第8話 お風呂にて



 夕食を終えてから、自宅へ空になった鍋を持って帰ってきた。

 ちょっと歩いて階段を昇ればすぐに自分の部屋に帰れるって、かなり良いよなぁ。大家さんを含め、住んでいる人たちが良い人ばかりで本当に良かった。


 一部やかましいのがいるけれど、可愛いし。


 プライバシーが無いと言うのがデメリットとして存在しているけど、家賃一万円2LDKと天秤にかけると、そこまで気にもならない。


「じゃあ俺は風呂入ってくるから」


 一人暮らしでこんなことを言っている人がいたら変な人確定なのだけど、幽霊をはっきりと認識しており、コミュニケーションが取れている俺からすれば、実に自然な発言だ。


“はーい! じゃあ私は他の家をブラブラ見てきますね~”


 そう言って、彼女はすい~っと壁を透過してどこかへ飛んで行った。方向的に、優の部屋を見に行ったのだろう。


 きっといままで玲は、こんな風にして一日を過ごしていたんだろうな……彼女たちが家にいるときはまだマシだろうけど、いない時はさぞ暇を持て余していたことだろう。


 体を洗い、湯船につかる。

 浴槽の縁に頭を乗せて、全身から力を抜いて「はぁ~」と息を吐いた。


「未練のない、幽霊ねぇ……」


 声帯のほとんど震えない、かすれた声で独り言を口にする。


 玲が成仏せずにこのアパートに縛られているということは、そこに何かしらの意味があるはずだ。だからリバーシだのたけのこだのは、直接的な関係はないと俺は踏んでいた。


 だけどまぁ、アパートに縛られているとはいえ、父親の徹さんがこのアパートにいないから『家族を見守っていたい』って想いが未練だとは言い難いしなぁ……やっぱりわかんねぇわ。


 栞さんや玲の父親であるとおるさん――他にも彼女の関係者たちからは、俺のペースで、俺を主体として玲の願いを叶えてあげてほしいと言われている。


 仮にその流れで玲が成仏することになったとしても、感謝こそすれ、恨んだりはしないとも言ってくれた。


 だから玲の願いを叶えるにあたり、必要な時は呼んでくれ――といった感じで、チャットのIDを交換したというわけである。


 学校で『御影優の連絡先を知っている』って知られたら、質問攻めにあいそうだなぁ。

 そんなことを考えていると、


“市之瀬さん! 緊急ですっ! 大変です!”


 叫びながら、玲が風呂場に突撃してきた。俺は即座に膝を抱え込み、見えてはならない場所を足で隠す。玲は俺の顔を見て、そして視線を体のほうに向け、ぼっと顔を赤くした。


「……風呂を覗くとか、正気かお前? というか緊急って?」


“ち、ち、違うんです! これは冤罪です! い、市之瀬さんが露出魔なんです!”


「それこそ冤罪だろ!?」


 なぜ風呂場に突撃しておきながら露出魔呼ばわりできるんだこいつ。やっぱりアホなのか。まぁ見られてはまずいところはしっかりと隠しているから、恥ずかしさはあまりない。


「それで、緊急ってなんだよ。かなり慌ててたみたいだけど――もしかして、他の部屋のだれかが怪我でもしたのか?」


 口にしながら、様々な可能性を考える。

 他の部屋に強盗が入ったとか、頭をぶつけてこん睡状態になってしまっているとか。


 もしそんな状況だったならば、彼女の行動は正解だろう。俺の裸の価値なんてカスみたいなものだし、むしろ彼女を褒めるべき行動をとったことになる。


 彼女は気まずそうに視線をそらした。


“す、すみませんでした……なんでもないです”


「いや気になるから言ってくれよ。なんでもないってことはないだろ」


“お、怒ったりしません?”


「もちろん、怒らないさ」


 即座に俺は断言する。ちなみに内容によっては普通に怒るつもりだ。


 俺の薄っぺらい言葉に勇気をもらったらしく、彼女は風呂場の壁から顔をひょっこりと出した状態で、説明を始めた。もじもじと人差し指を突き合わせながら。


“あ、あの、優ちゃんがですね、テレビの見てたんですよ”


「ほう、それで」


“それがクイズ番組でして、答が発表されるタイミングでCMに入ったんです”


「なるほどなるほど」


“めちゃくちゃ答えが気になったんですけど、優ちゃんったら他のチャンネルに変えちゃうし、友達から電話がかかってきたみたいで、そっちに夢中になっちゃうし……私としてはすごくモヤモヤしちゃったんです。つまりですね、答えがわからないと、私はもう成仏できないかもしれません! だから緊急なんです!”


「そうか、じゃあ歯ぁ食いしばれ」


 そう言いながらこぶしを掲げると、玲は“ひぇっ!?”と顔をひきつらせた。


“い、市之瀬さん、怒らないって言ったじゃないですか!? 怒らないって言ったから私、正直に話したんですよ!?”


「お前のモヤモヤを解消するために俺の裸を見られてたまるかよ! 玲だってそんな理由で裸見られたら怒るだろうが!」


 まぁお前は風呂に入らないだろうけどさぁ……そう呟くと、彼女は“毎日入ってますよ?”となんでもないことのように口にした。


 今度は何言い出してんだこいつ――そう思いながら首を傾げていると、彼女はさらに口を開いた。


“もちろんお湯に触れたりはしないんですけね、湯船につかるとなんとなく『あったかいなぁ』って気分になるし、すっきりするし、気持ちいいんですよね。あ、お風呂は姉妹の部屋かママの部屋で入ってます! もしかして市之瀬さん、ちょっと期待しました? んふ~”


 口に手を当てて、ニンマリとからかうような表情を浮かべる玲。

 期待しちゃ悪いかよボケ。思春期の男子高校生をなめんなよ。


「俺の部屋では入らないようにしとけよ」


“もちろんですよ~! お嫁に行けなくなっちゃいますからね!”


 なんとも能天気な幽霊だ。もう嫁になんて行けるわけないのに。

 死者でも生者でも、ここまで呑気な人に会うのは始めてだなぁ。




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