【if】線を描く After Story

下東 良雄

<上> 家族

 一枚のキャンバス。

 私の唯一の持ち物。

 もうそのキャンバスは、私が描いた線でいっぱいだ。

 それでも私はそのキャンバスに線を描く。

 自分が生きていることを確認するために。

 繰り返し、線を描く。

 そうしないと、死んでしまいそうだから。


 だから今夜もまた、私は線を描く。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 あれから私は毎日『案件』をこなし、空虚な日々を過ごしていた。

 毎晩のように線を描く私。

 そうしなければ、もう自分を保つことはできなかった。


 類は友を呼ぶ。

 私が居付いていた小さな公園には、私と同じくらいの年の女の子が数人集まるようになり、私のように『案件』をこなしていた。

 彼女たちと会話を交わすようになり、みんなも地獄を生き抜いてきた女の子であることが分かった。


 中学生の時に、母親の借金のカタとして非合法なアダルトビデオへ強制的に出演させられたことのある茶髪ロングレイヤーのミー子。

 不倫癖のある母親に、邪魔な存在だと毎日苛烈な暴力を振るわれ、「産まなければ良かった」と刺されたことのある黒髪ショートのアヤっち。

 父親からの性的虐待を幼い頃から受け続け、その時の映像がネットに流出してしまった茶髪ロングカールのリク。

 そして、実の兄に幾度となく乱暴され、お腹の中の命を潰した黒髪ボブの私ヒロミ。


 全員、自分のキャンバスには無数の線が描かれていた。

 誰も泣くことはない。とっくに涙は枯れ果てたのだ。


 私たちは全員で助け合った。

 元々利用者の少ない公園。一夜の慰めを求めに来る男も少なかった。だから『案件』を取れなかった子には、みんなでご飯をご馳走したり、一緒に泊まったり、余裕のありそうな男に複数人プレイを持ちかけたりした。生理の子も困ることのないように、みんなでサポートし合った。


 たった四人の小さなパパ活コミュニティ。

 それぞれの本名さえ知らない。

 それでも、ひととのつながりが持てたことは、私の、そしてみんなの心の支えのひとつになった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 ある日の夜、見慣れない女の子がやってきた。

 まだ顔付きに幼さが残る中学生くらいの黒髪ロングの女の子。

 何だかキョロキョロしていて、そのあどけなさから優しさが滲み出ているとても可愛い子だ。


 (あの子も『案件』をこなすの?)


 私たちは顔を見合わせた。

 その子は、私たちと同じような空気をまとっているものの、何かが違っていた。


 (あの子は、ここにいてはいけない子だ)


 全員が同じように感じたようで、女の子に近づこうとする男をみんなが食い止めた。

 三人は食い止めた男と『案件』をこなしに行き、残った私はその子を半ば無理やり近くのファミレスへ連れていった。


 最初はかなりビビっていたが、私が食事をご馳走して敵意が無いことを理解してもらうと、とても可愛らしい笑顔を見せるようになった。


「どうしてこんなところにいるの?」


 私の言葉に女の子はうつむき、何も答えなかった。


「私たちがやっているのは、パパ活とか援助交際とかって言われるけど、はっきり言ってしまえば、売春。お金と引き替えに気持ち悪いオッサンとセックスするんだよ? わかってる?」


 うつむいたままの女の子。


「こんな私たちだから『売女』『ヤリマン』『ビッチ』『ホス狂い』って、心無い言葉を投げかけてくるひともいる。公園にいただけで顔にツバを吐きかけられたこともある。『私の客を取るな』と本当のホス狂いから暴力を振るわれたこともある。そんな目にあいたい?」


 女の子は何も言えない。


「私たちの真似をしたらダメ。家に帰った方がいいよ。ね?」


 笑顔で語りかけたが、女の子は涙をポロポロこぼしながら震える声で呟いた。


「私はヘドロだから……これ以上、家族に迷惑はかけられない」


 こんな可愛らしい子が自分のことをヘドロと言っている。

 家族と余程のことがあったのだろうか。


 そして、彼女に感じていた違和感の正体が分かった。

 この子は私たちと違い、自分が原因で家を飛び出したのだ。

 きっと家族のことが大好きで、本当に大切なのだろう。

 だから、家族の前から姿を消し、ここに堕ちてきたのだ。


 私は女の子を連れてネットカフェへ。

 カップルスペースを用意してもらい、彼女と毛布にくるまった。

 私が優しく抱き寄せると、彼女は私にしがみついてきた。

 彼女は私の胸に顔を埋め、時折小さく嗚咽を漏らしながら、身体を震わせて泣いている。

 私は、彼女が眠るまでずっと頭を撫でていた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 翌朝、いつもの公園。

 あの女の子をどうするか、みんなで話し合っていた。

 あの子は私たちと同等の重い過去を背負っていると思う。でも、ここで『案件』をこなすような子ではない。私たちとは違う。ここにいてはいけない。

 それは全員の共通した認識だった。


 私たちから少し離れた場所にぽつんと立っている女の子。

 その背後からゆっくり近づいてくる二十代後半くらいの若い男。

 朝から女を買いにくるヤツがいるとは思わず、慌てた私たちはすぐに動いた。


「お兄さん、私と遊ぼうよ」

「たっぷりサービスするから」

「わたし、スゴいテク持ってるよ」


 私たちの声に耳を貸さず、女の子に近づいていく若い男。

 そして――


「ミカ」

「シゲルさん……」

「一緒に家へ帰ろう。ルリも待ってる」


 ――女の子の家族らしい。


 後で分かったことだが、彼は女の子の血の繋がらない父親だった。彼女が物心ついた頃には、すでに本当の父親はいなかったらしい。その後、母親は彼と再婚したが、数年前に離婚届を残して失踪。彼はひとりで、連れ子である女の子とまだ幼い妹さんを育てているとのこと。だから、あんなに若いのだ。

 一瞬、彼の性的虐待を疑ったが、女の子・ミカから彼・シゲルへの親愛と信頼の情を感じ、私たちはその場を離れ、ふたりをそっと見守ることにした。


 何十分経っただろうか。

 ふたりは抱きしめあっていた。

 きちんと話がついたようで、私たちの顔にも笑みが浮かぶ。


 ふたりが私たちのところにやってきた。

 家に帰ることにしたようだ。本当に良かった。

 ミカがすがるような視線を私に送ってくる。


「またヒロミさんに会いに来てもいいですか……?」

「……ダメよ。ここはアナタが来るようなところじゃないから」

「で、でも……」

「私たちが何をしているのか、昨日話したよね。もう二度と来ないで」


 私は、寂しそうな表情を浮かべるミカから目をそらした。


「シゲルさんはイケメンだし、いつでも遊びに来てよ。安くしとくから」


 シゲルさんは私たちを見渡した。

 そして、私の顔をじっと見つめた後、真顔で答えた。


「必ずまた来る」


 私たちはイイ男の金ヅルが出来たと大喜びした。

 シゲルさんの真意が別にあることも知らずに。


 私たちに何度も頭を下げて公園を出ていくふたり。

 迎えに来てくれる家族がいる。

 どんな過去も一緒に背負ってくれる家族がいる。

 血の繋がりなんか関係ない本物の家族。

 もう私たちには、どんなに頑張っても手に入らないモノ。

 ふたりの姿が眩しくて、羨ましくて、悔しかった。


 この日、私たちは『案件』をこなすことができなかった。



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