第91話89 騎士と最後の魔女 5

 冬の終わりにふさわしい澄み渡った空だった。

 王都はすでに背後に小さい。美しい尖塔が二人を見送っていた。

「どこに行くのですか?」

 馬の背に揺られてザザは背後のギディオンに尋ねた。

「まずはザザの森の家だな」

「えっ?」

「お母上の墓を作りたい」


 王都郊外の森。

 ザザがフェリアやギディオンと出会った、元の住処すみかだ。

 あの時はフェリアに気を使いながら旅立ったが、ギディオンの黒馬ハーレイは早い早い。

 朝早く王都を発って、薄暮前には森の入り口に差し掛かる。

「この泉だったな。俺たちが初めて出会ったのは」

 ギディオンは途中の泉で足を止め、馬を下りた。

 泉は変わらずに青かった。空と常緑樹を鏡のように映し出している。湧き水なので冬でも凍ることがないのだ。

「……こんなに美しいところだったのか。あの時は必死で気がつかなかった」 

 ギディオンは秘めやかに輝く湖面を見て呟いた。

「私も溺れたフェリアさまを助けようと必死で、自分まで溺れそうになっていました」

「あの頃からザザは自分より他人を大切にしていたのだ。それなのに俺はひどい態度をとってしまった」

「ギディオンさまが助けてくれなければ、私はあのまま溺れていましたから」

「ついでのように助けてしまっていたな。すまない」

「いいえ。あの時、ギディオンさまの横顔を見て、私は自分の運命を悟ったんです……だから、今がある」

「ザザ」

 ギディオンは当時とあまり変わらない姿の魔女をそっと抱きしめた。

 姿は同じでも、あの折のおどおどした痩せっぽちの娘はもういない。代わりに、優しい心のあり様と行いで、彼を魅了してやまない大人の女がいる。

「……好きだ」

「はい」

「ここから俺たちは始まったんだ」

「はい」

「二人でいよう。これからもずっと」

「はい!」

 澄み渡る冷気の中で、ここだけが温かい。

 二人はしばらく寄り添っていたが、上空のモスの鳴き声で我にかえった。

「いかん、モスの奴に叱られた。陽が暮れてしまう。行こう」

「行きましょう!」

 ザザは青い泉を背に立つギディオンに見惚れながら頷いた。


 さらに奥に進み、倒木を回ると大きな樫の木が見えてきた。落葉樹なので葉を落としているが、森はまだ明るい。梢枝には春を待つ芽が大きく膨らみかけている。

「あれ? かなり奥まできたが、ザザの古屋がないぞ。この木の下だと思ったのだが」

 ギディオンはぴりりとした空気を味わいながら、あたりを見渡した。

 「少しお待ちを……道を開けよ」

 ザザは古屋に貼った結界を解いた。一瞬で古ぼけた古屋が現れる。

「すごいな。隠していたのか」

「はい。中には薬草などが残っておりますので、知らぬ人が入ってきたら危ないと思いました」

 幸い誰にも気づかれなかったらしい。ザザが、がたぴしと扉を開けると、懐かしい匂いが漂ってきた。部屋の中も慌ただしく出て行った時のままだ。

「懐かしいな。もうずいぶん前のことのように思える」

「本当に」

「急ごう。陽のあるうちにお母上にご挨拶をせねば」

 ザザの母は、ドルカに連れられてこの古屋に来てすぐに亡くなった。そしてドルカによって灰にされ、樫の木の根本に埋められたのだ。

 そしてドルカもまた、ザザの手によって同じ場所に埋められている。

 魔女はそうして樹や動物となって再生する。魔女の死とはそう言うものなのだ。

「これでいいか?」

 樫の根本にギディオンは細長い石を立てた。森から探し出してきたものだ。そこにザザがやはり森で摘んできた花を供える。

 冬場で、色鮮やかな花は見つからなかったので、ザザが知っている目立たない薬草の小さな花だ。魔女にはこれでいいのだ。

「何も刻まなくていいのか?」

「いいのです。魔女には本来墓はありません。これで十分です。石はいつか苔むして森の一部となるでしょう。この樹とも同化します。それが魔女の考える再生です。それでいいのです」

「スーリカにはそうはしなかった。理由を聞いても?」

「はい、スーリカを灰にしなかったのは、彼女に再生して欲しくなかったから。わたしのこだわりです。でも本当は再生なんてないのです。死はただの死です。無に帰す。それだけです」

「いやザザ。それはやっぱり再生なんだよ。俺はそう思う。良い考え方だ」

 そして二人は、首を垂れて魂の安らかならんことを祈った。

「ザザのお母上、ユージェ殿。俺はギディオンと言う。あなたの娘御に助けられ、心を通わすに至った。この先、一生守り通すと誓う。どうか安心して眠られよ」

「……」


 お母さん。お母さんのおかげでわたしは、魔女としてたくさんのことを知るようになった。あるじさまのお役に立つこともできた。

 何より、自分に自信を持てた。

 そして、この溢れる感情の名前がわかったの。

 お母さん、わたしを愛してくれてありがとう。

 わたしも、これからも愛し続ける。

 ギディオンさまを、そしてわたしにつながる全てのものを。


「さて次は、ザザの父上で俺の大伯父、グレンディル殿の墓参りかな?」

「お墓参りばかりですね」

 二人は目を見交わして笑った。

「彼らを覚えているのは俺たちだけだから。だが、俺にはもう一つ目的があるんだ」

「それは?」

「母を探す」

「ギディオンさまのお母上? 踊り子だったと言う?」

「そう。なんだか俺には、あの人はどこかでまだ踊っているような気がするんだよ。陽気な人だったからな。だから、旅の合間に訪ねてみようと思う。そんな当てどもない旅は嫌か?」

「行きたいです! 連れて行って!」

「わかったわかった! だが、まずは今夜の宿だな。ザザさえ良ければ、今夜この古屋に泊まらせてもらおうと思うんだが」

「もちろんです。早速掃除をいたしましょう!」


「静かだな」

 持ってきた食料と、残っていた茶葉で簡単な夕食をとり終えたギディオンは、床に寝そべったまま寛いでいる。小さな暖炉には暖かい炎が踊っていた。

「ずっと、戦やその後のごたごたで忙しくしていたから、この静けさは貴重だ」

「何もない森の中ですが」

「何もなくはない。ザザがいる」

「ギディオン様は上の私の寝台をお使いください。小さくて窮屈かもしれませんが、暖炉の熱気が上るので暖かいですよ」

 ザザは久しぶりに使う布団を暖炉で乾かしていた。

「……ザザはどこで寝るつもりだ?」

「私はこの敷物の上で寝ます」

「……それは冗談で言ってるんだよな?」

「え? いえ、大丈夫です。寒くはありません。へいきです」

「違うだろ!」

 ギディオンはまだ忙しく立ち働こうとしているザザを引っ張り、膝の上に乗せた。

「えっ? あの」

「結婚式など挙げてはおらんが……さて、どうしたものかな?」

「けっこんしき?」

「そうだ。結婚したことを証明すると同時に、皆に広めて祝ってもらう式典だな」

「証明というのは、都を出る前日に署名をしたあの、書類のことですね?」

「ああ、役所に提出したやつ。あれで俺たちは正式な夫婦となった」

 ギディオンは、同時に伯爵家から俺の籍を抜く証明も提出したのだった。それには王と父の名が記されている。

「はい。ですが、式典などは不要かと」

「だからな。問題はそこじゃない」

「どこでしょうか?」

「俺たちは夫婦となった。だから、あることをしてもいいんだ」

「あること?」

「ああ。愛し合うこと」

「あー……あいして……おります、けど……」

「それは心で。だが、体中で愛し合うこともできる」

「からだじゅう……ですか?」

 ザザは一生懸命にうなずいた。

「く、口づけとか」

「それもある。でも、それじゃあ唇だけだろ?」

「抱っこも」

「服着たままだろう?」

「ふ! 服脱ぐんですか?」

「脱がなけりゃできないこともある。まぁ、着たままでもできるが、それは今は置いといて」

「……」

 ザザは自分の魔女の服を引っ張ってみた。


 これを脱ぐ?


「でも、脱げば裸になってしまいます」

「だから裸になってするんだよ! くそ、俺はこれでも辛抱強い方なんだけどな!」

 やけくそ気味にギディオンは呻いて、ザザの唇を塞いだ。

「おしゃべりはこれでおしまいだ。今夜、ザザの全てをもらう」

「今だって、ぜんぶ、ギディオンさまの、もの、です」

 ザザは口づけの合間になんとか言葉を繋いだ。

「まだ、もらってないところがあるんだ。欲しい……俺にくれる?」

「も、もちろんです」

 主の目に映る切なく焦れたような感情を、全ては理解できないままにザザは頷いた。

 自分が持っているものならば、全てギディオンに捧げる、助ける。そしてギディオンからも頼ってもらう。

 それがザザの存在理由なのだ。

「どうぞもらってください」

「よし!」

 ザザの寝間は危なっかしい梯子はしごの上にある。

「上に行こう」

「……」

「全く……俺をこんな気分にさせるのは、ザザだけだ。ああ、待ちきれない!」

 ギディオンは、実はまだよくわかっていないザザを抱いたまま立ち上がった。



   *****



この章終わり。

いよいよあと一話で完結です。

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