メリークリスマスイブ

片隅シズカ

第1夜 『私』の初恋の人

 『私』には、秘密が二つある。


 一つは、男なのに心が『女』であること。

 もう一つは、親友に恋をしていること。


 彼は、一つ目の秘密を知った上で『私』を受け入れてくれた。『私』を親友だと言って、笑いかけてくれた。


 『私』の親友で、『私』の初恋の人。


 そんな彼が、何よりも大切だった。

 だからこそ、この想いを口にするわけにはいかなかった。


 彼には、付き合っている女性がいるから。




   ***




 彼と出会ったのは、高校の演劇部だった。


 別に劇的な出会いをしたわけではない。同じ高校で、同学年で、同じ部活のメンバー。最初はただ、それだけの関係だった。


 ちなみに私が演劇部に入ったのは、人目を気にせず女の子になれるからだ。


 もちろん『私』をカミングアウトするわけにはいかない。だけど演劇部なら「女装趣味」で通すことができると思ったし、実際にそうだった。


 あくまでも趣味だから馬鹿にされない。

 変な目で見られることもない。

 詮索されたり、同情されたりすることもない。


 趣味という魔法の一言で、誰も『私』に干渉してこなかった。


 だけど趣味だからこそ、女の子になれるのは外側だけ。家でも外でも、どんな格好をしていても『僕』でなければいけなかった。


 へらへらと『僕』の仮面を被り続ける。それが一番、賢い生き方だ。

 だけど、そんな賢い生き方を貫き通せるほど、私は強くなかった。


 ある日、悲劇のヒロインを舞台で演じた。


 シェイクスピアの四大悲劇の一つである「ハムレット」の、オフィーリア。

 恋人との甘い生活を夢見ながら叶わず、女性不審になった恋人に拒絶され、挙句の果てには父親まで殺され、狂乱の末に川に落ちて溺死する。


 まさに、悲劇のヒロインの代名詞だろう。

 その代名詞に恥じないどうこくと共に、綺麗な涙を流した。もちろん全て演技だ。



 それなのに、なぜか涙が止まらなくなった。



 本当に、なぜだか分からなかった。オフィーリアに自分を重ねたわけではない。ましてや可哀そうだなんて、そんな殊勝なことは思ってもいない。悲劇だなんていうけど、男に捨てられた女なんて世の中には掃くほどいる。


 ただ、一瞬だけ思ってしまった。羨ましいと。

 もう、この生から解放されたいと。


(これ、ヤバイかも)


 危機感を抱いたものの、ここで発狂してしまえるほど理性を捨てていなかった。


 だから「ちょっと、鼻がむずむずしてさー」と軽く誤魔化して、トイレに駆け込んだ。花粉症の時期で本当に助かったと思う。


 私が花粉症なのは、紛れもない事実だ。

 だから誰も『僕』の不自然極まりない言動を気に留めなかった。



 彼を除いて。



「山岸。大丈夫……か?」


 この頃はただの部活仲間でしかなかったけど、彼……吉田という人間の善性は知っていた。正直、なんで来やがったと思った。


 黙ってやり過ごそうかと思ったけど、人が良いから逆にしつこかった。


「俺でよければ、話くらいは聞くよ。その、解決できるかは分からないけど」

「僕は……」


 ムカついた。羨ましかった。妬ましかった。

 彼の善性が、人の好さが、当たり前のように普通であることが。



 『私』を必死に隠す自分が、それで苦しんでいる自分が、馬鹿みたいに思えた。



「……『私』は、男じゃない」

「え?」

「女なんだよ。身体は男だけど」


 前言撤回。やっぱり私も狂ってたわ。控えめに言っても社会的自殺だ。


 だけど、何も考えたくなかった。

 どうでもよかった。何もかも疲れた。


 なんでもいいから、早く解放されたかった。


「……えっと……え?」

「キモイなら、キモイって言えばいいよ。みんなにも言いふらせばいい」

「言うわけないだろ!!」

「え?」


 突然の大声に、私は反射的に彼を見た。


「あ、ごめん! 大声はマズイよな……」

「…………」


 彼は、確かに驚いていた。

 でも、そこにあざけりも否定もなかった。


 ていうか、めっちゃオロオロしてた。


「言わないの?」

「え? そりゃ、もちろん」

「なんで?」

「なんでって……傷付くだろ」

「気持ち悪くないの?」

「えっと、ごめん。今、頭混乱してて」

「……だよね」

「でも、気持ち悪いなんて言えない」


(言えない?)


 どういうことだと、彼を凝視する。

 さっきまでのオロオロはどこへやら、私のことをじっと見つめてきた。


「だって、山岸、苦しそうだから」

「え?」

「気持ち悪いなんて……言いたくないよ」




 なぜか彼の方が、泣きそうな顔をしていた。




(……なんだそりゃ)


 思わず、そんな言葉が口を突きそうになった。なんでアンタが泣きそうなんだよ。泣きたいのはこっちだっつの。


(でも……)


「…………ははっ」

「えっ?」

「そこはせめて、気持ち悪くないって言っときなよ。その方が好感度稼げるよ?」

「いや、俺は別に好感度とか――」

「ありがとう」


 この時の『私』には、これがすごく効いた。


 やけくそだった行動を、真っ向から受け止めてくれた。社会的に死のうとした『私』を、必死に繋ぎ止めてくれた。



 その日以来、彼といることが多くなった。



 翌日には、何事もなかったかのように『僕』と接してくれた。二人きりの時には『私』を気にかけてくれた。


 彼の時と場所の選び方が下手で、逆にバレそうになったこともしばしばだけど、なぜか以前よりも安心して過ごせた。


 そして気が付くと、互いに『よっちゃん』『山ちゃん』と呼び合っていた。


 互いの趣味も共有するようになり、さほどやっていなかったゲームにも手を出すようになった。よっちゃんと二人でゲームをしている時間が、何より楽しかった。




 私がよっちゃんに恋心を抱くのに、さほど時間はかからなかった。

 


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