第7話 おやつ泥棒大決戦

 一種不気味な妃として遠巻きに見られていた平凡妃だったが、近頃後宮で妃仲間ができた。

「元気でやっているかね、凡妃」

 昼餉が終わる頃に、その妃はひょいと戸をくぐって平凡妃の元にやって来た。

 その妃は男のように背が高くすらりとしていて、言葉遣いも文官のようだった。彼女は代々学者を輩出するかい家の出身なのだそうだ。

 平凡妃は侍女のシーファにお茶をお願いして、その妃に向かいの席を勧める。

「ぼちぼちですよ。海妃かいひは珍しいですね。いつもお茶を飲んでから散策に来るというのに」

「茶を飲みたいのは山々なのだが」

 海妃はうなりながら向かいの席について、一息分だけ沈黙した。

 海妃はふいに口を開くと、悩ましげなまなざしで平凡妃を見て言う。

「実は、近頃私の宮に……出るのだよ」

「ほう?」

 平凡妃は何もかも不十分なその言葉を、しかと聞き取ってみせた。

 平凡妃は猫のようにほほえむと、弾んだ声で問い返す。

「それは興味深いですね。私、そういう話は大好きです。聞かせてください」

「わかった。事は三日前にさかのぼる」

 午後の眠たげなひととき、海妃はここ三日間のとある怪異を語った。

 海妃はその端正な面差しと女性に丁重な人柄で、後宮の妃たちの間に後援隊ふぁんくらぶができている。その後援隊から毎日おやつに差し入れをもらうのだが、どうしてか海妃がお茶を飲むときには消えて無くなっているのだという。

「白昼堂々、私の侍女たちも出入りする中でおやつだけが消えているのだ。まあ、古い時代には側妃の意地悪で衣すべてが盗まれた例も聞く。今日のおやつが消えたくらい何だと思うかもしれないが」

「ふむふむ?」

「……だが」

 平凡妃がうなずくと、海妃はふいに押し殺した声でつぶやく。

「私は……おやつだけは、がまんできないんだ……!」

 ほとんど泣きそうな声で言った海妃に、平凡妃は彼女の嘆きの重さを知った。

「おやつが食べたくて後宮入りしたようなあなたですからね」

「ああ、そうだ。おやつが無くてどうやって生きていけばいいんだ……!?」

 海妃の実家は男ばかりで、おやつの良さをちっとも理解してくれないらしい。父親も世間も惜しむほど文武両道に育った彼女にとって、おやつは心の聖域だった。

 海妃は真剣なまなざしで平凡妃を見やって言う。

「凡妃、頼む。君の妖術でこの怪異を暴いてくれ」

「妖術で怪異を暴くとは、自己矛盾しているように思えますが」

 平凡妃が至極もっともなことを言うと、海妃はぽつりと続けた。

「暴いてくれたら、今日のおやつは君にやろう」

「引き受けましょう」

 こうしておやつに釣られて、平凡妃は海妃の宮に向かうことになった。

 海妃の宮はほとんど装飾の無い調度とぎっしりと棚に詰め込まれた書物に囲まれた、文官の執務室のような一室だった。

「これが問題の、おやつ箱だ」

 しかし机の隣の小棚の中、ヒスイが散りばめられた銀縁の箱だけは異彩を放っていた。そのきらきら輝く箱をみつめる海妃の目もきらきらしていた。

「今日のおやつは桃饅だ。確かに見たな、凡妃?」

 まだぬくもりの残る桃饅が箱に収まっているのを見て、平凡妃もこくりとうなずく。

 海妃は宝石箱のようなおやつ箱を閉じて、平凡妃と目配せした。

「ここで席を立ってお茶の時間に戻って来ると、おやつが消えていたのだが……」

 平凡妃は辺りを見回して思案する。窓は閉じられていて、動物が入って来るような隙間はない。壁際に侍女が控えて見張っているのだから、外部の者が入り込むとも考えられない。

 平凡妃はひとつうなずいて言う。

「大体見当はつきましたが、ひとつ試してみましょう」

 平凡妃はおやつ箱に何か細工をすると、海妃と共に部屋を後にした。

 二人が隣室に移って、ほんの一呼吸の後のことだった。

 先ほどの部屋で悲鳴が上がって、二人は顔を見合わせる。

 慌てて部屋に戻る海妃の後を、ゆったりと平凡妃が続く。

「君は……!」

 部屋の中でおやつ箱を開いている人物を見て、海妃が息を呑む。それは先ほど壁際に控えていた侍女だった。

「リンリー! 私に忠実な君がどうして?」

 リンリーと呼ばれた侍女の目の先にあったのは、桃饅……に似ているが、それには羽が生えていた。

 宙をぱたぱたと飛ぶ桃饅は、平凡妃が口笛を吹くと彼女の方に寄って来る。

 平凡妃は空飛ぶ桃饅をこちょこちょとくすぐってあやすと、侍女に問いかけた。

「さて、侍女さん。どうして主人のおやつを盗るようなことをされたのですか?」

 桃饅を回収した平凡妃を見て、侍女はじりじりと壁際に後退した。

 けれどどこか不気味な平凡妃のほほえみと、主人の哀しげな顔に耐えかねたように、彼女は口を開く。

「だって……! 海妃様は、まるでおやつを恋人のように見るんですもの」

 リンリーという侍女は目に涙を浮かべて訴える。

「誰にだって優しくて素敵な海妃様。おやつはただの砂糖のかたまりです! わたくしどもの方がずっとずっと、海妃様を心からお慕いしているのに!」

「リンリー……」

 海妃はその悲痛な声で、侍女がどうしてそんなことをしたのか理解したようだった。

「そうだったのか。君は私を心配してくれたのだな」

 海妃は女人に優しいその気質でもって、そっとリンリーに話しかける。

「わかっている。砂糖に恋をしても無意味だということ。そうしないために、一日に一度だけと決めているのだ」

 リンリーは主人の袖をはっしと掴んで問いかける。

「ほんとうに一度だけですね? 朝餉の後、夕餉の後と広がっていきませんね?」

 海妃はリンリーの肩に手を置いて、甘くささやく。

「ああ、約束するよ。君の一途な思いは確かに受け止めた……」

 平凡妃はその美しい主従愛の一幕からそろそろと退場して、庭でひとり息をついた。

 まったく平凡妃が出る幕のない怪異というのも、この後宮には存在する。

 うららかな日差しが庭いっぱいに差し込んでいて、平凡妃は多少馬鹿馬鹿しくなった。

 羽が生えた桃饅を手に、平凡妃はつぶやく。

「……まあいいです。私はおやつを食べに後宮に来たわけではありませんし」

 すねたような口調で言ってから、平凡妃はぱっと桃饅を空に放した。

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