第21話20 魔女と王都の生活 5

「おい! ザザ!」

 台所の床で倒れているザザをギディオンは助け起こした。ザザの顔色は真っ青だったが、すぐに気がついて瞼を開く。

「え? あ……わぁ!」

 自分を上から覗き込む青い目に、ザザは驚いて口をぱくぱくとさせた。

「どうした! しっかりしろ! 寝台へ運ぶぞ! 今医者を呼ぶ!」

「だ……いじょうぶです」

 慌てるギディオンに、ザザはなんとか自分を取り戻して腕を突っ張った。自分が彼の腕にすっぽりくるまっていることに気がついたのだ。おまけに指先がしっかりと握り込まれている。

 急に意識が朦朧として倒れたのは覚えているが、今は別の意味で気が遠くなりそうだった。温かくて強い体が自分にぴったり寄り添っている。それは畏れ多くて恥ずかしく、そしてとても安心できる感覚だった。

「お帰りなさいませ」

「なにがお帰りなさいませ、だ。これが大丈夫な顔色か! 指もこんなに冷たいではないか!」

「ですが大丈夫です。立てます……」

 ザザは平気だということを示すためにゆっくり立ち上がった。

 少しよろめくがなんとか立ちあがると、背中に大きな掌が回った。熱と頼もしさが伝わり、なんだかザザは泣きたくなった。

 しかし、泣かずに瞳に力を込めて主を見上げる。

「ほら、へいきです」

 ギディオンは少しほっとしたようだった。

「しかし、いったいどうしたんだ? 貧血か?」

「いえ、違います。病気ではありません。それより、今夜はお城にお泊りの筈では……?」

「ああ、その筈だったが、都合で交代して欲しいという奴がいてな。いや、そんなことは今どうでもいい。なんで床にひっくり返っていた……うん? この匂いは?」

 ギディオンは台所に微かに漂う酸性の匂いに眉をひそめた。

「えっ? あ! 申し訳ありません、ご不快でしょう。ただいま直ぐに薬香を焚きますので……」

「いいから座っていなさい……これは」

 ギディオンは慌てるザザを椅子に押し込めてから、流しに重ねてある皿や鉢、鍋の中身などを点検している。そして、見る見る内に眉間の皺が深くなっていった。

「……」

 吐瀉物としゃぶつを綺麗に始末し終えてから気を失った覚えのあるザザだが、何か不愉快なものが残っていただろうかと身が竦んだ。どうやら彼の感覚は非常に鋭いようだ。

「あ、あのぅ……」

「ザザ、お前。また痩せたな」

 検分するように見下ろされ、ザザは焦った。

「いいえ! そんなはずは!」

「ふぅん。なぜだ、なぜそう思う?」

「だって一生懸命に食べていますもの! お言いつけどおり、大きくなろうと思って」

「なるほどな……しかし、そら!」

 ギディオンはいきなりザザの両脇に腕を差し込んで、子どものように抱き上げた。つま先が床上でぶらぶら揺れる。

「わぁ!」

「ごまかされないぞ。俺は一度感じた重さを忘れたりはしない。確実にこの前よりも軽くなっている」

「そんな! あんなに食べているのに!」

 ザザは悲痛な声をあげた。

「食べても吐いていては意味はない」

「だからもっと食べて……」

「このばか者!」

「ひっ」

 ぶら下がったまま首を竦める魔女にギディオンは厳しい。

「お前はどうして、人の言葉を額面通り受け止めるんだ! 俺は食べるのは少しずつでいいと言ったではないか!」

「も、申し訳ありま……」

 ザザは必死に謝るが、両足が地につかない状態で、しかも謝罪するべき相手にぶら下がっているのが、どうにもいたたまれず情けなかった。

 もう何度目の惨めな思いだろうか。ザザは必死で涙をこらえた。

「わ……わたし、少しでも、恥ずかしくない姿になろうと……」

 見苦しくならないように頑張ったことが、更にみっともない結果をもたらした。


 大きくなって、もしも魔女として認めてもらえたら、ギディオンさまの傷を少しだけでも癒せるかもって思い上がってしまった……こんな顔を見られたくない!


 ザザは両手で顔を覆ってうなだれる。そのつむじに太い息がかかった。ため息をつかれたのだ。

「……ザザ」

「は……はい」

「お前は恥ずかしい姿はしていない」

「……」

「自分を卑下するな」

「……でも、王都の方々は皆さま立派で、堂々としておられます」

「人と比べて己をいやしむのは救いがない。自分以外は皆他人だ。お前は世の中全ての人間と自分を比べるつもりか?」

「そんなつもりは……ただ、お、大きくなりたかったのです」

「俺がそう言ったからか? まったく……なんて無茶をするんだ」

 ギディオンはそっとザザを床に下ろした。つま先が床に触れる。

「やれやれ、どうやらお前に話す時には、細心の注意を払わねばならないようだな。床にひっくり返っているお前を見た時は、死んでるのかと思って肝が潰れたぞ」

 吐息の温度が伝わる距離。

 ギディオンの両手が細い肩を包んだ。温もりが伝わり、冷たくなっていた手足に血が巡り始める。

「ご、めんなさ……ご面倒をおかけし、申しわけっ……うえぇ」

 ついに我慢の限界がきて魔女は盛大に泣き出した。

「いい。もう泣くな。迷惑だなんて思ってない。俺も不注意だった。命令を欲しがっていたお前に大きくなれと言ったら、その言葉が力を持つことくらい予想するべきだったんだ。あれ以降、お前とゆっくり話す間もなかったし、俺もメイサに任せきりにしていたからな」

「いえ、あるじさまは悪く、ありません」

「確かに悪気はなかった。だが、配慮が足りなかった。さて、どうしたもんかな?」

 そのまま彼は、泣き止もうと必死で頑張っている魔女の前で考え込んでしまった。

 魔女とは悪しきものだと言うのが一般の通説だ。しかし、出会ってからまだ一月足らずだが、この娘は本当に無垢で純粋な性質だと言うことは、もう疑いの余地がない。

 おまけに森に引きこもっていたせいで世間との交流経験がほとんどないし、二十歳という年齢の割に意思疎通の能力も乏しい。自己肯定感の低さはそこから来ているのだろう。

 魔女ゆえの柵か、一途にギディオンを主人だと思い込み、その指示のままに行動することを是としている。


 こんな娘、どう転んでも悪いことはできまい。


 歳は若くとも、これでも一軍を率いる指揮官として戦略を練り、戦を戦い抜いたギディオンである。人を見る目には自信があった。


 もしかしたら、歴史に悪名高い魔女とは、その純粋な性質を悪意ある人間に利用されていただけなのかもしれない。


 ギディオンは、なんとか泣き止んで目を擦っている娘をつくづく見下ろした。

 自己肯定とは、何かをなし遂げて初めて身につくものである。では、この純粋な娘に何をさせればいいのか。


 このままでは当分世間に出せない。どうにかして自信をつけてやれないものか……。


「だいじょうぶ、です」

 ザザは途方に暮れて自分を眺めている主を見上げて足を踏ん張った。

 精一杯自分を大きく見せたい一心だったが、その努力は無駄だったようだ。つむじにため息がかかる。

「ギディオンさま、わたし、まだまだがんばれます」

「だから、頑張りすぎてこうなったんだろう? このままでは体を壊しかねん」

「からだはへいきです。こう見えてわたし魔女ですので丈夫なのです」

「魔女だから丈夫?」

 意外そうにギディオンは尋ねた。どう見てもそうは見えない。

「はい。魔女は普段から、もしもの時に備えて体を作るのです。大きな魔法はものすごい集中力が必要ですし、雑念につながる体や心の欲をできるだけ抑える生活をします。だから私も体力はあるのです」

「軍隊並みに厳しいんだな。しかし、そんなに自分を高めても、悪い魔法で人を苦しめてしまったから魔女は忌み嫌われたんだろうに」

「はい。だけど、魔女はあるじの命によってのみ大きな魔法を使うので、それを命じた人がいることになります」

「それが本当なら、本当に悪いのは魔女を従えた人間ということになるのか……」

 ギディオンは考え込みながら言った。

「血の誓い誓いを交わした、あるじの命には従わねばなりません」

「血の誓い?」

「はい。いくつかの方法があるのですが、一番重いものは、魔女が自分の皮膚をはいでなめしたものに血で誓約書を書き、それにあるじが自分の体液をかけるというものです」

「体液か。血とか唾液のことかな? それにしてもすさまじいな。そうすることで人間は魔女をしばるのか」

「本によるとそうです」

「ザザは額を隠して俺に誓っていたな」

「そうでした」

 ほんの一月ほど前のことなのに、なんだか懐かしい気がするのはどうしてだろうか?

「それが一番簡単な方法なのですが、あの時は時間がなかったので……でも、ギディオン様が望まれるのでしたら、もちろん……」

「望むか! そんなもん! 聞くだけで忌まわしいわ!」

「はぁ」

 少しだけ残念な気持ちでザザは答えた。

「それで、大きな魔法とは例えばどんなものがある?」

「魔法書によれば、空間をつなげたり、人を操って意のままに動かしたり、とありました」

「人を操る? そんなことができるのか?」

「条件が整えばできたそうです。人の心に魔を染み込ませ、無意識に命じた行動を取らせたり。『魔女の呪い』という術です」

「呪いか……恐ろしいな。かつて、この国が荒れたのは、そんな呪いがいくつか発動したのだろうな……ザザもできるのか」

「無理です! 『魔女の呪い』はとても複雑な術式と薬が必要なのです。かなり勉強しないと。でも必要とあらば……」

「だから、いらんと言っているだろうが! それにザザの呪いなど脅威とは思えないしなぁ」

「そんなことはありません!」

 ザザは無駄に胸をはった。

「ふぅん……試しに俺に呪いの言葉を吐いてみろよ」

「あるじさまにそんな」

「いいから。試しだ試し」

 ギディオンはけしかける。青かったザザの顔に色味が点ってきたのだ。

「わかりました。呪いの言葉ですね。ええと……『これから六日ごとの真夜中にぺたぺたと後ろからついてくるものがいる。そのものの頭には不吉な兆候が見える……』どうでしょうか?」

「ああ。それは多分、居酒屋のツケを請求しにくる禿頭のおやじだな」

「そんなぁ!」

 ツケとは何かよくわからないながらも、自分の精一杯の呪いの文句がさっぱり効果がないことに、ザザはがっくりと肩を落とした。

「まぁ、だいたい予想していたから……だが、そういえばザザとこんな話をするのは初めてだな」

「ギディオンさまは魔法をお嫌いだとおっしゃいました」

「ああ、嫌いだ。だがむやみに嫌っているだけでは幼稚に過ぎるだろう。如何に過去の遺物とはいえ、かつては実在し、恐れられた技だ。お前という生きた証拠がいた以上、全く知らないでは済まされないと思うようになった。ザザは特別な存在なのだ」

「とくべつ……」

「だから、ザザは自分をもっと大切にしなければならない。魔女の厳しい掟も尊重するが、少しは人生を楽しんでいい。美味いものを少しずつ食べなさい」

「はい、そう……致します。無様なところをお見せしました。これからはもっと気をつけますので、どうぞ……」

「無様なんかじゃない。お前が気をつけなくてはならないのは、言葉に隠された意味を知ることだよ。まったく、素直なようでいて、幼い子どものように融通がきかん……ん? 子ども? 子ども……」

「ギディオンさま?」

「子どもか、そうか!」

 ギディオンは何かに思い当たったように、大きく頷いた。

 自分より上だと思う存在の言葉が命令になるのなら、自分より弱い存在ならどうだろう。弱い者を助けて、感謝されたり共感できたりしたら、少しはこの娘の世間も広がり、意思疎通も深まるのではないか。

「なるほど。子どもというのはいいかもしれないな。しかし相手が幼すぎても心配だし……学校、初等科……うん、初等科くらいがいい!」

「あのぅ?」

「ザザ、お前、薬に詳しかったな。その知識を子ども達に教えに行く気はないか?」

「子ども達?」

「そうだ、軍付属の学校には薬学の授業もあるからな。そこの教授方の助手に推挙してやろう。うん、ワレンなら信用できる」

「……」

「うん、これは案外良い考えかもしれない。幸い初等科の校長は知っているし、薬学のワレンも先輩だ……よし、明日早速掛け合ってみよう。ザザ、お前は先生になるんだ」

 ギディオンは自分の思いつきに満足したように、にやりと笑った。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る