Shout!
こんぶ138
Shout!
「ねぇ、私と音楽やろうよ!」
私を導くのはいつだって、青みがかった髪を一つに結んだ少女。彼女は高く澄んだ、ギターのような声をしていた。
* * *
学生たちの喧騒。錆びた扉の音。階段を一歩ずつ上がる足音。
全てが、私の最期を祝福しているように思えた。
今日で、終わる。終わらせるんだ。
鍵の壊れた屋上へと続く扉を開ける。かつての彼女との思い出を一つ一つ数えながら、もはや障壁の役割を果たしていないフェンスに手をかける。
『彩乃。待たせてごめんね。今、行くから。』
彼女のいない世界なんて生きていられない。このまま下へと落ちるために、ぐっと身を乗り出したその時だった。
「ねぇ君!!蓮見千歳だよね!」
『…は?』
最悪だ。常に鍵のかかっていない屋上が仇になったようだ。
『邪魔しないで下さい。今から人が死ぬところ、見たくなかったらさっさと出てって。』
「今から死ぬの?だったら、」
―私と音楽やろうよ!
てっきり止められるものだと思った。いや、結果的には止められたのかもしれない。あまりの勢いに拍子抜けして、声の主がいるであろう後ろを振り向いた。するとそこには、少し青みがかった髪を一つに結んだ私と同い年くらいの少女がいた。制服を着ていることから、彼女はこの学校の生徒なのだろう。
『いきなりなんなの?私、冗談に付き合ってる余裕ないよ…。』
「えっと…ごめんね?なんか死にそうな人がいたからつい…。」
それなら成功だ。私だって目の前に死にそうな人がいたら声をかける。
少し睨みをきかせて立ち去ろうとすると、さらに引き留められた。
「あ~ちょっと待って、君、どうせまたここに来るでしょ。」
『だったら何。』
「せっかく死ぬなら人助けしてからにしない?」
『人助け?』
「そう!私、次の文化祭でギター弾きたいんだけど歌ってくれる人がいなくて。だから、蓮見さん!あなたに歌ってほしいの!」
冷静に考えれば、願いを叶えてやる義理はないし、おかしな奴だと軽蔑の視線を向けるはずだ。だが、この時ばかりは私も冷静ではなかった。だから、こんなすっとんきょうな頼みに、首を縦に振ってしまったのだ。
『…いいよ。人助け、してから死ぬことにする。』
「…!ほんと?!やったぁ!!」
ぴょんぴょんと嬉しそうに跳ねる彼女は、どこか彩乃の面影を感じさせた。
「私、霞!よろしくね、千歳ちゃん!」
『千歳でいいよ。よろしく、霞。』
ここから、私達の音楽が始まった。
* * *
「えーっ!千歳、ギター弾けないの?!」
『逆になんで弾けると思ったの。』
「いや、何かクラスの人から千歳が作詞してたって聞いて…」
『…あぁ、そういうこと。』
屋上から私のクラスに戻り、ざわざわとした部屋で、霞と話していた。彼女はどうやらギターが得意らしい。だがそれに反して、歌は自信がないようだった。だからこそ、私に歌って欲しいというたのみにも納得がいった。
私が作詞をしていたという情報は間違っていない。
彩乃の作った曲に私が歌詞をつけて、できた曲を彩乃に弾き語ってもらうということが日常だった。
『私、作詞だけしかできない。作曲はやってないの。ましてやギターなんて…やったことない。』
「作詞できるなんてすごいよ!ステージでやる曲、カバーとかでもいいと思ってたけど、自作もいいかもね~」
そう言う霞を見て、ふと、彼女の奏でるギターが聴きたくなった。彼女に彩乃を重ねてしまうことは、仕方のないことだと許して欲しい。
『霞、ギター弾いてみてよ。』
「えっ!いいけど…何か照れるなぁ。」
霞は照れくさそうに笑って、そしてどこか弾きたくて仕方なかったかのように、意気揚々とオレンジ色のギターを取り出した。
『じゃあ今やってるドラマの主題歌の…』
と言って、チューニングとして何音か弾いた後、今流行りのアーティストの曲を一曲弾いてくれた。
歌はなかったが、それを差し引いても、プロ並みの演奏だと思った。
しばらく聞き入っていると、思うところがあった。霞のギターの弦を押さえる指使い、演奏するときの目線、さらには高い音を出すときの首の傾き方や、演奏が終わったあとにする小指を立てる癖まで。
全てが彩乃のそっくりなのだ。面影が浮かぶどころではない。本人ではないかと思ってしまうのは、私の願望が多く関わっていると思う。何にせよ、私は霞に彩乃の面影を強く感じたのだ。
『…すごいね。ほんとに上手。』
「えへへ、千歳もやろうよ。私、教えるし。」
『そうだなぁ…』
まるで彩乃からの言葉かのように感じて、少し嬉しかった。彼女と生前、一緒にギターを弾くことはできなかった。いや、やらなかった。…この後悔も、ここで取り返してみてもいいのかもしれない。どうせ一度は消えることをやめた命だ。これからは彩乃とできなかったことをやってみようと思った。
『うん。私やってみるよ。…ギター、教えて。』
「やった~!任せて!一緒にギターやろう!」
もし彩乃に一緒にギターをやると言っていたら、こんな反応をしたのだろうか、なんて考えながら、私は1年ぶりに、彩乃の形見である真っ白なアコースティックギターを手に取ることになった。
文化祭まであと2ヶ月。
霞は私にギターを教えてくれた。喋り方から仕草まで、本当に彩乃そっくりだと改めて思った。だが、彩乃のことは関係なく、私は霞にかなりの情がわくほどになっていた。明るくて、まっすぐな彼女との時間は、私にとって、とても大切で心地よい時間となっていった。
1日、また1日と練習の日々は過ぎていき、私と霞が出会ってからちょうど3週間ほどたった。
その日は先生達の会議のため、午後から放課となった日だった。
「ちょっと練習してから帰らない?」
『そうだね、私も気になるところあったし。』
音楽室でいつものように霞からギターを教わっていた。日が傾き始めた頃、私達はやっと下校を始めた。近くのバス停まで、私達は文化祭の話を中心に、他愛もない話をしながらゆっくりと歩いていた。
その道の途中には、小さな横断歩道があった。
いつものように歩いていた。
そう、いつものように。
『霞も歌やればいいのに。』
「私のは練習してもうまくなんないの!」
『そんなことあるの?』
「あるよ多分。とにかく、後はステージで歌う曲決めないと…」
青になった横断歩道へ一歩踏み出したその時、霞に向かって一台の軽自動車が突っ込んできて、霞の足元の小石を掠めていった。
「わっ!…あっ…ぶないな、なんなのもぉ~」
『…ッ…』
「…千歳?どうしたの?」
刹那、私の脳内に、あの時の記憶が流れてきた。
あの、彩乃がいなくなった日。外の景色さえ溶かしてしまうほどの、暑い夏の日だった。
* * *
「千歳~おはよ!」
『おはよ~彩乃。』
私と遠坂彩乃は親友だった。
彼女は勉強や運動はずば抜けてできる、というような子ではなかったが、底抜けの明るさと笑顔で、周りには常に大勢の人がいた。
そんな中でも、彩乃は特にギターが得意だった。
「ねぇ千歳、今日こそ私と音楽やろうよ~」
『やだよ。私は彩乃のギター聴くだけでいいの。それに私、作詞してるからいいでしょ。』
「そうだけど!それと!これとは!違うの!私はね、千歳にもギターやってほしいの!」
『はいはい。ほら、新曲できたんでしょ?聴かせて聴かせて。』
「はっ!そうだった…ふふん、今回のも自信あるんだ~絶対いい曲だよ!」
『楽しみだな~腕がなるね。』
「最高の歌詞つけてよね!永遠の相棒!」
『もう、それやめてよ~』
彩乃は毎日のように、私にギターをやらないかと言っていた。以前から、私は作曲もやる彩乃に頼まれて、作詞を担っていたので、特にギターをやる理由はなかった。それに、彩乃のギターと歌声を聴けば、自分がギターをやろうなんていう選択肢はきれいに消え去っていた。彼女がアーティストになるために、いくつもの努力を重ねてきていることも、私は知っていた。
私達は、夏休みに入っても学校の音楽室に入り浸り、二人で曲を作っては歌っていた。私は彼女の作る曲が大好きだった。
あの日も同じように学校で待ち合わせをして、彩乃が作ってきた新しい曲を聴かせてくれるはずだった。
『…彩乃遅いなぁ。』
あの日は一日中晴れていた。
いつもなら昼過ぎには、階段を駆け上がる音が聞こえた後、大きな鞄を担いでやってくるはずなのに。その日は青色の空が赤色に変わっても、彩乃は来なかった。連絡もつかないので、さすがに心配になって、学校を出ようとした時だった。
「あっ蓮見さん!よかった、まだ残ってたのね。」
『先生。どうかしたんですか?』
「あの、落ち着いて聞いて欲しいんだけど…」
「遠坂さんが事故に遭ったって連絡があったの。」
先生は「急いで病院に行ってあげて」と続けた。
頭が真っ白になるとはこのことなのだろう。気温は高いはずなのに、体が急激に冷えるような感覚に襲われた。そこから先生に何を言ったのか、怒ったのか、泣いたのか、覚えていない。唯一、彩乃のいるであろう病院の場所を教えてもらったことは覚えている。そこまでひたすら自転車を飛ばした。
『…』
病室に着いた時、彩乃は息をしていなかった。
心電図の無機質な音も聞こえなかった。ただ、アルコールを含んだ空気がそこに充満していた。
ブレーキが効かなくなった軽自動車にはねられた衝撃で、ガードレールに頭を強く打って、即死だったらしい。
病室にいた誰もが涙を流していた。私を除いて。
私は泣けなかった。呆然とそこに立ち尽くすだけで何もできない。彩乃の葬儀が終わっても、泣けなかった。彩乃がいなくなって一年がたった今でも、泣けなかった。
「千歳ちゃん。これ、彩乃のギターと楽譜。一番の親友のあなたに持っていて欲しいの。」
彩乃のお母さんからもらった、彩乃の真っ白なアコースティックギター。彩乃という太陽を失くした私には、これだけが支えだった。
私は、彩乃がいないとギターなんて弾けないのに。
そう思っていた。
* * *
「…千歳、千歳!しっかりして!」
『…霞。』
「そう、私。分かる?」
霞と彩乃が重なって、また私は友人を、いつの間にか彩乃と同じくらい大切な存在になっていた霞を、失ってしまうのかと、どうしようもない恐怖でいっぱいだった。
『…霞、霞、死なないで、私のこと、置いてかないで!お願い!』
「千歳…」
『もうやだよ、みんないなくなっちゃう。私、一人になっちゃうよ…。』
「千歳!!」
霞は私の頬を両手で挟んで、目を合わせた。
「私は死なない。君とステージで歌うまでは死ねないよ。だから安心して。」
「絶対、置いてなんていかない。」
霞はまっすぐに私を見つめていた。そしてまっすぐな言葉を届けてくれた。彩乃がいなくなってから、ずっと埋まらなかった不安を両手で包んでくれたように感じた。その素直な温かさに、少し目が熱くなった。
『…うん。ありがとう霞。落ち着いた。』
「よかった。大丈夫だからね。一緒にギターやるって約束したでしょ?」
『そうだね。大丈夫。一緒にギターやろう!』
文化祭まであと1ヶ月。
今まではどこか落ち着かない気持ちがあったのだが、霞の言葉で私もまっすぐになれそうだ。
私は思い立って霞に提案というか、お願いをした。
『…あの、霞。文化祭でやる曲なんだけどさ、』
と言って、ギターの入った大きな鞄から楽譜を取り出した。彩乃のお母さんから譲り受けてから、一度も開いていないポケットのチャックを開いた。
『これ、私の親友が作った曲なの。文化祭で、この曲が歌いたい。これに歌詞、書きたい。』
霞は楽譜を見て、一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに優しい笑顔を浮かべて、すんなりと了承してくれた。
「最高の歌詞つけてよね!!」
『…ッうん!』
その夜、私は自分の思いの丈を綴った。彩乃が書いてくれた曲で、彩乃への思いを歌おうと思った。
ああすればよかった、こうすればよかった、後悔を並べるとキリがない。そんな思いも歌に乗せた。
早速、できた曲を霞に歌って聴かせた。
霞は私の歌を誉めた後、歌詞にも感動してくれた。
「すごい!!この短い間でこんないい曲作れるなんて~さすが千歳!私の目に狂いはなかった!」
喜んでもらえてよかった。私の個人的な思いの歌だったが、彩乃の曲にまた詞をつけることができて嬉しかった。
『これで後は練習だけだね。』
「うん!ステージ頑張ろう!」
練習の他にも、生徒会にステージ出演の申請をしたり、宣伝のポスターを描いたりと、やらなければいけないことは多かった。文化祭までの1ヶ月は、想像以上に慌ただしく過ぎていった。
* * *
文化祭の開催期間は2日間。私達のステージは、申請が少し遅かったこともあり、最終日、エンディング前のラストステージでの演奏となった。
『霞!大トリってどういうこと?!』
「生徒会に申請行ったの私が最後だったみたいで…必然的に…ごめん!」
顔の前でぱちんと手を合わせて、とても申し訳なさそうな顔をする霞を軽く小突いた。
『…まぁでも、大トリ飾れるくらいの曲だし、なんとかなるか。』
「そうだよ!千歳の曲、最っ高だし!私達の音楽、みんなに聴かせてあげよ!」
それから私達は出番になるまで、各々のクラスの店番をしたり、屋台を巡ったりして過ごした。最終日のお昼ごろには、霞と最後の音合わせをして、ステージに備えた。
練習の合間に二人で昼食をとっていたとき、霞はぽつりと呟いた。
「…千歳、ありがとね。」
『何、どうしたの。』
「私のお願い聞いてここまできてくれたから。
…もう、死にたくない?」
はっとした。霞は私を無理やり連れてきたとでも思っているのだろうか。確かに、彼女と出会ったとき、私は正気ではなかった。彩乃がいない世界に価値を見出だせず、彩乃の元へと行こうとしたのだ。
霞のお陰で私は随分と変わった。霞がステージに誘ってくれなければ、私は今頃この世にはいなかっただろう。今となってはもう死ぬ気も起きない。
ただ、ひたすらに、彼女と共に歌いたかった。
『…うん。死にたくない。霞と歌いたい。ギターも弾きたい。ありがとうって言うのはこっちの方だよ。ここに連れてきてくれて、ありがとう霞。』
「…ッ」
『もぉ~ほら泣かないの!すぐ本番だよ!』
「うん、お客さんの前では堂々としてないと。」
「…これが終わっても、また私とギターやってくれる?」
『…当たり前でしょ。』
私の中でも霞は彩乃と同じくらい大切な存在になっていたということを改めて感じた。
迷いはない。後は、本番を待つだけだ。
「蓮見さん達、そろそろ出番です!ステージ裏にいてください。」
体育館近くで霞と話していると、あっという間に時間がたっていた。時計を見ると、午後4時。生徒会メンバーが声をかけてくれた。
静かな高揚を胸に抱えて、ステージ裏へと向かった。ステージでは、私達の一つ前のグループがダンスを披露していた。やっと、始まる。
「千歳、緊張してる?」
『まさか。楽しみでしょうがないよ。』
不思議と緊張はしていなかった。
緊張や恐怖を掻き消すほどの昂りがあったのだ。
彩乃。見ててね。あなたとできなかった音楽、やって見せるから。
「…ありがとうございました!素晴らしいステージ発表でしたね!」
会場から拍手が沸き起こる。前のグループの発表が終わったようで、生徒会のアナウンスが入った。
「それではこれがラストステージになります!
次のステージ、よろしくお願いします!」
再び会場から拍手が聞こえた。これが私達だけに向けられていると思うと、高揚とも不安ともとれないような複雑な感情が沸き上がった。だが、それ以上に、ここで歌えるという事実がとても嬉しかった。
『行くよ、霞。』
「うん!」
学生達の喧騒、ステージの幕が上がる音、階段を一歩ずつ上がる足音。
全てが私の、私達の味方をしているように思えた。
会場は静寂に包まれていた。私がバンドなんてやるような人間だと思っている人はゼロに等しいので、皆驚きを隠せないようだった。
以前の私ならば、こんな大勢の前で歌うなんてことは少なからず、恐怖の対象だっただろう。
ずっと下ろしていた髪を頭の上の方で束ねて、はっきりと見えるようになった世界を見渡す。
あの時の私は、もう、いない。
私の左隣に立つ霞と目を合わせる。言葉はいらない。ギターを一度鳴らせば、圧倒的な音色が会場を満たした。後は私の気持ちをぶつけるだけだ。
歌う。ただひたすらに歌う。考えていたのは彩乃のことだけだった。一人で死なせてごめん。二人でギターできなくてごめん。こんなことになるなら、もっと、一緒にいればよかった。いや、こんなことを考えたい訳じゃないし、言いたい訳でもない。私は素直じゃないから言えなかった。だから、代わりにここで、あなたへの気持ちを叫ぶ。
『-大好き。-』
届いたかな。
最後の一音を弾いた時、横目に映った霞がまた小指を立てていた。この2ヶ月、いや、彩乃といたときからずっと見ていた独特の癖。それも相まって、霞に今までで一番濃い、彩乃の面影を見た。心臓が跳ねたが、まばたきの間で、いつも通りの霞に戻っていた。霞と目を合わせると、彼女は汗だくの顔でスポットライトにも負けない程の笑顔を見せてくれた。
一瞬の静寂。刹那、会場から発せられたひとつの拍手から、ひとつ、またひとつと拍手が大きくなっていき、いつの間にか会場全体を拍手が包み込んでいた。
『…!』
「…は…やった!!大成功だね!」
終わった。終わったのだ。なんとも言えない高揚感だった。そして、隣で笑う霞を見て分かった。私の居場所はここだ。
「すごかったよ千歳ちゃん!!」
「私、千歳ちゃんがギターやるなんて知らなかった!!」
「俺感動した~歌もうまいんだな。なんかこう…魂に響く感じだったよ!」
『…あっありがとう…。』
ステージを降りて控え室から体育館に戻ると、クラスメイトが集まってきて、各々の私を称賛する言葉をかけてくれた。最初こそ戸惑ったが、だんだんとこの称賛を素直に受け取れるようになっていった。
喧騒の中で、ふと、霞の姿を探した。私への称賛があるなら、同じだけ、いやそれ以上の称賛が彼女にはあるはずだ。どこに行ったのだろう。
『ねぇ、霞は?』
「霞?そういえばいないね。どこ行ったんだろう…霞ちゃんのギターもすごかったのに…」
『…ッありがとう!!私探してくる!!』
嫌な予感がした。体が急激に冷えるような感覚。
まるで、彩乃がいなくなった、あの日のように。
私は必死で走った。もつれる足は、何故だか霞と初めて出会った屋上に向かっていた。
階段を一段飛ばしで上がって、錆び付いた扉を勢いよく開けた。
『霞!!!』
そこに霞はいなかった。
代わりに、前に私が飛び降りようとしていた場所に、一枚のメモが置かれていた。
|
千歳へ
まずは私のお願いを聞いてくれてありがとう。
千歳とのステージは本当に楽しかった。あの時間は絶対に忘れないよ。千歳のギターが聴けて、嬉しかった。
それに、私がいなくても大丈夫なくらいに自信がついたんじゃない?これからも元気に過ごしてね。
あと、ごめんも言わないと。
先にいなくなっちゃってごめん。寂しい思いさせてごめん。一緒にいられなくてごめん。一生許さなくてもいいから、私のこと、忘れないで。
大好きだよ!
永遠の相棒より
|
『…ッ』
私はその場にへたりこんだ。
涙で滲んで、手紙が見えない。ひとつ、またひとつと紙に涙の粒が落ちて沈んでいく。
霞がもう二度と私の目の前に現れてくれないということが、直感で分かってしまった。そして、これは霞が書いたものではない、いや、霞という名前で私の前に現れた、彩乃が書いたものだということも。
"永遠の相棒"は彩乃が生前私によく言っていた言葉で、私達の中の合言葉のようなものになっていたのだ。根拠はたったこれだけ。他にあるとしたら、演奏の後に小指を立てる癖くらい。後は相棒の勘というやつだ。
彩乃は私に会いに来てくれた。どんな形であれ、また会えたということが嬉しかった。
『…彩乃…大好き。私も大好きだよ…!』
忘れられるわけがないじゃないか。あの青みがかった髪、高く澄んだギターのような声、私を導く手。全てが私の太陽で、最初で最後の相棒だ。
後悔とか、寂しさとか、いろんな感情が入り雑じった慟哭が、赤く染まった空を貫く。
これからは、彩乃に心配されないように生きよう。彩乃のお陰で手に入れることができた居場所を守り続けよう。
いつか、君に届くまで、私達の音楽は終わらない。
* * *
「KASUMIさん、初の単独ドームライブ決定、おめでとうございます!」
『ありがとうございます。』
とある日の朝のニュースで、一人のシンガーソングライターのインタビュー映像が流れた。
「若者を中心に、人気急上昇のKASUMIさんですが、この音楽を始めたきっかけは何かあるんですか?」
『はい。転機は高校生の時でしたね。私を音楽の道に連れ込んだのは、ギターが得意な二人の親友でした。』
彼女は時折笑顔を浮かべながら、インタビューに答えていた。一つにまとめた長い髪を揺らしながら。
「KASUMIのドームライブ楽しみだね~」
「今日、新曲もやるらしいよ!!」
「今回の新曲、あの伝説の文化祭で歌った曲のリメイク版らしいぞ!」
観客達の喧騒、微かな息づかい、街の人々の足音。全てが彼女の味方をしていた。
彼女はステージへ向けて、勢いよく一歩を踏み出す。彼女の登場で、観客から大いに歓声が沸き上がった。過去にヒットさせた曲から知る人ぞ知るナンバーまで、4、5曲をノンストップで演奏した後、彼女は観客に向かって叫んだ。
『みんな、今日は来てくれてありがとう!こんなに集まってくれて、嬉しいです!』
『えっと、今日なんだけど、知ってる人もいるかな。新曲を作ったので、歌います!』
いつまでもうまくなる気配のないMCだが、それも伝統と化しているファンにとってはいつものことだった。新曲の情報に沸き立つ観客を、少し収めながら、彼女はまた言葉を紡いだ。
『今回の曲は、なんでか世間に出回ってる、私が高校生の時の文化祭で歌った曲を元にして作ってます。』
『私の亡くなった親友…いや、相棒かな。…に捧げる曲です。みんなにも、私の気持ちが届いたらいいな。』
ステージ上の彼女は、どこか寂しそうな、でもどこか決意を固めたような表情をしていた。
そして、彼女の歌が、これからも轟き続けることを確信させるような、堂々とした佇まいで、真っ白なギターを構えた。
そんな彼女もまた、青みがかった髪を一つにまとめた女性だった。彼女は、数年前にどこかで響いた、高く澄んだ、ギターのような声をしていた。
『それでは、聴いてください。―"Shout"』
END
Shout! こんぶ138 @138_k
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