第72話 脱出劇 開幕

 部屋の中には見張りが一人。外は分からない。とりあえずこの手足の縄を解きたい。最悪足だけでも良い。


「お兄さん、ここはどこですか?」


 一応、怯えたように声を震わせながら聞いてみる。


「起きたのか」


「はい……。私、どうしてこんなところに」


 男は椅子に座ったまま顔だけこちらを見て言った。


「あんたは知らなくて良いことだ。じっとしてさえいれば何もしない」


「だったら、じっとしているのでこの縄を解いてくれませんか?」


「それは出来んな」


 まぁ、そう簡単に外すわけがないのは分かっている。次は瞳いっぱいに涙を溜め込み、今にも泣きそうな顔を作り出す。


「うゔ……」


「ど、どうした? 急に」


「この縄が痛くて痛くて……緩めるだけでも……」


 どうだ! アレン直伝の泣き落としだ。


 少し動揺したようで、椅子から立ち上がってこちらに歩いてきた。腕の縄に手をかけて、男は止まった。


「いや、駄目だ。何かあった時に俺が殺される」


 チッ、駄目か。もう少しだったのに。


「では、せめて体勢を変えて頂けませんか? この体勢意外としんどいんですよ」


 俺は今、両手足を縛られて仰向けになっている。身動きもできなければ寝返りも打てない。正直、本当にしんどい。


「体勢を変えるだけだからな」


 男はそう言って、俺の体を抱き抱えるように座らせた。


「ありがとうございます」


 素直に笑顔でお礼を言えば、顔を赤らめて先程座っていた椅子に座り直した。


 こういう時は大抵、テレビドラマではトイレに行きたいと言えば縄を一旦解いてくれたりするが、現実問題どうなのだろうか。そのまま下着を下ろされ、介助された日にはたまったものではない。他の方法を考えよう。


 そんなことを考えていたら、腹の虫がぐぅと鳴った。


「腹減ったのか」


「ええ、まぁ……」


 男はポケットをゴソゴソし始め、何かを取り出した。そして再び俺の前にきて言った。


「これでも食うか?」


 目の前に出されたのは包みに入ったクッキーだった。


「手作りクッキー?」


「俺が作ったんじゃないぞ。まだ小さい妹が作ってくれたんだ」


 照れたようにほっぺをポリポリ掻きながら、男は聞いてもいないことまで教えてくれた。

 

 媚薬の件以来『知らない人に食べ物をもらわない』と、アレンから何度も母親のように言われている。言われてはいるが……妹とクッキーに罪はない。


「いただきます」


 そう言うと、男はクッキーを口に入れてくれた。サクサクしたほろ苦い懐かしい味のするクッキーだった。初めてフィオナが作ってくれたクッキーを思い出してほっこりする。


「美味いだろ」


「はい、とっても」


 何故だろう。妹ワードを出されただけで、妙に親近感がわいてしまう。だが一つ、許されないことがある。俺は男に聞いた。


「どうしてこんなことをするのです? 妹さんが泣きますわよ」


「……金のためだ。この仕事は金になる」


 どういうことだ。先程の会話から察するに、悪魔の協力者の一味に間違いはない。お金が入るとは、どこから……?


「あなたは雇われているだけなの?」


「ああ。俺は金の為だが、他の奴らは違うみたいだな。よく分からんが、お前の兄を味方に付ければ長生きが出来るとかって……」


 男は喋りすぎたと思ったのか、口を閉じた。


 侵略の手助けをすれば、一部の人間が生存できる場所を確保すると悪魔から言われている。


 先程まで三人の会話しか聞こえなかったのはそういうことか。となれば、今がチャンスかもしれない。


「お兄さん、交渉をしませんか?」


◇◇◇◇


 一方、アレンとフィオナは敵に指定された場所に来ている。ついでに、ルイとフィンもクライヴの護衛と使い魔なので自動的に付いて来た。


「アレン様お一人で大丈夫かしら」


「お嬢様がこちらにいるとバレたらクライヴ様が危険ですからね。暫く様子をうかがいましょう」


 ルイが言うように今捕まっているのがフィオナではないと分かればクライヴが殺される可能性が高い。表立って出ているのはアレンだけで、他二名と一匹は近くで隠れている。


「あ、誰か来ましたよ」


 現れたのはローブを着た男二人で、フードを深く被っているので顔は見えない。


「おい、小僧はどうした?」


「お前は誰だ。女がどうなっても良いのか」


 アレンは呆れた顔をしながら男達に言った。


「一国の王子の顔も知らんとは不敬な奴らだな」


「王子? まさか……あ、アレン殿下!?」


「何故ここに……」


「なんだ、知っているじゃないか。では、もちろん貴様らが攫った相手は誰か知っているよな」


 アレンがそう言うと、男達の言葉が詰まる。それもそのはず、フィオナはまだアレンの婚約者だ。そのフィオナを誘拐したとなれば反逆罪で極刑は免れない。


「今ならまだ情けをかけてやっても良いが。どうする?」


「もう遅い。誰が相手でも関係ない。殺るぞ」


「おう!」


 男の一人が威勢よくアレンに斬りかかる。それをしなやかな身のこなしで避けるアレン。そのまま剣を構えて男の喉元に刃を向けた。


「フィオナはどこにいる」


「ゔ……」


「吐かないとこのまま斬っても良いんだぞ」


 アレンは見下しながらそう言った後、ニヤリと笑って続けた。


「それとも、その指を一本一本折って、死なない程度に苦痛を味わうのが好みか?」


「ヒッ……」


 男はゾッとして身震いした。


 その時、もう一人の男が魔法を発動させたようだ。地面に埋まっているはずの木の根がアレンめがけて襲ってきた。アレンは男の喉元に向けていた刃を離し、木の根を切って素早く避けた。


 アレンは土魔法を使った男を睨みつけて言った。


「貴様か。クライヴの腹を刺したやつは」


「あの時はもうちょっとで殺せそうだったのに、残念だったぜ」


「貴様から相手をしてやろう。だが、喜べ。貴様だけはすぐには殺さん」


 アレンがそう言うと、アレンと男の周囲だけが薄暗い闇に包まれた。


 もう一人の男は恐怖を感じたのか、勢い良く逃げ出した。すかさずアレンは叫んだ。


「フィオナ! 追いかけろ」


「分かっていますわ!」


 そう言ってフィオナが走り出そうとしたら、フィンがフィオナの前に立ちはだかり、背中を見せて言った。


「フィオナ様、お捕まりください」


 フィオナは頷いてフィンの背中におんぶされる形で乗った。その瞬間、人間が走る三倍は速い速度で男を追いかけた。


「わぁ、あれに追いつけますかね」


 そう呟きながらルイも軽快に走り出した。

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