第5話 大家さん宅、訪問



「夜分に本当にすみません……市之瀬です」


 夜の八時。

 ビニール袋片手に、俺は大家さん――玲の母親の部屋の前にやってきていた。インターホン越しに、頭を下げる。


 玲が『ラーメン食べたいなぁ。好きなもの食べられて、いいなぁ』とうるさかったので、根負けしてコンビニで買ってきたのだ。


 おねだりというよりも、悲壮な感じで言ってくるんだよなこいつ……しかも顔がめちゃくちゃ可愛いという事実が、俺に無視という選択肢を選ばせてくれなかった。可愛いってずるい。


「こんばんは、市之瀬くん。なにかあったの?」


 不安そうな表情で、だけどどこか期待したような表情で、大家さんは俺の顔を見た。

 それから俺の手元にあるビニール袋に目を向けて、不思議そうに首を傾げる。


「実は玲さんのことでお話がありまして――これは彼女へのお土産です」


 俺がそう言ってカップ麺、麦茶、プリンの入った袋を掲げると、大家さんは驚いた表情になる。さすがに『如月屋のプリン』とやらは買わなかったが。


 さてさて……優と同じ戦法で、大家さんにも信じてもらうことにしようか。




「あははっ、玲が言ったならそうしなきゃいけないわね! お湯は入れたほうがいいのかしら?」


「『私にこれをバリバリ食えと!?』って言ってます」


「玲ちゃんならバリバリ食べそうねぇ。というか、あなた一度そのまま食べてたわよね? ほら、昔停電したときに」


「『恥ずかしいから言わないで』だそうです」


 俺が玲の言葉を代弁すると、大家さん――御影栞さんは楽しそうに笑った。

 やっぱり玲って、ちょっとバカなんじゃないだろうか。


 まぁそれはいいとして。


 さきほど玲から聞いた、灯さんのマル秘情報を栞さんに話したところ、無事に信用を勝ち取ることができた。優と同じように泣いて、そして笑っていた。


 今この場には優もやってきており、俺から伝えた情報だけでなく、リバーシのこととかを話して玲の存在の信用の後押しをしてくれている。俺が行ったとき、ちょうど彼女もこの部屋にやってきていたのだ。夕食を一緒に食べていたらしい。


 俺の話を信じてくれた栞さんは、仕事で他県に単身赴任している旦那さんを呼び出した。


 なんと、旦那さんは無理やり有給休暇を使って明日一番にこちらに帰ってくるらしい。姉の灯さんは帰りが遅いので、明日、父親と一緒に――ということになった。


 俺の隣の部屋には、灯さんと優。そして斜め下の部屋には、大家である栞さん。

 そして俺の下の部屋には、玲の元同級生の女性二人がいるらしい。大学一年生とのことだ。


 玲の家族だけでなく、このアパートに住んでいるからには、彼女たちにも玲と話をさせてあげたいものだ。



 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 引っ越した翌日のこと。春休み中なので、俺には時間がたっぷりある。


 当初の予定通り、御影家の父母、そして姉と妹、それから玲の同級生二人が一つの部屋に集まり、しばし団欒の時を過ごした。


 無関係であった俺は、玲の通訳をすることに専念し、感動の再会――というのも変な感じがするけれど、ともかく部外者の俺は存在を主張しないように努めた。


 そこで話題になったのは、『玲は成仏したほうがいいのか』という問題。


 死んだ娘がその辺りをふよふよしているというのを放っておくわけにもいかないけど、再び別れるのは寂しい――家族としては、当然の意見だな。


 そして肝心の玲本人の気持ちはというと、『成仏への気持ちはよくわからないけど、思い残したことはやっていきたい』とのこと。それが結果的に、成仏につながったとしても。


 彼女のなかに『家族を見守っていたい』という気持ちがあるから、このアパートに住み着くことになったのだろうけど……玲を見る感じその想いが未練となっているかというと、そうでもなさそうなんだよな。


 だとすれば、なにか他に未練があるはずなのだが――それがよくわからない。


“おかえりなさいあなた! お風呂にする!? ご飯にする!? それともわ・た・し!?”


 玲の『おかえりなさい会?』が終わって部屋に帰ってくると、先回りされていた。

 制服の上からピンクのエプロンを付けた状態で、前かがみになって俺を見上げてくる。


「圧が強い。もうちょっとこう……妖艶な雰囲気とか、恥じらったりとかさぁ」


“十六歳に妖艶は難しいですね。そしてこのセリフは人生で一度は言ってみたかったセリフなので、どちらかというと恥じらいよりも達成感のほうが強いです!”


「未練が晴れて良かったじゃないか。成仏できるといいな」


“市之瀬さんが辛辣!? パンツまで見せてあげたのに!?”


 俺は靴を脱ぎながら彼女の肩を掴み、下に押しのける。彼女は抵抗むなしくすい~っと沈んでいった。さようなら。


 ちなみに、パンツ云々の話は、昨夜俺が寝ているときに玲が俺の周りをふよふよと漂っていたので、指摘しただけだ。


 引っ越した当初のときのことがバレたわけではないし、玲が自発的に俺へ純白パンツを公開したわけではない。まぁ実際のところ、彼女のパンツを見てしまった回数はすでに二桁になってしまっているが。


“ぴちぴちのJKと同棲生活ですよ市之瀬さん!? なんでそんなに私を雑に扱うんですか!? もっとほらっ、『ドキドキして眠れない』みたいな思春期っぽい反応してくださいよっ! 昨日も『パンツ見えてるぞ』って言ったあとにすぐ寝ちゃうし! 女としての自信を失っちゃいますよ私は! 未練が増えちゃっても知りませんよ!?”


 床から首だけ出して、玲が抗議する。下の階から見たらすごい光景だろうなぁ。


「玲の住処は敷地内全体なんだから、同棲ってわけでもないだろ」


 質問には前半部分だけ回答して、俺は寝室に入って上着をハンガーにかける。ふよふよと俺の後ろをついて来る玲をできるだけ意識しないようにして。


 相手は幽霊なのだ。戸籍はなく、既にこの世にはいない人間なのだ。そう自分に言い聞かせる。


“年頃の女子高生と二人きりなのにぃっ!”


「はいはい。ドキドキで胸がおかしくなりそうだわー」


 好きになってしまうなんて馬鹿げたことにならないよう、気をつけないとなぁ。


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