第22話21 魔女と学校 1

「お前は先生になるんだ」

 そのギディオンの一言で、ザザは週に二日、軍付属の学校の初等部に通うことになった。

 ザザがもらった二つ目の命令である(ギディオンは命令とは思っていないが)。


 師匠のドルカにも役立たずの魔女だと言われていたのに、わたしに先生なんて勤まるのかしら?


 しかし、これが主の命なのである。ならば、やるのだ。それも上手に。

 ザザはもらった地図を握りしめた。

 ザザの目的地は国軍付属の学院、その初等科である。

 ギディオンの要領を得た地図のおかげで難なく校門の前に立つことができたザザだが、学校など見るのも入るのも初めてだった。

『国軍付属の学校と行っても、少年たちは必ずしも軍人になる訳ではない。要するにただの公立学校だ。適性に応じて、文官になったり、医官になることもできる。初等科など単なる子どもの集まりだから、あまり構えずに気楽にやってくればいい。指導教官のワレン殿には俺がよく頼んでおく』

 そう言って渡された紹介状を握りしめ、ザザは門をくぐった。

 昼休みらしく、前庭にはたくさんの子どもたちが思い思いにたわむれている。その中を目立たぬようにザザは歩いた。


「ああ、聞いていますよ。ザザ・フォーレット嬢ですね。私が初等科の薬学科教員、ワレンです」

「よ、よろしくおねがいします」

 ギディオンよりかなり年長で温厚そうなワレンに、やや安心しながらザザは頭を下げた。

「ギディオン様の紹介によると薬草や薬石にずいぶんお詳しいとか?」

「いえ、そんなには……あのえっと……簡単な怪我や病気に効くものくらいで…」

 ザザはワレンの見ている紹介状になんと書いてあるのか気にしながら言った。

「じゃあ、これはなんだかわかりますか?」

 ワレンが示した水盤には、緑の葉に赤い実がついた枝がされていた

「コーネリアの実です。眠れないときに、乾燥させて粉にしたものを少量用います」

「おお、優秀ですな。コーネリアの実は似たものがたくさんあるので、よく間違えられるのですよ」

 ワレンは満足そうに言った。

「あの……それで、ワレン様、わたしは何をすればよいのでしょうか?」

「そうですね、まずは午後の授業の見学でも。もうすぐ午後の授業がはじまるのです。十歳から十二歳くらいの生徒が約二十人。薬学は難しいのか、苦手とする子供が多いのです。だから最初はあまり難しいことを教えないようにしています。主に観察と、具体例を伝えて興味を引き出します」

「……わかりました」

「今日は温室での授業になりますのでついてきてください」

「は、はい!」

 校内の長い廊下を、ザザはワレンの後にくっついて歩いた。

 温室と聞いてザザの興味がにわかに湧いた。そう言う施設があることは知っていたが、見るのは初めてだったのだ。

 横は広い草地になっていて、お昼休みなのか、たくさんの少年が声を上げている。

 みんな同じ制服を着ているので見分けがつかない。大きな声を出しながら転がる球を追いかけている者や、色刷りの絵本のようなものを回し読んでいる者もいる。

 歩いている途中で鐘が鳴り、少年たちは潮が引くようにどこかに消えていった。鐘が合図になっているのだと、ザザは理解した。王宮よりも狭いし簡素な構造なのに、ザザにはずいぶん広く感じる。空気は熱く乾いていた。

 いくつかの校舎を抜けた裏庭に硝子の屋根のついた煉瓦造りの建物があり、そこが温室だ。

 天井から直接光が注ぐので、中は明るくきれいに植えられた草木を照らしていた。ザザの見るところありふれたものばかりだ。

 二人が入ると、真ん中の広場にすでに少年たちが揃っていて、一斉にワレンに礼をする。それから後ろに隠れているザザに好奇の目を向けた。

「諸君、それでは授業を始める前に、これから助手を務めてもらうフォーレット先生を紹介しよう」

 ワレンは緊張して後ろに隠れているザザを前に出るように促した。


 フォーレットせんせい? 先生⁉︎


 二十対の好奇心に満ちた目が一斉にザザに注がれる。足が震えだしそうになったザザだが、ギディオンの顔を思い出して必死で耐えた。

「こ、ここ、こんにちは」

 何人かが吹き出し、何人かはしかめ面をした。

 真ん中に立っていた大柄な少年は「温室にニワトリが紛れているぜ」とザザを横目で見ながら隣の少年に言っている。

 ザザの緊張は最高潮に達し、今すぐ逃げ帰りたいと思ったが、少年たちはワレンの咳払い一つで静かになった。

「フォーレット先生は薬についてはとてもお詳しい。皆もよく教えていただきなさい。さて、本日の課題ですが、観察である。花と実を両方持つ薬用植物を選んで精密に写生をするように。花や葉をちぎったり、分解してもよろしい。時間は一時間です。では始めて!」

 ワレンの一声で少年たちは温室中に散っていった。皆絵を描く道具を入れた小袋を持っている。

「これでちょっとは皆、大人しくしていていますよ。ザザさんは順番に見て回って、声をかけてやってください。助言はいいですが、加筆はしないでくださいね。あなたにも道具を渡しておきましょう。もしよかったら手本を見せてやってください」

 ワレンは少年たちと同じ写生道具をザザに渡してくれた。とにかく何かをしなくてはいけないので、ザザはまずは温室内を見て回ることにした。

 それほど広くない温室だが、たくさんの種類の薬草が少しずつ植えられている。すべて薬草ばかりのようで、危険な毒草などは見当たらない。

 もっとも、薬草といっても分量を間違えると効果が得られないし、もともと毒草であったものを効果を弱めて薬草にしているものもあるから、危険が全くないとは言えないのであるが。

 とりあえず近くに腰を下ろしている少年の絵を見てみる。彼は大きな葉をつける種類を選び、大胆に葉脈を描いている。その隣の子は花に主眼を置いて、目立たない薬草の花を丁寧に分解し、花弁や雄しべ雌しべなどを丹念に描写していた。

 みんななかなか上手だ。そして物おじしないで自分の絵を見せてくれる。さっきザザにニワトリと言った少年は、樹木の樹皮を丹念に写し取っていた。この種類は樹皮に効能があるのを知っているのだろう。なかなか優秀だ。

「どうですか? 俺の絵」

「……とてもお上手です」

 それはお世辞ではなかった。本当に上手だったのだ。少年もそれを自覚しているらしく、自信のある筆さばきでどんどん描いていく。

 やがて彼は「できた!」と声をあげて、画板をワレンのところに持って行った。まだだいぶん時間が余っている。

「おお、グザビエ。なかなかいいですね、よく描けています。完成したのなら休憩していなさい」

「はい」

 グザビエ少年はしばらく辺りをうろついていたが、やがてワレンが席を外した隙に、温室の隅へと近づいて行った。

「おい、アロイス。お前何にも書いてないじゃないか」

 声をかけられた少年はびくりと肩をすくめた。

「写生なんて、見たまんまを描けばいいだけじゃないか。なんで描かないんだよ」

「……難しくて」

「そう言って、またサボる気だろう。俺が監督してやるからさっさと描けよ。もうあと半分しか時間がないぞ!」

 グザビエが言いたてていると、描き終わった少年たちも次々に集まってきた。

「この草に決めたんだろう? 早くはじめろよ。サボっても父さんが軍の偉いさんだから、許してもらえると思ってんのか?」

「そうだそうだ、この間なんかギディオン指揮官に声をかけてもらってたろう。お前だけずるいぞ! 弱虫のくせに!」

「弱虫アロイス!」

「……すみません、ちょっと伺いたいことがあるのですが」

 少年たちの間に割って入ったのはザザだった。

 大事な人の名前は聞き逃さない。




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