――捜査協力の要請――

【予定外の来客】




※ 8月17日9時35分 ※



 三井那可子の転落事故から数日後。彼女の死は、ニュースにも取り上げられた。謎の転落死事件として。

 彼女の死が、事故であるならば、これ以上関わる事はないだろうと、琥珀が考えていた矢先の事。


 その日も朝から雲一つない快晴。そして、相変わらずの猛暑。

 朝食を済ませた後の時間。兄弟達は子供部屋で各々やりたい事をし、悠里はベランダで洗濯物を干していた。


 今日は仕事の予定もなく、あかねには休んでもらっている。

 飛び込みの依頼がなければ、事務所の経理処理や、家事の手伝いを…と、琥珀は脳内で今日の予定を立てていた。


 突然の来訪者がやってきたのは、琥珀がキッチンの掃除を始めようとした時だ。


 玄関のチャイムが鳴り、出迎えて見れば見知った男性が2人。琥珀は彼らを応接室へと案内し、悠里を呼んだ。


 探偵事務所の応接室。コーヒーテーブルの向こう側には、2人の刑事。隣には悠里。と、役者が揃う。


 刑事2人は、スーツのジャケットを着込むのは無理だったようで、ワイシャツ姿だ。夏用の通気性のよいものとはいえ、長袖なのだから、無理もない。


 中年の刑事は、紅月秋造という。あかねの、父親である。

 しかし、顔はあまり似ていない。あかねは、母親似らしい。けれど、何事にも真剣で、正義感があり、頑なすぎず柔軟性のある性格は、父親に似ている。と、琥珀は思う。


 秋造は、ネクタイを緩め、ワイシャツの胸ボタンを外し、胸元を大きく開いた、ラフな姿でソファーに座っている。


 秋造の隣には、年若い刑事が座っていた。若いと言っても、琥珀よりは年上なのだが。

 名前は轟明。ネクタイを緩め、ワイシャツのボタンを開けてはいるものの、秋造ほど大っぴらに胸元を開いてはいない。


 彼らの前には、2つのグラス。琥珀が準備したお茶が入っていたのだが、あっという間に空になった。

 お茶の入ったピッチャーも、一緒に持ってきていたので、琥珀は2人のグラスに、注いだ。

 刑事2人はまだまだ喉が乾いていたらしく、新しく注いだお茶も、あっという間に飲み干してしまった。

 

 そんな2人には目もくれず、悠里は神妙な面持ちでタブレットを捜査している。

 横目で内容を見てみれば、見覚えのある女性の写真。


「神社での転落死事件に、不振な点があったんですね……」


 三井那可子の、亡くなった現場での写真だった。


「ああ」


 秋造がこくりと頷く。


「後頭部を強く打ち付けた事による、脳挫傷……。階段から落ちた場合に、よくある死因だが……」


 琥珀も悠里と共に、捜査資料に目を通す。

 被害者、那可子の服に、突き飛ばされたような指紋はなく、一見、神社の石段で足を踏み外した事故……に見えたようだが。


「彼女が何故、夜中に1人で人気のない神社に行ったのか不明なのもそうなんだが、他にも不審点があってなぁ」


 その神社は、都心部にあり、大きな駅がほど近い。さらに言えば、那可子の婚約者である、佐藤真吾のマンションからかなり近い場所だ。

 昼間は参拝者が多く往来する神社なのだが、夜になると一転、人気が一切なくなるらしい。


「三井さんが亡くなったと推定されるのは、8月12日の深夜頃ですか……」


 琥珀があかねと共に、浮気調査をした日の夜だ。


「佐藤真吾とは、夜に彼の自宅で会う約束をしていたが、急用で行けなくなったと連絡があり、会えなかった……か」


 タブレットに指を滑らせながら、悠里は転落事故の情報に目を通してゆく。その横で、琥珀も一緒に情報を追う。


「通信記録にも、そのデータがありますね。時間も、佐藤さんの証言通り」


「話の内容はわからんがな」


 琥珀の言葉に、秋造がひらひらと手を振って答えた。


「佐藤真吾が嘘をついていると考えているのか、紅月?」


 その様子を見て、悠里がタブレットを操作する手を止めて問う。


 那可子が亡くなって数日、警察は随分と早い段階で他殺を念頭に置いたようだ。

 本庁勤務の刑事2人が訪ねてきた事もそうだが、悠里に渡されたタブレット内の情報も、事件を疑い集めた情報が多い。


「なんとなく、事情聴取の時の様子が気になってるんだ。それに加えて、神社付近の妙な目撃情報もなぁ」


 なにやら、思う所がある様子の秋造。


「高身長の人物が目撃されたというものですね」


 確認のため、琥珀が問うと「大体、悠里さんくらいの身長っス」と、秋造の隣にいた明が補足をいれた。


「自動販売機近くで目撃された情報から、不審者の身長が180cm程度と断定された訳だな」


 と、ここで琥珀は違和感を感じた。

 自動販売機の高さは、約190cm。設置位置の高低で差はでるが、目算で身長を図るには調度良い指標だ。


 不審者は、まるで自分はこれだけの身長ですよと、わざわざ知らせているように思える。

 琥珀が悠里の顔をちらりとみやると、なにやら思案している様子。

 悠里も、同じ違和感を感じているのかもしれないと、琥珀は思った。


「現在でも不審者の情報を集めているところだ。長身だから男だという固定観念は持たないように班の仲間には言ってある」


 長身の女性を知る、秋造らしい話だ。下手な固定観念が捜査を滞らせることもある。


「確かに、色々不振な点を感じますね」


 被害者が深夜に神社へ行った理由。不審者の目撃情報と、不振な動き。婚約者、佐藤のおかしな様子。

 事故として処理するには、気になる点が多い。だからいち早く本庁が動いたのだろう。


「しかし、真実に繋がりそうな情報はまだ見当たらなんな……」


 と、悠里が捜査資料の入ったタブレットをテーブルの上に置いた。


「新しい情報が入ったら、随時共有する。だから……」


 捜査協力依頼。ここまで捜査資料を見せておいて、頼まないことなどありえないわけで。

 隣で悠里が大きなため息をついた。


「今回は、素直に応じてやる」


 いつもなら少し渋る――結局は受けるのだけれど――悠里なのだが、今回の件は別だ。秋造たちが拍子抜けな顔をしている。


「依頼人も絡んでますしね」


 琥珀がその理由を口添えすると、秋造が「依頼人?」と、首を傾げた。


「佐藤真吾から、三井那可子の浮気調査をな。調査対象の訃報で中止になったが」


 悠里の言葉に、寝耳に水の刑事たちは、驚いた顔になる。無理もない話だけれど。


「その辺、今回の件に関係してたりしないっスかね?」


 明が悠里に助言を求めるような視線を向ける。


「他殺であるならば、と仮定して考えた場合、ありえない話ではない。が、憶測だけで判断するのは早計過ぎだな」


 悠里の言葉に、琥珀も頷く。現状、事故か他殺かは情報が足りず断定はできない。

 けれどこの事件が、他殺と想像するならば、気になる人物が3人いた。


 もちろん、可能性の話であり、彼女の転落死が事故である場合は、濡れ衣を着せることになってしまうため、慎重に考えなければならない。


 悠里もきっと、それに気づいて居だろう。だからこそ、明言を避けた物言いをしている。

 けれど、これが他殺であるならば、必ず、その犯人を見つけ出さねばならない。

 人ひとりの命を無惨に奪っていながら、その罪から逃げることなど、許し難い事なのだから。





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