第14話 禁断の領域

立襟の祭服を着た神に仕えるイケメン男性、チャールズ・ウィンスローと教会奥の狭い書斎で2人きり… 至近距離で向かい合っていると不思議とその厳かな雰囲気と禁断の関係性からか、いけないことをしているような後ろめたい気持ちが湧き起こってくる。


現代において、自他共に認める生粋の美青年好きだった望月ひかりにとってそれは、経験したことのない感覚だった。一方的に恋する恋愛は自由。心の中で人を好きになることは、誰にも迷惑をかけず、誰にも止めることのできない。誰にも平等に与えられたイケメンを愛するという権利を阻害することなどできないはずだった。


顔が良ければ多少の性格難には目をつぶれるし、顔も性格良い男性なんて、それこそ都市伝説級。物語や空想の産物でしかないのだろうと思って生きてきた。


それなのに、目の前にいる希代の美青年が神父様だというのは、神はどれだけ私に試練をお与えになるのだろう…


と、ヒカリ・エヴァンスハムと違い宗教への関心が薄い望月ひかりの思考で動いているにも関わらず、罪悪感を覚えてしまっているのだった。まずい… これがただの夢だったら、きっと私は迷うことなくイケメン神父に愛でられたいという美青年好きの悪い癖が出てしまっていたかもしれない。百歩譲って夢の中だったらそれは問題ないのかもしれないけれど、どういう事情かわからないにしてもここはもう一つの現実世界… 神父と恋に落ちるなんてことが許される倫理観ではない。


私は、この世界でも悪い癖が勃発しないようにと、気を引き締め… 必死に意識を神父様以外に向けることに努めた。


そうそう、こんなときは頭を働かせて理性を呼び起こすことが大事。丁度、今回教会を訪れたのはレストレード警部に頼まれた切り裂きジャック事件の聞き込みのためだった。和戸くんから聞いておいた方がいい質問リストを預かっている。その質問を投げかけることで、神の側で不謹慎にも芽生えかけている下心を浄化しようと心掛けた。


「あの、神父様… 事件のあった日、神父様はどうして犯行現場近くにいらっしゃったんですか…?」


ドキドキしながらそう質問を切り出すと、神父様は変わらぬ至近距離のままでニッコリと微笑み、その後、穏やかなに目を閉じて、話をし始めた。


「あの日私は… 危篤の教徒や病気で苦しんでいる教徒たちのために祈りを捧げに行っていました」

「犯行予想時刻の深夜2時から3時半の間、ずっとですか?」

「ええ、はい。お祈りをした教徒や各病棟の警備員に聞いてもらえばわかると思いますが、帰る頃には日が昇り始めていたので、朝方までいたと思います」

「では、神父様にはアリバイがあるということですね」

「その日、何時に誰にお祈りを捧げていたかまではハッキリと覚えている訳ではないですし… トイレに行ったり、病室を移動したりと1人きりだった時間がなかったかといえば、そんなことはないですが」

「そうですか… では、被害者のドクターと面識は?」

「今回の犠牲者は、外科医のドクターだったそうですね。あの病院には定期的にお祈りに行っていましたから、もしかしたらどこかですれ違ったりしたことくらいは、あるかもしれませんが… 接点という接点は、特にありませんでした」


レストレードから受け取った報告書にも、同様のことが書いてある。警察の聞き込みした内容と食い違いもなし… 被害者周辺の人物も神父様と被害者の間に接点があったと発言している人はいなかったし、何か揉め事があったとは考えられない。そういうことなら、神父様は”シロ”と言っていいのかもしれない。


「あの…」


変わらず至近距離から顔を遠ざけようともせずに、神父様は話しを続けた。


「神は私の行いをご覧になっていたと思うので、そんなことは起こらないと思いますが… もし、えん罪で逮捕されるようなことになったらと思うと恐怖を感じるのです」


そう言って神父様は、私の両手を握りしめた。


「万が一、私が切り裂きジャックだと誤解されて、殺されるようなことがあったらと思うと…」

「神父様、心配いりません。大丈夫ですよ…」

「ありがとうございます… 名探偵と呼ばれるお嬢様にそう言っていただけると… 救われた気持ちになります…」


そう言いながら私の目を見つめる神父様の瞳は、澄んで見えて美しかった。


「6人目の事件が発生してから時間が経っているのに、私は変わらず容疑者の1人とされたままのようですし… 5人も被害者を出しながら、これまで犯人を絞り込むことすらできていなかった無能な警察に期待などできません。どうか、どうかお嬢様の類まれな推理力で… 私を救って下さい。お願いします…」


神父様が、至近距離のまま私の両手を握り合わせてそう懇願する。その様は、まるで神に祈りを捧げるかのように真剣で… 自分がヒカリ・エヴァンスハムのような推理力のない、ただの一般女性であることが申し訳なくなってしまっていた。


神父様のためにも、何とかしてあげたい… そうは思うけれど、私に何とかしてあげることがあるはずもない。ここは、優秀な和戸くんに考察をお願いして、私が助手のようにサポートすれば少しは可能性もあるのかしれないなどと考えている間も、神父様はずっと私の手を握りしめていた。


「あの… 神父様、少し近すぎませんか? それと、ちょっと長すぎる気が…」


イケメンに至近距離で両手を握りしめられるなんて、そんな幸せなことはなかったけれど、ここは教会… さすがに私でも気が引けてしまっていた。何より、これ以上ドキドキさせられてしまうと、神父様の沼にはまってしまいそうで怖くなっていた。


「これは、失礼しました。心が動揺してしまって… でも、お嬢様のおかげで楽になれたのは本当です。ありがとうございました」


そう言って、神父様が手を放して適正距離に体を戻すと、名残惜しくてつい両手を掴み返したくなってしまったが、私はそれをギリギリのところで堪えることに成功した。

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