第二話
サンテール王国には、十二人の宮廷魔術師がいる。
本来は十三人分の席が用意されているが、十三人目はもうずっと空席のままだ。
始まりは裏切り者を厭っての処置だったが、時が経つにつれてそれは形骸化し、今では単になんとなく空けられていた席でもある。
しかし、そんな裏事情を知るのは関係者のみで、ほとんどの人間が「え、宮廷魔術師って十二人だけじゃないの?」と口を揃えることだろう。
よって十三番目の魔女が就任するという話が国民に広く知らされたとき、人々は色んな意味で驚いた。「十三人目の席があったのか」。ちょっと歴史を調べた者は、「十三番目の魔女は裏切り者の椅子らしい」。歴史に詳しい者は、「吉凶いずれにしても、新しい歴史の始まりだ」。
とにもかくにも、国中――いや世界中が注目した。その〝十三番目の魔女〟殿に。
けれど十三番目は任命式に出席して以降、公の場には一度も現れていない。
任命式だって王族や上級貴族のみの参列で、そこでさえ十三番目はフードで顔を隠していた。
そうやって色々な臆測を囁かれ、人の噂を行き来した結果、いつのまにか怪力で極悪非道な性格の悪いめちゃくちゃ強い大男にされてしまった、当の本人はというと。
(――が、学校、難しい……!)
現在、サンテール王国が誇る屈指の名門校――王立ノートルワール学園の高等部に通っていた。
時を遡ること、数か月ほど前のことである。
『あなたは何かしたいことはないのですか、アリーチェ』
侯爵家を一部損壊させたアリーチェは、一度は牢に捕らえられた。
しかし宮廷魔術師である〝一番目の魔女〟に救い出され、その腕を見込まれて彼らと同じ称号を与えられた。
ただそれは、半ばアリーチェの意思を無視したものだ。
なぜならアリーチェは、できることなら妹の許へ逝くことを望んだから。妹が辛いときに気づいてあげられなかった罪悪感が、身体が回復するにつれて膨れ上がっていった。
こんな自分が生きていていいのかと、何度も何度も自問し、何度も何度も涙を流した。
けれど、ついぞ自分で自分の命を断つことはできなかった。死ぬことが怖かったのだ。それがまた申し訳なくて絶望した。
どんなものにも、永遠はない。
やがてアリーチェは涙を枯らし、頃合いを見計らったように一番目の魔女を名乗る彼がアリーチェの見舞いに来た。
そのとき質問されたひと言に、アリーチェは目を剥く。
『したい、こと』
『あなたの事情は知っています。隠さず言わせてもらうと、同情しているのです。あなたはまだ少女とも言うべき年齢。本来なら保護されて然るべき子どもです。何か、したいことはありますか。私が全力で叶えて差し上げますよ』
アリーチェが驚いたのは、彼がどうしてそこまでしてくれるのかと思ったからじゃない。
当たり前のようにやりたいことを訊ねられて、当たり前のようにアリーチェに生きる道を提示してくれた、彼に驚いた。
――〝ねぇ、お姉ちゃん〟
そのとき、ふいに妹の声が耳の奥で聞こえた気がした。
――〝わたしが元気になったら、あの子たちみたいに、お姉ちゃんと一緒に学校に通えるかな〟
『…………学校』
『学校?』
『い、妹が、学校に通いたいって。わ、わたしでも、学校、通えますかっ?』
縋るように見つめた先で、彼が存外柔らかく微笑んだ。
『ええ、もちろんです。あなたの願いを叶えましょう』
『ほん、とうに? いいんですかっ? だって、わ、わたしっ……』
『構いません。あなたは宮廷魔術師ですが、同時に青春期の少女でもあります。行ってらっしゃい。ただし、一つだけ条件はありますけどね?』
――と、そんな経緯で編入したノートルワール学園だが、ここは初等部から高等部までの一貫校である。
中等部まではみんな同じ普通科で基礎的な教養を学ぶが、高等部からはいくつかの科に分かれる。
黒色に染めていた髪の染料が抜けて、本来のストロベリーブロンドを取り戻したアリーチェは、高等部普通科の一年次生として通うことになった。編入といっても、高等部からはアリーチェのような外部入学生も多い。
なぜなら高等部には、普通科の他に騎士科と魔術科があるからだ。中等部までは王侯貴族の子女ばかりで構成される生徒も、高等部にいたっては成績が優秀であれば平民でも通える。
妹の願いを胸に、憧れの学校生活をまずは頑張ってみようと意気込んだアリーチェだったが、問題は早々に起きていた。
それにはまず、アリーチェが魔術科でなく普通科に通っていることを説明しなければならないだろう。
というのも、一番目の魔女から厳命された条件というのが、アリーチェが十三番目の魔女だとバレないようにすること、だったからだ。
理由は、他の生徒の混乱回避もあるけれど、十三番目の魔女が唯一『黒の魔導書』を行使できることは広く知れ渡ってしまっているので、悪用を目論む輩から身を守るためという意味合いが一番大きいらしい。
アリーチェ自身も好んで危険な目に遭いたいわけではないので、これにはすぐに首を縦に振った。
となると、魔術科では差し障りがある。一番目の魔女曰く、アリーチェはすでに魔術師としての基礎と応用を押さえており、もし魔術科に入学してしまったら間違いなく好成績を取ってしまうだろうとのことだったから。
(まさかトーマスおじさんの教えてくれたことが、学園でやるような魔術学だったなんて)
それを聞いたときは、思わず口をあんぐりと開けてしまったアリーチェである。
彼は昔魔術師だったと聞いているけれど、もしかしたらノートルワール学園の魔術科卒業生だった可能性が出てきた。
そういうわけで、正体を隠すには、魔術科はあまりにも不適切な場所だったのだ。
じゃあどうするか。騎士科なんて選択肢にも上がらない。
よって、一番目の魔女の遠戚として――彼は侯爵位を持っているらしい――アリーチェは貴族子女の多い普通科に入学した。が、他科と違い中等部から地続きのような普通科は、すでに友人グループができあがっていたのである。
さらには、彼らの話す内容はどれもこれもセレブリティに富んでいて、正直アリーチェには異国語にしか聞こえなかった。
(入学して、もう二か月も経つのに……っ)
――ああ、拝啓天国の妹へ。学校は魔術学よりも難易度が高いようです。
(教養の座学も……何言ってるかちんぷんかんぷんだし……)
アリーチェは基本的に興味のあることしか覚えられない。
魔術学は寝食を忘れるほど面白いし、魔導書の解読は絡まった謎を解く達成感がたまらない。
ほんの少しの絡まりで今まで解明されることのなかった魔術式を読み解いたときの爽快感は、わざと馬糞で汚されたシーツを真っ白にしろと言われて頑張ってそれなりに白くさせたときの感覚と似ている。
けれど、普通科の座学はそういった科目が少ない。
数学は似たところがあるので楽しいけれど、語学、音楽、歴史学、他にもマナー講座やダンス講座などは、むしろ学ぶ理由がわからない。
加えて、アリーチェは絶望的なまでに運動が苦手なのだ。ダンス講座はまだ二回しか受けていないが、その二回とも講師の怒鳴り声を独り占めした。
(リーシャ、学校は怖いところだったよ。わたし、鬼なんて初めて見たもん)
ダンス講師の怒り顔のことだが、体育でも同じような鬼を見た。
おかげでアリーチェはクラスで浮いている。
(でも……)
頑張ると決めたのだ。妹の後を追えない分、妹の憧れの学校生活を体験して、いつか天国の妹と再会したときに土産話をするのが目標だ。
(リーシャがやりたかったのは、友人をつくることでしょ、その友人と勉強すること、あとお買い物もしたいって言ってた。親友もつくって、それで、そう、恋をしたい、だっけ)
恋か……と肩を落として歩きながら、パンと本を持って裏庭を目指す。
今のところ友人さえままならないのに、恋なんてハードルが高すぎて考えるだけで気が落ちる。
アリーチェは人の気配が少ない特別棟の校舎を通って外へ出ると、晩春の心地いい風に目を細めた。
ノートルワール学園は、制服の着用が義務づけられているので、アリーチェも規定の制服を着ている。中の黒いシャツを赤いネクタイで締めて、白いブレザーを羽織り、女子生徒に定められた白のスカートを履いている。これまで着たことのあるどんな服よりも高価な着心地で、風に靡くスカートの端が視界にちらつくたび、汚さないか本気で心配になる。
そうして広い学園を囲む壁に沿うように歩いていけば、アリーチェが最近見つけたお気に入りの場所――裏庭に到着した。
もともと妹とトーマスおじさん以外の人とはまともに話したことのないアリーチェは、端的に言ってコミュ障である。
まずは作戦を練ろうと、最近は裏庭で昼食をとりながら一人友人づくりについて勉強するのが日課になっていた。
青々とした芝生の上にハンカチを敷いて座ると、校舎の壁に背をもたれさせながらパンをかじる。
空いている右手で、図書館から借りた『友だちづくりの必勝法~これであなたも友だち千人!~』というタイトルの本を開いた。
千人なんて無理だとわかっているが、こういうのは気概だ。気概が大事だ。トーマスおじさんがそう言っていたので、勇気を出して借りてみたのである。
「えーと、『友だちをつくるには、まず原因を振り返りましょう。そして笑顔を増やし、相手が話しかけやすい雰囲気をつくります』――なるほど、笑顔……!」
そういえば、もうずっと笑顔なんてつくっていない。妹と一緒にいるときだけは自然と笑顔になれたけれど、会えなくなってからは笑うこともなくなったから。
「『次に、自分から話しかけましょう。受け身だけではなかなか友だちをつくるチャンスには恵まれません。勇気を出して、ますは挨拶からやってみましょう』――あ、挨拶……っ」
それができていれば苦労しない。
だったらまずは、笑顔の練習からだと意気込む。
ただ、別にもともと笑わない性格ではなかったはずなのに、表情筋はすっかり笑い方を忘れてしまっている。
「えっと、リーシャは確か、こうやって……口角を……」
自分の在りし日の笑顔は思い出せないので、リーシャの桜の花のようなかわいらしい笑顔を思い出して、自分の口端を手で無理やり上げてみた。
あ、こんな感じかなと思ったとき、校舎を囲う高い塀から、突然男の子が顔を出してきて、難なく地面に舞い降りた。
あの高さをものともしない身のこなしに、アリーチェは目を瞠る。
しかもその男の子が着地から顔を上げた瞬間、身体に電気が走った。
(う、わぁ……綺麗な人……)
黒曜石のように艶のある黒髪に、鋭い刃を思わせる銀の瞳。
すらっとした眉と高く通った鼻筋が、氷像のような冷艶さを際立たせている。
さらには、白い肌と制服の上からでもわかる均整の取れた身体が男の色香を漂わせていた。
芸術作品のような人間と初めて出会ったアリーチェは、残念なことにそのまま惚けてしまった。
アリーチェに気づいた彼がギンッと睨んでくる。人を殺せる目つきだ。
(ひっ……)
スティック型のシルバーピアスを揺らしながら、彼が口を開く。
「誰だ、おまえ」
声音も冷たい。やっぱり学校は怖いところだと思った。
なぜ初対面の人に睨まれなければならないのだろう。スラム街にいた頃は確かによく睨み合いをしたけれど、それは互いに生き残るための威嚇だ。今アリーチェは彼のものを何も奪っていないし、奪おうとも思っていない。
「……女子生徒だな? 魔術科の新入生か?」
どうしよう。なんて答えよう。正直に普通科の新入生ですと答えればいいのだろうか。というか性別を疑われるなんてそんなに自分は見た目が男だったのだろうか。
混乱が頂点に達したアリーチェは、そこで自分がとんでもない姿でいることを思い出した。
そう、笑顔の練習中だったのだ。きっと酷い顔をしているに違いない。
まさかの
「こ、これはっ、れ、れれれ練習をっ、しておりまして……!」
「練習?」
「えひゃっ、笑顔の、練習ですっ」
「……笑顔?」
「ち、ちなみに、女子です……!」
「今さらか。声を聞けばわかる」
「ひっ。ごめんなさい!」
こんなだから友だちができないのだと、自分の低いコミュニケーション能力に悲しくなる。これでは天国の妹に土産話ができない。
(そ、そうだよ! これじゃあ合わせる顔がない……!)
まずは友だちをつくるのだ。
そのためにも笑顔が大事。あと自分から挨拶。
アリーチェは両方の人差し指で口角を上げると、妹の笑顔を思い出しながらニッと笑って見せた。
そして。
「こっ、こんにちは! アリーチェ・フランです。ふ、普通科の、一年次生ですっ。えっと、わたしと、お友だちになってくれませんか……!?」
勇気を振り絞ってお願いしてみる。
なのに、相手は即答だった。
「は? 無理」
「――!?」
「いいか。俺がここにいたこと、誰にも言うなよ。名前は覚えたからな」
それはどういう意味だろうと、なけなしの勇気を一刀両断されたアリーチェは、ショックで身体が風化した。
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