第6話 横峯 隆太郎

行方不明になっているという兄のことを気にかけながら、私はごちゃごちゃな頭の中を整理しようと努めていた。私は最近、「望月ひかりとして21世紀の日本で暮らす生活」と「ヒカリ・エヴァンスハムとして19世紀末のイギリスで暮らす生活」の2つの生活を交互に繰り返している。


最初の頃は、イギリスでの生活はたまに夢にみるような感じで、その生活で体験したこともあまり覚えていなかったり、夢として見るのも不定期だったような気がしているけれど、ここ最近は日本での生活もイギリスでの生活もとてもリアルに感じていて、どちらもリアルな現実なんじゃないのかと感じて、定期的にタイムスリップを繰り返しているのではないかと思ったり、逆にどちらの世界も現実ではなく夢の中の世界なのではないかと思ったりもしていた。


気付くと寝ている状態から目が覚め、もう一方の世界へと戻っているというようなことが何度か続いている。そして、一方の世界で寝ている間と同じ時間をもう一方の世界で起きて過ごしているようだということもなんとなくわかってきた。一方の世界で生活している間、私はもう一方の世界では同じだけの時間を寝ているという状態になっているようだった。


体は目覚めるたびに、すっきりと休息を取った後のようにリフレッシュされているけれど、精神というか思考は24時間毎日フル稼働で起きているような状態なのだ。


私は、タイムスリップしているの? それともパラレルワールドとこちらの世界を行き来しているの? わからない… ただ過去の夢を見ているだけ? それとも、過去が現実で未来の夢を見ているの? あぁ、ダメ… 頭痛に悩まされてるのはヒカリ・エヴァンハイム特有の悩みだったのに、望月ひかりの体でも頭痛がしてきた。


異世界転移しているのか、寝ている間に前世の記憶を見ているだけなのか… それすらわからないけれど、どちらの世界もリアルなことだけは感覚的に理解していた。つまり、どちらかの肉体にいるときにもしも事故や病気で死んでしまったら、その肉体でも人生はそこで終わる。そう感覚的に理解するほど、頭痛の苦しみは死をも予感させるし、ぶつければ痛いし骨も折れる。

仮に私がヒカリ・エヴァンスハムのときに死んだとしたら…望月ひかりとしてだけ生きる生活に戻るのだろうか… それとも、ヒカリ・エヴァンスのときに死ぬと、日本にいる望月ひかりも新でしまうのだろうか… わからない。


ヒカリ・エヴァンスハムとして富豪の一人娘としてイケメンたちに囲まれて暮らす生活は、最高だった。名実ともに夢の中の世界の出来事だと思い、正直、浮かれてその幸せに溺れていた。でも… その生活も夢の中の出来事でなく現実なのだとすると、浮かれてばかりもいられない。こちらの世界で深い沼に沈みかけているときも、日本では兄がトラブルに巻き込まれていて今でもどこかで助けを待っているのかもしれない。そう考えると、沼ってばかりもいられないのだった。


東京の浅草にある兄の探偵事務所で、夜遅くまで兄の帰りを待っていたけれど、結局その日は兄が戻ってくることはなかったし、電話やメールなどの連絡も一切なかった。兄は、音信不通、消息不明、正真正銘の行方不明になっていた。


「あぁ、お母さん。私… お兄ちゃんの事務所に様子を見に来てるんだけどね。うん、なんだか仕事が忙しいみたい。依頼にかかりっきりで、ケータイの留守電も着信も全然見てなかったみたいだよ。うん、落ち着いたら連絡するって言ってた。心配いらないって…」


兄と数か月の間連絡が取れず、心配していた母に… 兄が行方不明になっているなどと言ったら、どうなってしまうかわからない。良い結果なのか悪い結果になるのかわからないけれど、兄の実情がわかるまでは、心労をかけずに穏やかにしていてもらうことにしたのだった。


今、兄が行方不明だと伝えても、何ができるわけでもない。兄の幼馴染で親友の横峯隆太郎くんが、今事務所の書類やパソコンのデータを見て、兄の足取りを探ってくれている。そこで何か足がかりをつかめるかもしれない。もしも、それで兄の消息を掴むことができなかったら… そのときは、警察に捜索願を出して捜索してもらおうと考えていた。


「隆太郎くん、どう?」

「う~ん… パソコンのプライベートアカウントの方には入れたんだけど、プライベートの方は特に消息に繋がるような情報は見当たらなかったかな。トラブルに巻き込まれたのなら、探偵の仕事関連だと思ってたんだけど、そっちのアカウントにはまだ入れてなくて…」

「仕事、そうだよね。何か危ない依頼とか受けたりしてたのかな…?」

「僕は、もう少しここでデータを漁ってみるから、ひかりちゃんは帰って休んでていいよ。何かわかったら明日の朝に連絡入れるから」

「ありがとう…」


隆太郎くんのことは、私が幼稚園生だった頃からの知り合いだった。兄も隆太郎くんも私より6つ年上だから、あの頃の兄と隆太郎くんは10歳前後くらい。子供の頃から好奇心旺盛でやんちゃだった兄に対して、隆太郎くんは大人しくていつも冷静。頭もいいので、アクセルとブレーキの関係のようになって何かと馬が合うようだった。


顔立ちは端正で、美青年の雰囲気はあるのだけれど、服装や髪形に対していつも無頓着で、ボサボサの髪を整えて、綺麗めな恰好をしたらきっと女性にモテるのにと、幼い頃から美少年レーダーが目ざとく反応したりもしていたけれど… 当時の私は、当たり前ながら原石を磨いて自分好みのイケメンに育てるなんて性癖はまだなく、どちらかと言えば格好いい白馬の王子様に憧れていた頃なので、彼の本当の魅力にはまだ気付いてはいなかった。


しかし、改めてこうして見てみると、相変わらず髪形や外見には無頓着でパソコンに詳しい理系男子といった印象だけれど、端正な顔立ちは隠しきれてない。確実に磨けば光る。まだ誰の色も付いていないから、自分色に染めて自分好みに育成できるかもしれないというオプションもある。さすがにダメ男に振り回され続けた上に、セバスチャンや神父様、警部やドクターたちという一級品のイケメンという本物の美青年たちを知った今の私には、一級品に育てるというスキルも備わりかけているのだった。とはいえ、さすがに幼い頃から知っている兄と妹のような関係でもある兄の親友に惚れたりはしない。何より、今の私には育成するまでもなく元から身も心もイケメンな男性たちが、ロンドンにたくさんいる。例え、向こうの生活が夢だったとしても、あれだけ感覚がリアルなら、もはやそれは現実と何も違いはないのだった。夢でもいい…私はこれまで男性関係で男運が0だった分、身も心もイケメンな人に手早く愛されたいと願ってしまっていた。


「隆太郎くん、最近お兄ちゃんの様子で変わったところなかった?」

「変わったところねぇ、あったら気付いてたと思うけど」

「最近は、一緒にご飯行ったりしてた?」

「ずっと大学院の研究にかかりっきりだったから、しばらく会ってなかったんだ。拓海は拓海で、少しずつ探偵の依頼が増えてきてたみたいで、ちょこちょこ忙しいって言ってたくらいで、特に何か変わったことは言ってなかったけど…」

「そうなんだ… それじゃ、やっぱり… 仕事関係で何かあったのかな?」


時間ばかりが過ぎ、夜も更け渋谷行き終電の時間が迫って来ていた。今日のところは隆太郎くんに甘えて、一旦シェアハウスに帰って休ませてもらおうかと考えていると、


コンコンコン、と探偵事務所のガラスドアがノックされた。

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