第5話 危険な男

聖バーソロミュー病院を出ると外はすっかり暗くなっていた。ずっと寝ていたせいか、足に力が入らず少しふわふわとした感じがしている。そんな私のおぼつかない足取りにすぐ気が付いたセバスチャンがさりげなく私の背中を支えてくれた。


あぁ、こんな優しい男性は今まで聞いたことしかなかったな…

などと、思わずうっとりとしてしまったが、あまりセバスチャンに迷惑をかけないようにしないとと、我に返って転ばないように気を付けながら歩みを進めた。


「お嬢様、具合は如何ですか?」

「大丈夫。薬が効いてるみたい少し、痛みが治まってきた…」

「それはよかったです。無理せず、休みたいときはいつでも休んでください。時間はどれだけかかっても構いませんので…」

「ありがとう…」


セバスチャン、どこまで優しいの… あまり私を甘やかし過ぎないで欲しい。優しくされることに慣れていないから、甘やかされるとどこまでも甘えてしまいそうで怖くなってくる。セバスチャンは優しく仕事ができるだけなく、外見も


ドンッ!

「痛っ…」

「あっ、ごめんなさい」


すれ違い様にぶつかってしまったしまった男性が、振り返り睨みつけてきた。鍛え抜かれた肉体と厳しい目つき、サラリーマンとは思えない特徴的な髪形と服装… 一瞬見ただけでも、カタギの方でないのは一目瞭然だった。マズイ人とぶつかってしまったと思う反面、その危険な香りのするイケメン具合に、ドキリとさせられてしまう… これは、いくら美青年好きとはいえ、分別をわきまえている。惚れてはいけない類の危険なイケメンなのだった。


「…………」

黙って、睨むような鋭い視線で見つめられ続けていると、ゾクゾクとしてしまう。この湧き上がる不思議な感覚がなんなのかは、わからない。けれど、その男がじっと私を見続けていると…


「何か? ご用があるなら私が」

そう言ってセバスチャンが、私と男の間に割って入ってきた。頼れる男、セバスチャン…でも、さすがに完璧系男子であるセバスチャンでも、喧嘩は苦手だろうと思っていたのに、私を守るために身を挺してくれるセバスチャンは、執事の鑑なのだった。


「オマエに用はない。用があるのは、そっちのオンナだ」

「は、はい…」

「お嬢様、この男はどこぞのギャングかチンピラでしょう。相手にする必要は、ございません」

「大丈夫、セバスチャン。下がっていて」

「…はい」

「あの、何か御用ですか?」

「お前…」

睨むように見つめていたその男が、更に目を細めて言う。

「どこかで会ったこと、あるか?」


会ったこと…? う~ん… 望月ひかりの意識では当然会ったことなどない。ヒカリ・エヴァンスハムの記憶を探ってみたけれど、このような危険なタイプのイケメンの記憶は残っていなかった。

「ないと思いますけど…」


首をかしげると、男はふいっと見知らぬ顔をして、

「そんならいい。気をつけろよ」

そう言って私の肩をポンッと叩いて、素っ気なく去って行ってしまった。

「危ない…」


一般人の女性が、格好いいヤクザに惚れてしまって、風俗に売られたり身を滅ぼしたりする話をショート動画で見たことがある。頭では、なんでわざわざそんな自滅する恋を選ぶのだろうかと思ったりもしていたけれど… 実際に目の前でそれを見せつけられると、その気持ちがわかりかけてしまいそうになっていた。


「ここ最近、よく新聞でお嬢様のことが話題になっていましたから、きっと彼もそれでお嬢様を知っていたのでしょう」

ふむふむ、なるほど… そういうケースもあるのか。

「これからも、あぁやって一方的にお嬢様を知っている者が、知り合いだと思い込んで言い寄ってくることも増えるかと思います。どうか、お気をつけくださいますよう」


「そうね。守ってくれて、ありがとう。セバスチャン…」

「私こう見えて、格闘技を嗜んでいましたので、相当な格闘技経験者でもない限り、お嬢様のことはお守りできると自負しております」


セバスチャン… アナタはどこまで完璧なの、完璧すぎて怖くなってきた。

「ただ、あの手の輩は武器を所持していることもあります。私に万が一なことがあった場合は、私を助けようとせず、何よりもご自身の安全を第一にしてお逃げくださいますよう、お願いします」

「セバスチャン…」


どこまでも最高な男性であり続けるセバスチャンに支えられながら家に戻ると、家族で食べる予定だったディナーの代わりに、消化に良い栄養食が用意されていて、寝る準備も整えられていた。いたせりつくせりで、ベッドに入った私は… ふかふかの布団に包まれて、眠りに落ちていった。


はぁ、気持ちいい… さっき飲んだ痛み止めが効いてきたみたい… 頭の痛みがすぅっと… 和らいでいく……


目を覚ますと、そこは浅草にある兄の探偵事務所のソファの上だった。

カタカタカタと、パソコンのキーボードを叩く乾いた音が、寝起きの耳に心地良く響いてくる。ゆっくりと体を起こすと、兄のデスクに座って誰かがパソコンを操作していた。


「お兄ちゃん… 戻ってたの?」

そう呟くと、兄のデスクでパソコンを操作していた兄の幼馴染で親友の横峯隆太郎くんが、微笑みながらこちらに視線を移した。


「おはよう、よく寝てたね」

「私… いつの間に寝てたの?」


僕がここに来て、間もなくかな。ソファに座ってしばらくしたら寝てしまったから、よほど疲れてるんだなと思って、そっとしておいたんだ。徹夜明けだった?


「そう言うわけじゃないけど…」

「拓海が行方不明になって、夜寝れてないんだろうけど… 睡眠はちゃんととらないと」


そうだった… 兄が行方不明になってることにも気付かずに、最近はイケメンに囲まれて暮らすお嬢様になった夢を満喫してるなんて知られたら… 軽蔑されるだろうなと自分を残念に思いながら、ようやく私は立ち上がってソファから離れた。


「隆太郎くんは、何してたの?」

「うん… 拓海が使ってたパソコンの履歴を調べれば… どうして行方不明になったのか足取りを掴めるかと思ったんだけど…」

「手がかりは、なし?」

「そうだね。今のところは…」

「お兄ちゃん、どこ行っちゃったんだろ…」


最初は、21世紀の東京と19世紀末のロンドンの世界を行ったり来たりして、どちらが現実かなどと思ったりもしたけれど… 今では、もうどちらも現実のような気がしていたし、こちらの世界で兄や母に何かあったら当たり前に悲しいし、向こうの世界でセバスチャンや神父様に何買ったら、ヒカリ・エヴァンスハムの頃の記憶に加えて、望月ひかりとして触れ合った彼らとの記憶が重なって、こちらの兄や母と同じように悲しい気持ちになるのは自分でわかっていた。


とにかく、現状第一優先に考えなければならないのは、こちらの世界の兄を探すことなのは間違いなかった。

「他に何か、兄の足取りを掴む方法とかないかな…」

そういいながら私は、兄の事務所に届いたいて郵便物を1つずつ見ていった。

その郵便物の宛名に気になる名前が1つあった。

「和戸早雲」

どこかで、耳にしたことのあるような名前だった。誰だったかな…う~ん…

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