに平然と嘘をついた。焦りもなければ淀みもない。生来の詐欺師のようにぺらぺらと口から嘘が紡がれてゆく。
「面会は……まあ、拒絶されているわけではないのですが……ええと、ちょっとですね」
「ああいえ、少し顔を見るだけの予定ですのでそんな面会とまでは」
「うーん、そう言うことでしたら……三階の313番と323番の部屋です」
「どうも」
交渉の難航が予想されていたが案外するりと通り、僕達はまず313番の病室へと向かった。普通の病室のようだ、老女や女性が相部屋になっている。窓際のベッドに四谷さんと思しき女性が座っている。それは一点を見つめ、何の表情も表していない。八坂先輩の話では二人とも学校で突然倒れたというが……。
「あの……四谷さん、今、大丈夫? 昨日訊いたことを詳しく……聞きたくて……」
八坂先輩の声に反応することもなく、彼女は見向きも、返事もしない。
「あの、四谷さん?」
反応なし。
「私たちは清水山高校オカルト研究部、私は部長の布施田仁良です。今回はあなたに【アレ】の話について聞きに来たんですが」
突然、彼女の目の色が変わった気がした。
「……【アレ】……」
「!」
彼女が声を発した。刹那、僕は何か猛烈な違和感を覚えた。奇妙な感覚。何か、僕の周りの空気が一枚の見えない袋に覆われた様な。そんな妙な違和感だ。
「……【アレ】」
彼女はまたそう言った。
「【アレ】が来る……」
彼女はその瞳から涙をあふれさせ、震えた。その表情は悲痛な、人間的なものになっている。
「【アレ】が来る、いや【アレ】はもう来ている!」
その場にいる全員が、言い知れぬ恐怖を感じる。
「【アレ】だ。ああ、分かった。……【アレ】なんだね。私」
消えた。
「え?」
僕たち全員が見ている目の前で、よく見れば隣のベッドの人も何事かとカーテンを開け、見ている中で……忽然と、四谷さんは消えた。
僕たちは何が起きたのか全く理解できず。静寂が数秒、この部屋を覆った。部屋の外の音が喧騒として認識できるほどに、緊張した静寂だった。
「う……嘘、だろ?」
そのベッドの上には彼女の痕跡は何一つ残っていなかった。髪の毛一つとして、例外なく。
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