第37話36 魔女、扉を開ける 4

 ザーリアザ?

 それは、私の名前?


 戸惑いはあるものの違和感はない。それは紛れもなく、自分の本当の名前だった。

 魔女が他の魔女に支配されないように、真名まなを隠すと言うのは、知識としては知っていたが、ザザは自分の真名を知らなかった。おそらくドルカも知らなかったのだろう。

 母、ユージェはそれほどまでにして自分の娘の真名を隠したかったのだ。この日記と貴石に封印して、一定の条件でしか現れないようにした。


 石に月の光を吸わせて本の表紙にかざすこと。

 そしておそらく、ザザの魔力が一定以上の成長を果たすこと。


 震える指でページをめくる。

 次項の左には、ザザの魔女の印が大きく描かれていた。そして、その下に『結びの印』と大きく記されている。母の文字だろう。

 右の頁には『つなぎの印は、結びの印。それは風、火、水、土、木を結びつなぐもの。万能にしてまれなる印』という説明書きがなされている。

 更に次項。


『私、ユージェは、師匠を亡くしてから、長く北部辺境を旅していました。

 この国、パージェス古王国では、黒の十年の後、魔女は迫害され続けました。仲間のほとんどは殺され、残った仲間も散り散りになり、王都に近づくことができないのです。

 私の印は風であり、直接人々の役に立つことが難しく、旅の薬師として生きていく他はありませんでした』


 これは紛れもなく、母の手記だった。


『その年は雪はほとんど降らなかったけれど、酷い冷え込みが続いて私は旅に疲れ果てていました。

 北の辺境の小さな集落で一夜の宿を断られ、村人が教えてくれた村の北東にある洞窟にたどり着きました。

 そこはかつて領主がその地で処刑され、以来、幽霊が出るという噂の誰も近寄らぬ洞窟でした。私は寒さがしのげるなら、どこでもよかった。魔女は幽霊など怖くはないから』


 次項。


『その洞窟は深く、外の風は入り込んでこなかった。私は温かい風で自分を包み、なんとか一夜をそこで過ごしました。朝になって周りが明るくなると、奥に細く下る道を見つけました。その時どういう訳か、私は迷わずその細い道を下りたのです。道はどこまでも続いていました。

 外の風の音が聞こえなくなるほどに。そして、たどり着いたその空間は氷で覆われていて、しかも魔力の痕跡があったのです。

 調べてみると、氷に覆われた地面の下に、何か大きなものが埋められている。明らかに何か強い魔法が働いていて封印もされていました。しかし、その魔法の効力はほとんど切れかかっていたのです。

 これは私の特異な力なのですが、風の魔法で封印を吹き飛ばし、更に風で氷を少しずつ溶かしていきました』


 更に次項。


『現れたのは大きなまゆ。よほど力のある魔女が編んだものだとわかりました。そして微かに邪悪な気配がしました。つまり、昔、悪い魔女が誰かをこの中に封じ込めたのです。

 助けてあげなければと、私は思いました。幸い、術をかけた魔女は死んだか、閉じ込められたかしているようで、魔法の効力は薄れていました。これなら風の力を借りて繭に穴を開けられると思いました。

 そして私は全力を尽くしてそれをやり遂げたのです。やり遂げなければならないという思いに駆られてのことです』


『二日間死力を尽くし、私は繭を破りました。すると驚くべきことに、そこには一人の男が眠っていました。彼は非常に立派な様子でしたが、大きな剣を握り締めていた他は何も身に着けてはいなかった。

 むくろではありません。魔法の繭によって、時を止められたまま眠らされていたのです。

 男は背が高く、容貌は非常に優れていて、王都の身分の高い貴族の家の者であろうと容易に想像がつきました』


『そして、私はわかってしまったのです。彼が私の主であると。彼は、魔女である私が命を懸けて仕える人だったのです。それからさらにまる一日経って男は目覚めました。彼はほとんどの記憶を失っていました。しかし、名前だけははっきりと覚えていたのです。

 彼はグレンディル・セルヴァンティースと名乗りました』


『ザーリアザ、あなたの父上です』


「え?」

 ザザは日記を取り落としそうになった。

 セルヴァンティース。それはギディオンの姓である。


 どういうこと? わたしのお父さんは、ギディオンさまゆかりの方ということ?


 ザザは急いで次の頁をろうとしたが、どう言う訳か、それ以上開くことはできなかった。

 どうやら、今のザザの魔力ちからでは、ここまでのようだった。


 お母さんは私に何を伝えようとしていたんだろう? 結びの印の意味を知っていて、私に何かをさせようとしていたのだろうか?


 ザザはもう一度額に力を込めて、頁をめくろうとした。しかし、どうしてもそれ以上は開くことはなかった。ザザの母のかけた術はかなり複雑なものであるようだ。


 つまり、これ以上知りたければ、自分の力を高めるしかないということだ。母はそれを望んでいる。今の私ではこれ以上知ってもどうしようもないのだろう。


 ザザの父だという、グレンディル・セルヴァンティースが何者なのか、ギディオンに聞けばわかるのかもしれない。しかし、ザザは今、それをしてはならないような気がした。

 ギディオンに縁のある名にしろ、そうでないにせよ、安易な道を選ぶものに術は解けたりしないだろう。

 魔力とは論理的なようで、それを掛けた者の性格が端的に表れるものである。


「ああ、夜が明ける……」

 いつの間にか窓の外には白々とした光が差し込んでいた。

 このまま、日記を抱えてじっとしていたいが、今は体力の回復が最優先である。

 ザザは冷え切った体をもう一度寝台に押し込め、目を閉じた。


 ザーリアザ。 

 そして、グレンディル・セルヴァンティース。

 今夜初めて知った二つの名が頭の中を巡る。

 一つだけザザに理解できたのは、今しばらくこの名を誰にも言ってはならないと言うことだった。

 ギディオンにさえも──。




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