無双できない異世界譚

いちめ

辺境ミカミ篇

第1話 チュートリアルも神様説明もなしですかい

 マズいマズいマズいマズいマズい……気まずい。草葺きの庵は六畳ほどの広さしかないうえに畳もない、板の間だった。その板もあちこちが波打ち板と板の間には隙間がある。ホームセンターで製材された板木しか見たことのない僕には冗談にしか思えない手作り感だ。家具は文机と言うのだろう正座して使う机に蓋がしてあり中が見えない木箱。長押だか長持というのだったか古典で出てきたそれだけだ。広場側の板戸は開け放たれている。一方の壁に明り取りの窓があるが、ガラスが入っているわけではなく、板を押し上げるようにつっかえ棒。もう一方の壁にやはり板戸がはまっていたけれど、その向こうは押入とかトイレではなく、多分そのまま外に出るのだろう。

(ほ、ほら、最近大人の秘密基地との謳い文句で山遊びを趣味にしている人もいるし……)

 やっぱりそんな言い訳は苦しい。なぜなら板戸と縁側の向こうの広場には藁筵が敷いてあり、左右二列に男たちが控えているのである。その中央に薄汚れた小学校中学年ほどの男児と二十歳前後の青年。この二人と共に山を下ってきたばっかりにこんなことになっている。広場には十一人。縁側に一人、そして目の前に何歳か分からない程に歳をとった爺が一人。広場の男達は僕と同年代と思われる一〇代後半の奴から四、五〇代の親父まで年齢はバラバラ。どの男も袖のない着物に乗馬ズボンのようなものを穿いている。脛や腕は布や毛皮を巻いてあったりなかったり。毛皮のベストのようなものを着ている者もいる。くつろげた胸元も露になっている肩も筋骨隆々という表現がふさわしい。足元は皆、草鞋……だよね、あれ。男の脱毛なんて風潮はどこへ行ったんだろう。髭は生やしっぱなしが大半で、一応剃っている者もいるが、いつ剃ったのだろうという無精ったらしさ。髪は無造作に一つ結び。つまりは皆さん山賊スタイルなのである。しかも、ですよ。傍らには刀や槍がすぐにも手に取れるように置かれていた。ややも身なりがましな二人は爺と縁側の親父で、二人はちゃんと袖のあるものを身に着けている。それが水干というのは知っていた。希望の大学には全部落ちたとはいえ、日本史選択で大学受験したのだから。

 テーマパークだとかドッキリではない、と思う。電線も舗装道路もない山中で、尋常ではない建物が散在する集落も場所を選び金と時間をかければ可能だろう。そんな事をする理由など分からないが、できなくはない。が、

(…これは、違う)

何故なら臭いんですよ、耐え難く。下水道が来ていない田舎の汲み取り式トイレの臭いが集落全体に漂う。それだけではない。人が臭いのだ。脂で房になったような頭髪や黒ずんだ爪、汚れがかすれている肌を見るまでもなく、最低でも一週間は風呂に入っていない。それも全員。彼らはエキストラやキャストではない。

(と、言う事はですよ)

アレです。流行りのヤツ。日本語通じたし、異世界と言うよりはタイムトリップ系でしょうか…。いやいや、そんな悠長なことを考えている場合じゃないんですよ。読まなくても分かるくらい空気が剣呑。マズいでしょ、これ。


 こんな事になったのに経緯も何もない。コンビニを出たところで橙色と濃紺の暁の空を見上げていただけ。学校や会社へ行って普通に生活している人にすれば変な時間だろうが、受験に失敗してからは予備校にも行ったり行かなかったりしていたので明け方にコンビニに行くことはままあった。ふと仰いだ何も考えられぬほど鮮烈な暁の色に心を奪われて、

 気が付くと山頂にいた。

 まだちらほらと雪が残る、岩が転がる寒々しい場所で僅かばかりの草が風に吹き散らされる中、僕はその直前と同じように橙と濃紺の空を見上げていた。チュートリアルも状況説明をしてくれる神様もいなかった。暴走トラックに轢かれたのでも事件に巻き込まれたのでも過労死したわけでもなかった。オンラインゲームにもログインしていないし、光る魔法陣の上にものっていない。理由など何もわからず、突然違う場所にいた。

(は?)

 もちろん最初に携帯を確認した。通話圏外でGPSはロスト。触ってみる限り身形も変わっていないし、おそらく顔もそのまま。体の中に魔力を知覚することもできなかったし、身体強化もされていない。いやいや、自分で気付かないだけでスキルとか加護が与えられてるんじゃない?恥ずかしいから誰にも言えないけれど、最初は小声で、明け方の山頂にもかかわらず人目がないことを確認してからは盛大に知る限りの呪文を唱えた。ポーズ付きで。

(……これってなくね?)

 呆然。つまり、僕は僕のままだった。自分のステータスも見えないし物の鑑定もできなければインベントリも持ってない。権力者の家族がいる身分に転生したわけでもない。僕は受験に失敗しただけの医療知識も調理技術も武道の心得もない自宅警備員候補生のまま。知識も武器も金もなく、

(しかも人気のない山頂だよ?)

 かわいい女の子との出会いもなく見知らぬ場所へ放り出されただけなのだった。買い物に出ただけの格好でサバイバル技術なんて持っていない。無双どころか無情。死ぬ。これは普通に死ぬ。頼りになるのはコンビニで買ったばかりのペットボトル飲料2本とビニール紐一巻き。何でこんな物買ってるの?僕?いや、いい加減段ボールや紙類が溜まった部屋を片付けるつもりだっただけだが、このまま僕が遭難して死んだら死に場所を求めてさまよった挙句の野垂れ死にだと思われちゃうでしょ?そんな気全然ないから。ライターとか食糧とかせめてカッターナイフとか役に立つもの買っとけよ、僕。木の棒から始めるのかって……クラフトもできない……泣きたい。山頂で野垂れ死ぬよりはと山を下ることを決めた。清く白い朝の山々には道路も送電線もない。その方角を目指したのは音がしたから。耳の奥をひっかくような不快な音が切れ切れにしていた。そこで出会ったのが件の二人だった。


「この者らを救い賜ったと」

 小学校中学年一〇歳くらいの小汚いガキがサジ。二十歳過ぎの兄がコレトウ。兄弟二人が難儀しているのに行き会ったのである。兄は罠師で狩場を巡っていた所、猪に襲われたのだそうだ。もちろん猪を僕が華麗に撃退、ではない。兄弟が襲われたのは昨日で、その際に足を痛めたコレトウを連れ帰る事が出来ずに狼煙を上げて呼子を吹き助けを呼んでいたのだ。「大岩みてえな赤猪でよ」そんなもんが居る所に僕はいる訳?遭遇したら確実に喰われちゃうでしょ。ここはモンスターじゃない事を喜ぶべきなのかどうか迷ったり、兄弟の山賊スタイルと強烈な臭さに狼狽えたりで、ファーストエンカウントなのに突っ込んだ話はほとんどしていない。だって「僕、こことは違う世界から来たんです」とかイタすぎる。どこの中二ですか。それにいくら何でも「臭いんですけど」などと失礼なことは言えません。せいぜい「変わった格好をしてるんですね……」「お貴族様みてえな格好だけど……」「貴族って草!」「草?」お互いに探り合う程度。僕の方から「ここって何処なんですかね?」と迷子であることを白状して一緒に山を下りる事にした。最初は兄コレトウを背負って山を下ろうとしたけれど、非力な僕には無理でした、ハイ。ダウンジャケットとスェットを脱いで竹槍2本に通し担架を作ることができたのは防災訓練のおかげで、ビニール紐で補強もできた。狼煙なんか全然気づかなかった僕よりビニール紐有能でした。そんな訳で丸一日かけて山を下り村に辿り着いたら、これですわ。

「この村を預かるイシオシロウと申す」

 爺は胡坐のまま拳をついて軽く顎を引く。烏帽子が揺れた。烏帽子だよ?ちょっと奥さん!僕の動揺に気付きもせず、お前は?と目で促される。い、異世界?本当に異世界設定でいいんですか?和風?戦国時代が流行りだった筈でしょ?今何時?これって村人を助けたことを感謝され、特殊スキル又は知識で楽しくスローライフ!が定番なんじゃないの?

「……初めましてミカミと言います」

 それなのに武器を持ったむくつけき男たちに囲まれて圧迫面接って…どうするよ、僕!どうなっちゃうの、僕!


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る